「反論の余地」は「理解の余地」

◆◆◆ Script Languages ◆◆◆についてはmatzも書いてるので、私が書いても「今さら」なのだけど。

書いてることの「気持ち」は理解しないでもないけど、随分と「選民意識」の強い人だなぁとしか感じない。件の人がなぜだかイラだっているということだけは通じて来るのだが、心を打つものもなければ、納得するものもない。

心を打たないのは、バリバリの選民意識のみが全面に出ているだけで、それ以上でもそれ以下でもないということである。件の方が気がついていない一番の「トンデモ」は、

今Lispを使ってない人はLispを知らない人だけではない

ということを忘れているということだ。「今Lispを使ってない人」は今Lispを使ってないだけであって、過去使っていたかも知れない。また、今使ってない理由も、単に「挫折した」だけではなくて、

  • Lispを使う用がない
  • Lispに失望した
  • Lispの必要性を感じなくなった

などなど、いろいろあるはずだ。

「知らない/わからない」というのだけが理由であるなら、件の人の「罵倒」もまぁからんでもないが、そうでない人が使わないのにはそれなりに理由があるわけで、その部分を無視して「Lispを知らない奴」とか言うのはトンデモだ。

私はLispは好きな言語であるから、使う機会があってそれがLispを使うべきと結論されるプロジェクトであるなら、Lispを使いたいと思う。じゃあLispのコミュニティが好きかと言えば、嫌悪感の方が先に立つ。出来ることなら関わりたくないし、自分の「Lispの作品」は彼等の目に触れさせたくもない。「選民意識」バリバリの小姑達に批評されたいとは思わないからだ。

というのは「心を打たない」という話なのだが、件の話は「納得」させるものもない。

なぜなら、件の人が「なぜそう考えるのか」「どうしてそう結論づけるのか」ということについて、論理的な説明が一切ないからだ。だから、「選民意識への嫌悪」をすることや、「あんたのプロファイリングはなんか違うぞ」と言うことは出来ても、「反論」する余地がない。

言語仕様を小さくまとめてライブラリで言語をリッチにしていこう、という考え方があります。残念ながらこれは端的に間違ってます。

とか言われたところで、「俺の感覚とは違うぜ」とは思いはしても、「とは言え(私よりも偉いであろう)この人がそう結論するには、きっとそれなりの理由があるに違いない」と思ったところで、その「理由」を知ることができない。

反論の余地がないから、理解する余地もない。ただ「選民意識」が鼻につくだけである。

しかし、LispのANSIってそんなに「完備」しているの? 私が規格に関わっているCOBOLに関して言えば、ISOの規格は「いらないものだらけ」で、時代に遅れ過ぎてもう誰も使ってない仕様まで、互換性のために残っていたりする。ある仕様をobsoleteにするだけでも、大変な手間がかかるのだが。もしかして「素晴しいLispという言語」はそんなアホな仕様は皆無なのか?