手っとり早い料理の上達法

ここりこのエントリの

そこそこ美味いものを自分で作って食べるコツ

まさにこれ。

近頃書くのをサボってるけど、「教会御飯」は毎月やっている。そして、始めてから今まで、月に1回のものについては、同じものを作ったことがない(作る日が2度あったら片方はアンコールということにしている)。

で、作る時は月曜から金曜日まで、ずっと同じものを作り続けて実験する。最初は実現可能性についての検証、実現可能性について問題がないとなると、量産可能性についての調整だ。結局、同じものを5回作ることになる。まぁ、なんだかんだで自炊出来ない日があったりするので、平均すると4回くらいだけど。

そうなると、味も手順も安定して来る。最初に思っていたものを間違えずに作れるようになる。いろんな「加減」がわかって来る。なので、まだ一度も致命的な失敗をしたことはない。まぁ、小さな失敗は何度かあるのだけど。

普段食う飯、つまりその「実験の1週間」以外の時の飯も、だいたい自炊している。娘はなぜか同じものが連続することが好きなので、毎日延々と同じものを作ったりする。完全に同じものだとこっちも飽きて来るんで、いろいろ細かいところを変えてみる。材料を変えるとか、手順を変えるとか。そうやってだんだん技術的にも確立して行く。まぁ、そうやってルーチンワークにしてしまうと、別のものを作りたくなるんだけど。

プロの料理人が(美味なだけではなく)上手に料理が作れるのは、まさに毎日のように同じものを、ちょっとづつ工夫しながら調整して行くからだ。材料やコストや自分の技術を折りあいをつけつつ、その時点での「最高」を目指す。それがプロの技なのだけど、それは延々と繰り返すことによる。

以前毎日のようにフランスパンを作っていた。一般にフランスパンを作るのは難しいものとされていて、実際に慣れないと難しいのだけど、これも毎日やっていると「だいたいそれなり」なものは安定して作れるようになって来る。そしてその過程で「粉による違い」とか「水の分量の考え方」とかがわかって来るようになる。そうすると、自分好みのものを思い通りに作れるようになって来る。

食べる方も同様で、魯山人によれば、

ほんとうにものの味がわかるためには、あくまで食ってみなければならない。ずっとつづけて食っているうちに、必ず一度はその食品がいやになる。一種のきが来る。この飽きが来た時になって、初めてそのものの味がはっきり分るものだ。

ということで、飽きる程食ってみなきゃいけないそうだ。実際そうで、初めて食うものは、それが美味いかどうかなんてわかりゃしない。

そんなわけで、私がそこそこのものを作って食えるのは、まさにこの

飽きる程作る

ことにある。料理のレパートリーを数えるのは、それこそ「今まで食ったパンの枚数」みたいなことになるのだけど、それが出来るまでは、延々同じ(ような)ものを作り続けたからだ。

そういった話をすると、「じゃあどんなに頑張っても年間100くらいしかレパートリ増えないの?」的なことを言う人がいる。まぁ、年間100でも十分多いと思うのだけど。

幸いなことに、そうやって同じものを何度か作るようなことをやっていると、いろんな「違い」がわかって来る。手順による違い、時間による違い、材料による違い… がだんだんはっきりと見えて来るのだ。そうなると、今度は「応用」が出来るようになって来る。それまで作ったことのないものを材料や手順を変えた時に、どんな結果になるか見えて来るようになる。そうすると、いきなりレパートリの数が爆発する。何しろ

実際に作ったことのないものも何度も作ったような感覚

になる。こうなれば、自由自在だ。その時を目指して同じものを作り続けると良い。