よく、マトモなことが書かれているブログのコメント欄やらブコメに現れるのが、「上から目線」とか「ドヤ顔」とかって奴。
これなんか極めてまっとうで、当たり前のこと、100歩くらい譲っても「少なくともこいつの体験の中ではそうなんだろうなぁ」というくらいの納得感がある話なのだが、コメント欄には
上から目線で偉そうですね
とか書いてあったりする。
こういったのを見る度に、「別に目線なんて上からだろうが下からだろうがいいだろ」とか思ったり、「誰かに教えてもらう時はむしろ目線は上からの方が楽だろ」とか思ったりするんだけど、こういったことを言いたがる奴がいる。私なんぞ、「下から目線」に慣れちゃってるから、何か教えてもらう時とか金もらう時とか、いつも下からだよ。ネットの文章しか知らん奴はわからんだろうけど。当たり前だろ、ネットでわざわざ書くようなことなんだから、「上から目線」で言えることしか書かねーよ。そーゆーバイアスがネットの文章にはあるんだよ。
これをまぁ、世代論で語る人達もいる。
いっぱい出て来る。
でも、そういったことを思うかどうかを別にして、「批判」として「上から目線」とか言っちゃうのって、たいてい
他に反論出来ない時
だよね。上で引用したエントリみたいに、自分以上の位置(自分の位置も含む)の人達が、自分達向けに正しいけど「痛い(!イタい)」ことを言った時に、「上から目線」とか言っちゃう。痛くなかったら、「ふーん」としか思わないわけで、「上から目線」とか反撃しちゃうのは、痛かったからでしょ? で、正し過ぎて他に反撃するところがなかったから、「仮想目線」を攻めちゃうんだよね?
とか考えたら、「上から目線」とか言われちゃうってのは、
「悔しいけどあなたの言ってることは正し過ぎて辛いです」
と言われてるのと同じだってことだ。これは、そういったエントリを書いた人にとって、賞賛以外の何物でもなかろう。だって、そんなこと書きたかったから、「上から目線」で書いちゃったわけだから。
同じような「反撃」として「ドヤ顔」とか言うのがある。これも、なんとなく「凄いこと」が書かれているエントリへの「反撃」として書かれてることが多い。まぁ、「反撃」ですらないんだけど。
私もしばしばそういったブコメがあったりするんだけど、こっちとしては
「はぁ? 別に当たり前のこと書いただけで、ドヤ顔で書く程のことじゃないし」
とか思ってしまう。で、次の瞬間には、
「へー、お前がこういったことを書く時にはドヤ顔になるんだ。へー」
とか思う。いや、何にしたって「当たり前のこと」であって、別に「ドヤ顔」になる程のことじゃないよ。俺にとってもお前にとっても。
でもこれもよく考えてみたら、「上から目線」と同じで、
「悔しいけどあなたの言ってることに気がつきませんでした」
と言われてるのと同じだ。これも、そういったエントリを書いた人にとっては、賞賛以外の何者でもなかろう。
とかって考えると、「上から目線」とか「ドヤ顔」とか言われたら、仮に自分がそんなつもりはなくても、そんな態度に出ても良いってくらいの賞賛を受けたんだと思って良いんじゃないかと思う。つまり良いことだね。