ネットは悪評を集めるためのツール

ネットの上の情報はそのまま信じるわけには行かない。だから、情報の整理をする能力が必要である。なんてことは「大人の常識」なのであるけど、自分の知らないことだと信じるべきかどうかはよくわからない。わからないから調べてるわけだし。

ただわりと信用できるのは、ネガティブ情報だ。ある事象を否定的にとらえることは難しくないし、それだけに精度も高い。もちろん根拠のない誹謗中傷の類もいっぱいあるのだが、それとても「根拠のない誹謗中傷をしたくなる何かがあった」からなわけだ。

たとえば私のネット上の悪評の何割かは、事実無根だ。心底私のことを嫌いな人が何人かいることは知っているのだが、彼等はそれ程愚かでもないので、積極的に悪評を流すようなことはしていない。ほとんどの悪評の元は「山田AG」によるものだ。その「悪評」は事実無根ではあるのだが、彼にはそれを流すだけの理由があるのも確か。その「理由」まで見れば、「悪評」そのものは事実無根であっても、「私がどんな人か」の一端がわかるはず。そう考えると、全てが棄却されるすべき「ガセ」でもないのだ。

ネットにはポジティブ情報は少ない。その数少ないポジティブ情報はかなり高い割合で「サクラ的ガセ」であることが少なくない。そして残りのほとんどは「当事者によって積極的に流されている情報」で、プレスリリースや宣伝と大差ないし、それ以上の情報がない。自発的に流されるポジティブ情報は実は極端に少ない。だから、ネットで上では「集められないもの」と思う方がいい。

物事には賛否あるわけだけど、ネットで集まるのは否ばかり。「だから賛がない」と解釈するのではなくて、「元々賛が集まり難いもの」と解釈するべき。そう思って使えば、いくらか事実に近付ける。