皮肉でも何でもなくて、ストレートに「ゲイツは偉い」と感心した。
何が偉いと言って、ここまで綺麗に自由主義資本主義を理解し、それをストレートに実行し、さらにその実行を摸索する。これはつまり「自分の土俵とは何か」「その土俵では何をすると勝てるか」を理解し、「それを実践する」という、極めてあたり前のことを実行しているということだ。そして、彼はそういった自分を素直に認めつつ、自分の弱点を理解している。
我々は、その「あたり前」のことを忘れた結果の敗北を、土俵のせいにしたり、「調子(運)」のせいにしたりする。また、自分の「強み」は「傲り」のネタにするか、気がついてなかったりする。
私が「尊敬する人」にゲイツを挙げているのは、そういった「あたり前のことをあたり前のように、かつ全力で」する、それ以上でもそれ以下でもないという点だ。それと共に、彼は決して傲らない。つまらないところで「お腹いっぱい」になったりしない。そういった「出来そうで出来ない」ことをやってしまっているというのがゲイツの偉いところだ。
ついで、糸井重里もなかなかの人物だね。
どうも彼も「あたり前のことをあたり前のように、かつ全力で」やっているようだ。
さらについでに、ひろゆきも偉い。
彼も極めて「あたり前のことをあたり前に」だな。
「過渡期」には確かに「あたり前でないこと」も盛り上がるし、うまく「上昇気流」に乗ればそっちがあたり前になってしまうこともないではない。だけど、結局「王道」は「あたり前のこと」なんだよなぁ。