SuperASCII

知っている人は知っているとは思うが、私はSuperASCIIにLinuxの連載を持っている。そして、この前まで、

女子高生とLinux入門

というシリーズでやっていた。

タイトルがタイトルだけに、色々と物議をかもしていたようで、読者欄でも賛否両論あった。私としては、このようなタイプの入門をすることにより、

Linuxなんて誰にでも使える

ということをアピールし、また本質的に

未熟

な女子高生(と言っても高専の情報工学科なのだが)が初心者の代表として、いろいろつまづいてくれることをネタに、超初心者向きの入門を書こうと思って企画したものである。

ところが、どこにも物事を表面的にしか捉えられない馬鹿はいるもので、

くだらない

とか、

読者を馬鹿にするな

的な意見を読者欄に送って来る奴がいる。そう思うのだったら読まなきゃいいのにと思うのだが、どうもそーゆー意見を書きたい馬鹿がいるようである。まぁ何であっても

評論家になりたい馬鹿

というものはいるのだ。

まぁ、その辺は読者の考えや見方は色々あるので、色々な意見が出るのは当然だろうと思う。「面白くない」と思う人がいても、「面白くないなら読まなきゃいいのに」とは思うが、それ以上のことは思う必要はない。まぁせいぜいが「他人の意図を理解する能力に欠ける奴だ」程度に思うだけである。この辺のことは、まぁ

世の中いろいろだね

で終わりである。

しかし、許せないのはこの欄を担当している編集長である。

彼は「まぁ賛否あるのは当然で、それは合計で反応があったと解釈しています。だから、どんどんやって下さい」と言っていた。私はこの考えに「なるほど」と思ったので、やれるだけやっていたつもりである。そして、その意見から、「編集長はちゃんと責任をもってくれるのだ」と解釈したものである。

しかし、彼はそうではなかった。読者欄には賛否あればそのまま載せ、しかも、否定的な声が出ていても、それに何のフォローもしていなかったのである。

こういった意見もありますが、編集部はこう考えてます

的なことを書いてあれば、否定的な意見の人の何割かは納得したものだと思う。また、私もそれを見れば、「編集長はちゃんと責任をもってくれている」と納得したであろう。

しかし彼はそれをしなかった。そして、「この欄は読者の意見をそのまま載せています」という態度表明をしたのである。つまり、

俺は公平にやっている

ということだけを表明し、編集部の考えを読者に明らかにしなかったのである。そうなれば、当然のことながら、

シリーズの責任は筆者にある

ということになる。つまり、

あのシリーズは著者が勝手にやったことで
編集部としては何ら関知していない

ということになるのである。確かに発案は私であるから、私に責任がないと言う気は全くないが、それにGOを出したのは編集部である。そうであるなら、

応分の責任分担

をするのが編集部の務めであろう。それをしないのは、

単なる卑怯者

でしかない。

読者の声として、賛否あるのはこれは当然であると思う。私は読者の声は気にする方なので(悪口を言われるのは好きではない)、読者から否定の芽が出ていれば、それをすみやかに知って紙面に反映させたいと思う。そう言った意味では、否定されることは「書いてはいけないこと」を知ることが出来るので、むしろ喜ばしい。裸の王様になっていてもしょうがないのである。もちろん、こちらの意図を理解しようとしない意見を読めば不愉快になるが、それとても私の目に触れていれば、何とかすることが出来る。だから、読者の声として否定的な意見があることについては、悪感情は持たない。

しかし、「読者欄」は違う。これは編集部の裁量で現実の読者の声をピックアップしたものである。つまり、編集部の裁量の中で編集される部分である。だから、この欄に載せる「声」は、

編集部の意見の代弁

のはずである。実際の意見として賛否両論であっても、その辺を上手にコントロールするのが編集部の仕事である。そうであるから、読者欄に否定的な意見を載せるということは、

編集部として否定している

ということになるはずだ。だからこそ、私は怒っているのである。「やれと言うからやったのに、そのやれと言った人間が否定している」と。普通、このような行為を世間では、

裏切り

と言うのである。

さらにこの編集長の愚かなところは、この一件でへそを曲げた私にも何のフォローもしないところである。どうも、

面倒なことは担当任せ

と思っているフシがある。別にわびを入れろと言う気はないのだが、何か一言あってもバチは当たらないと思うのであるが。

まぁそういったわけで、Linux Japan Vol.5のマクラに書いたような話になるわけである。簡単に言えば、

クズの相手をするから、馬鹿な目にあう

ということでクズタコを避けることにしたのだ。だから連載の方も、いきなりレベルを上げて、

クズには読めない内容

にしたのである。ま、それにしても、

ゴチャゴチャ言うのは不愉快だ

的なことを言う馬鹿の前には無力であったのであるが(これもLinux Japan Vol.5のマクラに書いた)。

まぁ何にしても、私が書いているのは、あくまでも技術解説であるから、あまりこういったことをあれこれ記事の中に書くことは出来ない。多少反論してみても、そんなことにページをさくのもナンセンスだから、適当なところで切り上げたいと思うのだ。そんな時に必要なのが、

編集部のフォロー

である。ところが、この編集部はそれをしない。ま、今のシリーズが終わったら、私は連載を下りる気でいるので、それはそれでも良いか。

PS. 1997年12月10日

というようなことを書いていて、2月号の原稿を出したのであるが、担当からの返事で

当該連載は3月号で打ち切り

ということになったらしい。何でも、

今後のSUPERASCIIでは,現状の紙のメディアだけでなく,CD-ROMやWebなどとも連動した展開をしてくということで,これに協力してもらえないのであれば,連載を終了してもらうしかない

と言うことらしい。これは最初に書いてるようなことが原因で私がキレているところに向けて、「よろしく」みたいなメールを部下に送らせて来ているので(以前は直接メールをよこしていた)ので、「拒否する。理由は編集長がよく知っているはずだ」という旨の返事を書いたものだから、それを理由にしたものだと思う。普通、このような「条件」みたいなものを言う時には、「飲んで戴けない時には××ということになります」的な説明(脅しとも言う)があって然るべきであるが、それもなかったのだから、これは

一方的

としか言いようがない。まぁこれでめでたく連載を下りることが出来たのである。全く慶ばしい。

まぁ話題の繋ぎとかのことが色々と面倒なので(何しろ連載だ。前号だの次号だのとの話題の繋ぎはいつも書いているものだ)、

2月号の原稿も取り下げ

にする旨を伝えておいた(原稿はここにある)。

しかし、ここまで来ると編集長は

哀れ

としか言いようがない。