優しくするということ

私は下に甘い。

厳しくするのはかなりバランスが必要なことだし、放置して変な方向に行かれても困るので、なるべくフォローすることにしている。フォローは「介入」という意味でもあるので、自分の介入する部分が増えるのも都合が良い。また、厳しくすると「気を悪くするのも嫌だしな」とか思うと、ますます甘くなってしまう。

「厳しくしないと育たないよ」という意見もあるのだけど、どうせ仕事していれば外的要因で厳しい目には会うはずだから、何も私が厳しくしなくてもいいやと思っている。「嘘つけ、かなりキツいこと言うじゃないか」と言う向きもあるだろうが、コミュニティ相手は違うということと、相手の許容度によって違うだけだ。「最後には俺がやってやるよ」というつもりでいる。

相手の感情を無視すれば、厳しくするのは楽だ。また、いつでも換えがあると思えば、厳しくして選別することだってできる。「コミュニティ」であれば、何も「上」は私だけじゃなくて他の人もいるのだから、私のやり方が気に入らなければ他の人につけばいい。だから、いわゆる「自分のやり方」でもいい。だけど、会社となると「上」と「下」はある程度固定なので、お互いに「換え」はない。それを考えると、安全と保身を考えて、どうしても甘い方になってしまう。

(ご)さんの日記で、質問:手作りパソコンの価格が納得できません。という話が出ていた。これが普通のオープンなコミュニティだと、タコ殴りにあったあげくに逆ギレとなるのが普通のパターンではないか思う。ところが、前向きに終わっているところが凄い。ある見方をすれば、「甘い」というように見える。しかし、質問者の改心の具合を見ていると、これはアリだなと思う。

確かに世の中に「教えて君」はいて、結構ウザい存在だ。同じようなこと(時には同じこと)を何度も聞いて来るとか、何を聞きたいのかわからないとかという人は少なくない。しかし、最初の聞き方がタコいのは、やはりしょうがない。誰でも最初は何もわからないものだ。

私が256本で書いた「タコは宝」ということはしばしば誤解されて、タコ自身の開き直りの言葉として使われている。これ自体は非常に由々しいと思っているので、次の本では「タコは氏ね」とか書くつもりでいるのだが、最初はやっぱりみんなタコであり、それはしょうがないのだ。苦労はいくらでもあるんだから、せめて人に対する時くらいは甘やかしてもいいのではないか?

たとえそれが「教えて君」であっても、スキルが身につかないのが本人にとっては一番辛いし、半ば嘲りを含んだような教えられ方をしていれば、その人の評価も下がる。評価が下がるところを晒されながらも「教えて君」をやるというのは、多分未来の本人が見れば辛いことだろう。教える方は「お前はこんなこともわからないくらい馬鹿なんだよ」と思いながら教えてやれば溜飲も下がろう。

下の者は甘いくらい優しくしてやって良いと思う。