今こそ、「Free Software」に目を向けるべきだよ

matzがつっこんでたんだが。

OSSはタダ乗りでもいいけどマズい

言いたいことはわかるし、問題点もわかるのだが、こーゆーことを言いたい奴は「Free Software」をやるべきだ。タダ乗りし辛い、面倒臭いライセンス、たとえばAGPLとか使うといい。

OSSがなぜ成功したか? それは、

タダ乗りオッケーで、ライセンス違反さえしなければ何やってもいい

ところだと思っている。

それまでの「ふりーそふと(タダソフトでもいい)」にあった、仁義だの礼儀だのリスペクトだのとゆー、ウェットで面倒臭いものを「ライセンス遵守」とゆーことで片付けてしまったことで、「ふりーそふと」を「プロダクト」に変えた。これが大発明だった。経済的なインパクトにもなったし、いろいろなイノベーションの元になった。企業も使えるようになったし、パッケージ販売もされるようになった。「コミュニティへの参加」も、メリットがあると思えばすればいいし、ないと思えばしなければいい。義務ではない。

他方、そういったドライな世界、経済の世界になってしまうと、スポイルされてしまうものがある。「なんか搾取されてんなー」って気分にもなるし、「社会的責任」とか面倒臭いことを言う奴等も出て来るし、イベントにスーツで来る奴とかいてノリが違って面倒臭いなーとか、そんなことを感じるようになる。オリジネータは貧乏なのに、ディストリビュータやユーザが儲かってるとか、個人的にはなんだかなぁと思う。

自分の連載で何度も言って来たことなんだけど、

「オープンソース」と「フリーソフトウェア」は違うもの

なのだ。たまたまライセンスが似ているから同じものだと考えられがちであるが、本質的に違うものなのだ。もちろん両方の属するものもあるだろうけれど、ストールマンみたいに「俺はオープンソースをやっているわけではない」という主張だってある。世の中には、フリーソフトウェアが進化したものがオープンソースだと思っている人が少なくないのだが、そうではない。目標とか到達点とかまるで違う別のものだ。

わかりやすい話をするなら、「経済活動」を意識するならオープンソースであり、「俺の満足」を追求したければフリーソフトウェアだと言ってしまっていい。「みんなに使われる」というのは経済原理に基く意識だから、オープンソースであるし、俺が楽しんでいれば車輪の再発明だろうが他に利用者いなかろうが構わないというのであれば、フリーソフトウェアだ。もっと簡単に言えば、

金の臭いがするのがオープンソース

なのだ。

ここで、「××はオープンソース」とか「○○はフリーソフトウェア」とかってことは、第三者が勝手に言うべきではない。あくまでもオリジネータがどう思っているかが大事だ。

そんなわけで、「タダ乗り」に対する見方も変わって来る。オープンソースであれば、「タダ乗り」もユーザが増えたうちだと考えてモチベーションに昇華するべきだし、フリーソフトウェアだったら「タダ乗りお断わり」でも構わない。「タダ乗り」をモチベーションに昇華できでないのであれば、

俺がやっているのはフリーソフトウェアだ

という意識になるべきだ。