「お局」がそんなに気に入らないかね?

日経アソシエで、また吉田さんとお仕事。

【第168回】私は「女番長」に似ているところがあります…

火消しに呼ばれたけど、なんか炎上してるらしいんw しかし、なんでそうなんだろうね。

最近は炎上ごととゆーか、自分の書いたものへの反応とか興味持たなくなって、自分の書いたエントリのはてブでさえも、後になって「へー」って思って見るくらい。元々コメント欄に興味がないし、ましてや人様の記事なので、「へー、そうですか」という程度。とは言え、言うべきは言っておかないと。

これも基本的に私の原稿じゃなくって、吉田さんの記事なんで、あまりさしでがましいことを言ってもしょうがない。私の言った(書いた)部分がいろいろ編集されて残念なこともないわけじゃないけど、まぁ妥当じゃないかなと思ってる。

どうも炎上の根本は、「お局」だ「女番長」だって表現にあるような気がする。で、それが気に入らない人達が「給湯室」で盛り上がってる。そんな感じ。

「お局」だ「女番長」だって呼び方が気に入らなければ、「不愉快女性社員」でも何でもいいんだけど、あいにくそこには「女性」という文字が入ってしまう。だけど、内容は違っても「不愉快男性社員」が存在しないって言ってるつもりはない。今回は「不愉快女性社員」の話だったというだけで、いずれ「不愉快男性社員」の話も書かれるだろう。ってか、総じて吉田さんの連載は「不愉快男性社員」の話が多いような気がしてたんだが。

なんとゆーか、ある程度経験を積んで行く過程で、男には男の、女には女の「腐れ方」があって、

熟成に失敗して腐敗

してしまうことががしばしばある… ってことまでは同意出来るのではないかな。腐臭を発してしまったものに「おうんこ」とか「お汚物」とか呼ばないだけで、「お局」だの「セクハラオヤジ」だのという、上品でない呼び方で呼ばれてるってだけだ。

これは自戒も込めてなんだけど、人間も機械と同じで、

古くなると劣化する

ものだと思っている。もちろん、新しい機械が十分パフォーマンスを出すのには「慣らし運転」が必要なのと同じように、人間もそういった過程が必要になる。それを過ぎると、しばらくはフルパフォーマンスで働くことが出来る。でもそこでメンテを怠ると、あちこち調子が悪くなって来る。そして、それは意外に早くやって来る。もちろん劣化してしまう前にうまくメンテしてやれば、フルパフォーマンスを越えて運転しても何とかなる程度にまでは調子も良くなる。

他の業界はよく知らないけれど、私の歩いて来た業界はたいていそうで、マメに自分自身のメンテをやって行かないと、急激に劣化してしまう。私は高専出てすぐに働いているのだけど、

1年目にして自分の限界を感じる

ことがあった。これは未熟とかなんとかではなくて、やっぱりメンテの問題で、「慣らし運転」の時だってちゃんとメンテしてやらなきゃ、劣化してしまうわけだ。運転を始めた時から、劣化は始まっている。機械も人間もだ。

という話はいずれ書くとして、基本的に人間は古くなると劣化する。それを単に劣化させないために、「熟成」をさせなきゃいけないんだけど、そこに何かがあると「腐敗」してしまう。ところが、機械には法定耐用年数があるように、人間にも「定年」がある。いくらボロになったところで、規定の期間よりも短い期間では捨てるわけには行かない。「老害」として「お局」として、廃棄されずに残る。

職業人として、「仕事の能力」についてのメンテの必要性を感じる人は少なくない。また、会社も、「仕事の能力」についてはメンテをしてくれたりする。そんなわけで、「仕事の能力」についてボロになることは、なかなかない。もちろん全くないわけじゃなくて、「COBOLer化」してしまうこともあるから注意は必要なんだけど、それよりも問題になるのは、

行動

の方だ。もちろん、「会社(社会)の泳ぎ方」ってのは、程々社会経験を積むと身について来る。でもそこで腐っちゃったりする。

それは、単に「人として」の加齢ということもあれば、「男として」「女として」という部分があるのも事実だ。劣化する前は単なる「性差」に過ぎなかったことが、劣化してしまうと単なる性差以上、男ならでは、女ならではの腐敗をしてしまう。それが「お局」であり「セクハラおやじ」だということだ。そして、どんな綺麗事を言ったところで、程度の違いこそあれ、それらは

現実の存在

なのだから、それらに対処すること、あるいはそうなってしまった人がそれから脱する方法について議論されるのは、「職場を生きぬく」ことには必須なんじゃないかと思うんだが。

我々はよく勘違いするけど、そういった「現実」から目を逸らしたところで問題は解決しない。原発に「安全だ」って声をかけて安全になったりはしない。対策してなかったことが起きて「想定外」とか言ってもしょうがないのだ。

また、その勘違いをしない人でも、そういった「現実」は変えられると勘違いしている。もちろん長期的には変えられないことはないのだけど、それは役員を持ってしても簡単じゃない。だって、そんなものが簡単に変えられるんだったら、「大企業病」みたいなものは存在しないはず。

だから、個人に出来ることは、そういった「現実」を認めて、「いかにその環境で泳ぐか」を考えることと、「いかにそうならないか」と考えること、そしてそれに沿って行動することくらいだ。コメント欄を炎上させて現実から目を逸らしたところで、「女番長」だったり「お局」だったり、あるいは「セクハラおやじ」であったりする現実は変わらないし、そういった人達がいるって現実も変わらない。

まーそういったリアリティがあるんで、あの連載が好きでお手伝いしたりしてるわけ。表現につっこみどころがないわけじゃないけどねw