ローカルコミュニティに行こう!

私はクリスチャンなので、日曜日には教会に行きます。

諸般の事情があって、長いこと教会に行かないでいたのだけど、また行くようになって1年ちょっと。行くとクリスチャンとして気持ちいいし… という抹香臭い話は、わかる人にだけすることに。抹香臭くないところの話をすれば、

ローカルコミュニティはいい

ということ。

私の教会はそれ程大きい教会ではありません。プロテスタントの教会のありがちの規模で、礼拝には100人いない程度。だから、全員の名前までは覚えられないけど、全員の顔と目立つ人の名前くらいは覚えられるようなそんな規模。

俗な目で、ネットのコミュニティと違って教会みたいなコミュニティが良いのは、そのコミュニティのサイズは「高々有限」だということです。それは何も「教会」でなくても構いません。「地域」でも「職場」でもいい。「高々有限」なところは同じです。

人間、何をやっても、いつだってたいてい

上には上がいる

ものです。仮に今見ているコミュニティの中で自分が一番偉くなったところで、世の中は広いので、「自分より偉い奴」は絶対にいるし、そんな奴は後から後から出て来ます。それはもう当然なので、常にそう思ってなきゃいけません。ネットのコミュニティはオープンなので、そんなもの。だから、いつも「上には上がいる」ものだと思ってなきゃいけません。だから、常に謙虚にしておく方が、恥をかかないで済みます。

そういったことってのは、確かに心がまえとして悪くありません。でも、

心がまえとして良いことだからこそ有害

なのです。いつまでたっても「もっと」だから、満足がない。腹がいっぱいになっても尚食う奴を「馬鹿」と言う人はいても、何かの道を極めようとして、常に上を見ていることを「馬鹿」と言う人はいません。結果、心がまえのいい人は、いつだって「飢えて」いるのと同じ状態になってしまいます。

それは何か道を求める人の態度としては正しいでしょう。でも、そういったことって、精神の衛生にとても悪いんです。頑張ることが美徳であるからこそ、マジメな人は頑張り過ぎちゃう。ネットのコミュニティのタチの悪いのは、そういったところです。つい「上」を見てしまって、自分のことを「まだまだ」と思ってしまい、真面目であるがゆえに頑張ってしまって、頑張り過ぎてしまう。あげにく、

謎の敗北感

にまみれて、精神をやられる。精神をやられなくても、なんとなく自信を失なってしまい、自分を過少評価してしまう。

ところがこれが、「高々有限」の規模のコミュニティであれば、とりあえずそのコミュニティ全員を倒せば、一番になれます。とりあえずそこで頑張る必要なくなります。「もっと」とか言って頑張り過ぎなくて良くなります。だから、「達成感」もあるし、「満足感」もあるし、それゆえ休息する時間も出来れば、他のことに目を向ける余裕も出来ます。

そんなわけで、マジメな人には「高々有限」のコミュニティに参加することをお勧めしたいです。そうすれば、精神を病むことも減るでしょう。自分に自信が取り戻せるかも知れません。