先日の地震の時の柏崎原発のことについて、大前研一が身も蓋もないくらいの正論を言っている。
これ自体はあまりに正し過ぎて、つっこみどころがない。原発の反対派も推進派も心して読むがいい。
ただ、例によって私はこれを読んで別のことを思ってしまった。それはこの「事故」の本質でもあり、日本人が昔から苦手としていることだ。
柏崎原発は、原子炉はビクともしなかったようだ。あれだけの被害がありながら、原子炉は配管の破断もなく、原子炉からの放射能漏れはなかった。想定をはるかに超える振動を受けながら、普段何でもない時に配管破断を起こしたりする原子炉が、ビクともしなかったのだから、これは誇っても良いことだと思う。海外で同じ事故が起きたら、そりゃそりゃ大変なことだったはずだ。
その反面、システムとしての原発はどうだったかと言えば、もうメタメタと言って良いくらい破壊の限りを尽され、エラーリカバリもメタメタだった。消火にも手間どり、海外からは「日本もうだめぽ」と思われるありさまだった。原子炉がビクともしなかったことからすると、いったい何なんだと思う。
まー、要するに「原子炉」という「要素技術」は優れていたのだが、「原発」という「システム」はメタメタだったということだ。
実は似た事例を他にも知っている。
第二次大戦中、日本は優れた電波技術を持っていた。レーダーに使われる八木アンテナは日本の発明だし、マグネトロンも実用レベルのものにしたのは日本だ。その伝統あって、電子レンジも日本のものが世界一だ。まー、何にせよ、そういった素晴しい要素技術があった。
ところが、日本の電波兵器はどうであったかと言えば、まるっきりjokeのレベルだ。当時の通信兵が苦労した話は、ネットにいっぱい回顧録がある。たとえば、海軍レーダー 徒然草とか。
つまり、原発の例と同じで、「要素技術」は素晴しかった反面、「システム」はメタメタだったのだ。
別の見方をすると、日本の技術者は本質的に「オタク」なのだ。実際、マグネトロンについて書かれたページには、「理研のオタク」という批判も書かれていたりする。要素技術に注力するあまり、全体設計がダメになってしまうという、「オタクによくあること」のパターンにハマりやすい。
# そしてそのくせ「オタク」は「システム屋」が嫌いだ
「システムエンジニア」という職業は、アメリカにはないそうだ。アメリカでは「システムエンジニア」は「コンサルタント」と「プログラマ」に分担されていて、古き良き時代の日本のシステムエンジニアのように、「システム設計はもちろんのこと、お客との折衝から外注管理から、デスマになったらプログラムから雑用まで」という守備範囲の広いエンジニアはないらしい。
「日本人はシステムが苦手」ということを考えると、これはメリットでもあり、デメリットでもあると言える。
メリットはもちろん「真にシステム全体を理解するエンジニア」が存在するということだ。「コンサルタント」はエンジニアではないから、ベタベタに技術寄りのことは理解出来なかったりするから、全体を理解するということは難しい。システム全体を把握する仕事があるということは、「オタクなシステム」になりにくくなる。
デメリットはその逆だ。「システム全体を理解しないシステムエンジニア」なんてものがいたら、その弊害は計り知れない。
まぁ「システム全体を理解する」ことが容易ではないから、「コンサルタント」と「プログラマ」に分担するわけだろうが、たいていの「分担」は「壁を作る」と同義だったりする。そうであるなら、「コンサルタント」と「プログラマ」が分担するのではなく、「コンサル寄りのシステムエンジニア」と「プログラマ寄りのシステムエンジニア」が一緒に仕事をする方が良いように思う。何しろ「日本人はシステムが苦手」なんだから。
まぁ何にせよ、「システム」なんてのは「オタク」には無理で、日本の技術者は本質的に「オタク」になってしまうという特性を持っているということは、理解しておくべきだと思う。