「技術は金で買える」

打ち合せの時に思ったこなんだが、Twitterでちょっと言ったらウケたっぽいのでまとめておく。

まぁ以前にも同じようなことを書いてはいる。

「日の丸」あるいは「技術」は虚しいか?

これでも書いているのだが、技術者がよく勘違いしやすいこととして、「技術は金で買える」の意味がある。だいたいこれはネガティブに取られることで、素晴しい技術は金を出しても買えないという類の反論が続く。

しかしこれは「勘違い」と言うように、間違いである。たいていの技術は金で買える。技術そのものが買えなければ、「人」ごと買ってしまえばいい。逆にどんなに素晴しい技術であっても、金さえあればそれを超えることは可能である。気合や根性や努力の類も、金があれば解決出来ることは多い。

金を出す側の人がよく勘違いすることとして、「技術は金で買える」ということの意味である。どんなに素晴しい技術でも金さえあれば買って来れると。とにかく金さえ出せば何とかなると。

既に書いたように、たいていの技術は金で買える。だから、つい「技術は金で買える」と思ってしまう。確かにそれはそうなんだが、「技術」というものは

買う人を選ぶ

ようになっている。いくら金があっても、それを買うのにふさわしい人でないと手に入らない。「技術文書」や「ライセンス」、あるいは「技術者」は金さえあれば手に入る。しかし、それらがそこにあるだけでは「技術」が手に入ったことにならない。それが扱えなければ、手に入ったことにはならないからだ。

これは「車」と似ている。確かに金さえあれば「車体」は手に入る。金がなければ手に入らない。しかし、それは単なる「置物」を買ったのと同じで、「車」を手に入れるためにはそれだけでは足りない。扱えなければダメなのだ。

「技術文書」や「ライセンス」あるいは「技術者」を「技術」にするためには、

マネージメント

が必要なのだ。それらをうまく扱えないことには「技術」を手に入れたことにはならない。そこに金を使わなければ、「金を出す」という意味がない。