大学の「DQNネーム」

炎上必至なネタかも知れない。まぁ、むしろそうなって、あちこちで賛否出て来ればいいとは思うが。

最近の子供の名前が読めないとかってことで、あちこちでネタになっている。

DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)

まぁ、今時高学歴ホワイトカラー()はあまり結婚自体しないので、DQNネームなんてつける層ばかりが子持ちになるよね… 的なことを思ったりするし、これもまたあちこちで言われてることなんだけど、今回はそっちの話じゃない。

大学の学部学科名

の方だ。あれも相当酷くないか。ついでに大学名もそうだったり。

子供の「DQNネーム」が不利だとゆー話は、「DQNネーム」の文脈でよく語られる。そもそも読みにくいとゆーあたりで不便な上に、親の程度が知れるとゆーこと、その教育環境に疑問があるとか。当人にしてみれば、いわれのない誹謗中傷なのかも知れないけれど、「名前の呼びやすさ」ってのは人間関係の構築には重要だったりする。「姓」の方は、多少特殊で珍しいくらいの方が、「つかみ」として良かったりもするのだけど、そーゆー読めないのがそこらじゅうにいるとなると、読む方がうんざりしてしまう。珍姓珍名の類は、

珍しい

からそれなりに価値がある。いっぱいあればうんざりする。「生越」みたいな妙な姓もたまにいて珍しいから「つかみ」になるけど、そこらじゅうにそーゆーのがいたら「面倒臭い」と思う人も多いだろうし、「みんな」じゃなくて1/3くらいがそうであれば、避ければ避けられるので

避けておこう

という判断をされてもおかしくない。不幸にして、それは本人の資質と関係がないことが多いのだろうけど。

という類のことは、あちこちで言われるし、もっといろいろな話が出ているので、あまりここは掘り下げない。

最近気がついたのは、同じことは大学の

学部学科名

にもないかと言うことだ。まぁこの辺には「読めない」ということはまずないのだが、

イミフ

なものが少なくない。「人間」とか「国際」とか「文化」とかついてる学部学科はいったい何をするのか、カタカナ語は何を意味してついているのか、さっぱりわからないものが少なくない。実例を挙げるといろいろ語弊があるからやめておくけど、

電車の広告とかで見る大学

にそんなのが多いような気がする。とゆーか、電車の広告を見ていて気がついたのだが。

もちろんそれらの説明を読めば、わかったようなわからないような気分にはなれるだろう。どうせまぁ、そういった「タテマエの説明」は実態を表してない。「国際感覚を持った人材を育成」する学科に「ネトウヨ」がいたりしても、まぁそれはそれだ。でも、「世間の人」はそういったものはまず読まない。学部学科名の字面で、どんなところか想像するのが普通だろう。ところが、「人間」とか「国際」とかついていたり、「スポーツ」だの「システム」だの「メディア」だのがついていると、言葉が抽象的過ぎてさっぱり意味がわからないのだ。

いや、「人間」がついてても「人間工学科」とか、「国際」がついてても「国際関係学科」とかならわかる。つまり、学問の領域を示す言葉と一致していれば、その学問について知らないのはこっちが悪いわけだから、名前をつけた方に罪はない。でも、最近の「わけのわからない名前」のところは、学問の領域の名前じゃないことが多い。子供の「DQNネーム」と同じで、

ユニークであること

が全てなんじゃないかとゆー気がする。その「ユニーク」を比較的馴染のある語で構成してしまうから、余計にタチが悪い。学問分野で、あるいは学生や研究者で、そういった形での「ユニークさ」は、あまりいい感じがしない。

一人分野の第一人者

とかだと、偉いのかそうでないのかわからない。それが「これからフォロワは増えます」的な分野だったら、少なくとも「先駆者」として認めようがあるのだけど、「ユニークであること」が目的化されてるのだと、それもどうかと。

そういった学問領域を指す言葉と一致していない学科学部名は、聞いてもピンと来ないし、ピンと来るような努力をしようとしない。これは「世間の人」はたいていそうだろうし、「世間の人」という集合には

採用担当者

も含まれる。学部学科名を聞いてもピンと来ないようなところの学生だと、

なんか訳わからないし面倒臭いから避けよう

とか思っても、何ら不思議ではない。また、そういった「訳のわからない学部学科名」の大学は、微妙なところが少なくない。いきおい、「そこにいる人」のレベルもそんなものだと思われてしまう。つまり、

DQNネームと同じ

ことになってしまうわけだ。

これは入る方も同じだろうと思う。地方大学であれば、ある程度「地元市場」はあるから、「目先を変えてウケを狙う」ことをしても、大外しにならないかも知れない。しかし、都会の大学で、選択肢がいっぱいある場合、18歳人口が大学定員より少ない現代、そういった「訳のわからない学部学科名」のところに、好んで志願するだろうか? 子供のDQNネームは子供には選択権はないのでしょうがないけれど、学部学科に関しては選択が出来るのだ。また、普通の親なら、子供が自分のわからないところに行くのに不安を感じるものだ。古くからある「教養学部」でも、なかなかビミョーなものを感じたりするくらいなのに。

極めて当たり前のことなのだが、「名前」というのはブランディングの第一歩だ。その名前に込めるものは様々なものがあるのだけど、まずは「呼びやすい」「わかりやすい」ことを心掛けるものだ。新語造語の類であるなら、一言で説明のつくものとかにするのが普通だ。果して、そういった学部学科名は「ブランディング」として正しいだろうか。

という話の元ネタをFacebookでチラと書いたら、どうもこの背景には文科省の指導があるらしい。となると、またこれを貼るしかないな。

PS.

ふと思ったのだけど、私なんかは「なんとか学科」は「なんとか学をやる科」だと思ってるけど、最近の学科は「なんとかの学科」という意味なんじゃないかとゆー気がする。つまり、大学内のクラスの分類のための名称であって、学問の分類の名称ではないと。それなら別にユニーク過ぎてもいいわけだ。まぁ、それでも、外部の人間に訳がわからなきゃ意味がないと思うんだけど。

PS2.

そう言えば、「環境」とかもイミフ…

Twitterで教えてもらったんだが、学科名に顔文字が入ってる大学があった… このエントリは特定のどこかの大学を想定して書いてるわけではないので、どこだと特定してdisる気はないんだが。うーん。学生来るのか?