先日の「素人がAWSでWordPressなんてやるな」の大合唱に、辟易している。おそらくは、
何度でも言うが、自力でトラブルシューティングできない人や組織は、自前でWordPres立ててはいけない / “一般ブロガーがAmazon Web Service(AWS)で独自ドメインのWordpressサイトを10分で作る方法…” https://t.co/ycOgWdZz8E
— 徳丸 浩 (@ockeghem) 2016年6月19日
に「お墨付き」を得たと思ってなんだろうが。
140文字しか書けないせいもあるけど、ockeghemもつまんねーこと言う奴になったもんだ。お誕生日ブレゼントにdisっておくか。
私はこういった「セキュリティ至上主義」みたいなことに絶望を感じてしまう。
確かに正論だし、いろいろ危険なことを危険を伝えないで勧めるとか無茶だと思う。それにAWSのmicroを使ってWordPressがそれ程快適だとも思えないし(動くけど)… ってことで、確かにあまり良いことだとは思わない。
でも、そういった失敗はするべきだと思ってる。
20年くらい前の私の発言を見てた人なら、そのマインドは理解出来るのではないかと思う。あるいは、その頃の情況の話を聞けばわかるかも。
20年くらい前、まだLinuxが「ハッカーのおもちゃ」だった頃、うっかりインターネットのサーバにしてしまう人が後を絶たなかった。その当時のLinuxなんて、いろんな意味で「おもちゃ」に過ぎなくって、*BSDの信者からはボロクソに言われていた。セキュリティホールにも満ちていたし、そういったことをしてしまう人達の技術も幼稚なものだった。
linux.or.jpのサーバ
をLinuxで運用していたのは、本当にチャレンジだった。それなりの人達がついていたから何とかなったのだけど、素人が真似して良いようなものじゃなかった。
その頃のLinuxは、
- デフォルトで余分なdaemonが上がってる
- デフォルトで全部のポートが開いてる
- デフォルトで入ってるソフトが古い
- デフォルトでパスワードなしでroot login出来た
みたいな散々なものだった。いや、もっといっぱいいろいろ酷いことはあった。それをのこのこインターネットにつないだりして、
雑誌のCD-ROMと古いPCでインターネットサーバが作れる
とか、雑誌で特集しちゃったりしてたのが、「20年前」の世界だ。
「20年前ならもっと牧歌的で失敗も許されただろう」とかって声もあるのだけど、その頃は既にインターネットは悪意や危険に満ちたものだったし、それで商売やってる人達もそこそこいたりした。違うのは、「インターネット人口」とか「回線速度」みたいなものだと言ってもいい(さらに5年くらい前だと、もっといろいろ違うけど)。
そんな時代、盛大にみんなで失敗したり馬鹿やったりした結果、インターネットにLinuxをつなぐことが、それ程危険でなくなったとも言える。「わかってる人達」から見れば常識に過ぎないことが、「その方が楽だから」みたいな「おいおい」としか言いようのない理由で放っておかれたものが、
ちゃんとしたデフォルト
に改められるようになった。「わかってない素人」が「雑誌のCD-ROM」でインストールしたくらいでは、サーバとして機能しないようになった。
「わかっている玄人」にとっては、そこは
楽かどうか
の違い程度だと思う。余分なdaemonなんてあったとしたらまずは止めるものだし、不要なポートは閉じるものだし、古いソフトは新しくするし、root loginなんてそもそも許さないし。
でも、「わかってない素人」にはこれは大きな進歩だった。と言うか、「わかってない素人」が散々なことをやって来たからこうなったのではなかとゆーフシがある。
まぁそんな「昔話」を延々とするつもりはない。ただ、「わかってない素人」の無茶なことというのは、そういった変化をもたらすし、いろんな改善の元でもあった。
そんなことを思い出すと、
失敗させてやれよ
と思う。それで痛い目にあえばいい。場合によっては「死ぬ」かも知れない。でも、それで死ぬのは俺じゃない。勝手に死んでろ、俺はその屍を越えて行く。その程度でいいと思う。みんな過剰に親切なんだよ。それに、いるかどうかもわからない「被害者」のことまで心配して。
とにかく自分の身の安全を確保しろ
というのが、インターネットにおける「自己責任」であり、「自分」で出来ることの限界だと思っておくべきだと思う。
というような話をgeekpageさんと話してたのだけど、その途中でふと気がついたのは、
失敗する権利
というようなこと。
もちろん本当は失敗なんてしなくても成功した方がいいに決まってる。でも、大変残念なことに、たいていの人間はそこまでは賢くなく、失敗をしながらでないと進歩出来ないでいる。もちろんその過程で、つまらん失敗はしなくなるし、それも進歩ではあるんだけど、結局どこかで何度か失敗しないことには、うまい具合に進歩出来ない。もうそれは
人間のファームウェアの仕様
だと思っていいと思う。それなら、「失敗すること」は「権利」として認めてやるのが、「先達」の努めなのではないかと。「いや、今のインターネットはそんなふうに出来ないし」と言うのであれば、あまりに「先達」の「既得権」過ぎるのではないだろうか?
PS.
話が発散しすぎるので↑に含めてないが、ここはWordPressで運用している割には、私はWordPressのことはよくわかってない。とゆーか、
わからないからこそいい
と思ってWordPressを使っている。これが下手にわかると、コンテンツ以外のことに気が散ってしまって、「CMS」を使う意味がなくなってしまうからだ。
トラブルシュートが出来るかと言えば、公式には私はPHPはわからないことになっているので、まぁ無理だ(ということになっている)。Railsと違って、エンドユーザに徹することが出来るのが、PHPの良さだとさえ思っている。
不便だなーと思わんでもないけど、下手に「自分でトラブルシュートが出来るから」といじくるよりは、「いつも最新にアップグレードしておく」方が安全であることは多いからね。もちろん「いつも最新にアップグレードしておく」のは、設定でそうしてあるに過ぎない。