「炙りユッケ」

生肉がヤバいらしい。まぁ、既にワイドショー的になってるんで、一々リンクは上げないけど。

生肉好きとしては実に残念だ。

まぁそんなことなんで、虚構新聞がアップを始めている。

 「ユッケ、よく焼いて食べて」 消費者庁呼びかけ

で、ふと思いついた。

今の生肉騒動をちょっと上から目線で言うなら、「変なところで変なもの食うからだよ」って感じだ。「生」ってどんなものか知っていれば、「激安」とかありえんって。だから、「激安」に飛びつく奴等も、「生肉の衛生リスクが云々」としたり顔で言う奴等も、

生肉がわかってない

という点では大差ない。知識がないからいたずらに恐れ、知識がないからリスクを軽く見る。まぁ、ここんところそんなものばっかりなんで、驚くには値しないけど。

私は海の近くで生まれ育った(石見銀山が至近)ので、刺身なんて

今朝採れた魚だけ

みたいな環境にいた。海辺の町から行商のおばさんが運んで来た魚を食っていた。長じて松江に住むようになってから、刺身とか食うと「なんか古い」って気持ち悪かったものだ。いや、それも東京とかと比べりゃずっと新鮮なんだけどね。

牡蠣が好きなんだけど、どうも私は牡蠣がちょっと古いと当たる中る。あたってもあたっても食ううちに、どうやらいわゆる細菌感染の類じゃなくて、ちょっと古いのを食うとアレルギーが出るらしいことに気がついた。だから、もう本当に新しいのしか食わないことにした。

さらに長じて「生肉」なんてものを食うようになってからは、そういった経験があったので、滅多やたらには食わなくて、信用の出来る店でしか食わない。もちろん安くないんだけど、魚は「新しくないと刺身にしないし、新しいと高い」ってのが頭にあったから、「そんなもんだ」と思っていた。レバ刺しなんて結構どこの店にもあるけど、かなり警戒して食わないものの一つだ。好きだけど。てか、あんまり質の悪いのは美味しくないしね。

なんてことを思いつつ、やや上から目線で一連のことを見てた。だいたいチェーン店なんて…

で、例の虚構新聞を見て思いついたのが、

ユッケ炙ればいいんじゃね?

ってこと。別によく焼かんでも、タタキにすればかなりリスク減るし、それは結構旨そうだ。

ってことをtweetしてたら、竹岡@AXEさんが、「炙りユッケ」なるものがあるらしいことを教えてくれた。ほーっと思ってググってみる。

炙りユッケ

なんだ随分あるじゃんwww どうも、どれもそれなりに旨いらしいよ。

タケルンバが書いているように、「赤ちょうちん」の「焼き」は大変旨い。そりゃ生で食えるクオリティのモツを焼いて食うんだから、モツにありがちの嫌な苦さとか全くない。「私はモツが苦手で」と言う人が食えば、認識を改めるだろう。てか、実際に何人かモツ嫌いな奴をモツ好きにさせた。

他の店でレバ刺しを食う時も、時々イタズラで焼いて食ったりするんだけど、これもたいそうおいしい。一応生で食わせようかってレバーなんだから、激レアでも食えるし、それがまたおいしい。

魚の刺身も大量にあって食い飽きてしまうような時(座敷の宴会とかよくあるよね)は、鍋にちょっとくぐらせて軽く火を通してやると、これもまたおいしいし、目先が変わる。

つまり、

生で美味しい肉は、軽く火を通しても旨い

のだ。ものによっては、生よりも軽く火を通した方が、食材が活性化されて旨いくらいだ。

とか考えると、「炙りユッケ」ってのは間違った方向じゃないし、その方が食中毒のリスクは下がるんだから、もっと流行ってもいいように思う。「タタキ」って食い方はなんで生まれたかってことは、覚えておいても悪くなかろう。

PS.

「激安だからじゃない」的なつっこみがあるけど、そりゃもちろん値段のせいじゃない。でも、そこに「構造的なもの」があるんだと思うよ。生で食えるものをハンドリングするコストや手間って小さくないわけで。

生食用食肉が流通しないのは

新鮮な生肉なら安全なの?

PS2.

なんか「ネット世論」的には生肉は全部危険で思考停止してる人達が「賢い人」になってるようだ。まぁ、いつだって自分を安全地帯に置いて、多数派の覆面被って「良識」って石投げてりゃいいよ。だいたい、良識ある人は、こんな雑文は読まんもんだ。そうだろ?

PS3.

ふぐ汁や鯛もあるのに無分別

ふぐでなくても、無知な人間は無知のために、なにで斃れる失態は、たくさんの例がある。無知と半可通に与えられた宿命だ。

それでなくても、誰だってなにかで死ぬんだ。好きな道を歩んで死ぬ、それでいいじゃないか。好きでなかった道で斃れ、逝くものは逝く。同じ死ぬにしても、ふぐを食って死んうなんて恥ずかしい… てな賢明らしいことを言うものもがるが、そんなことはどうでもいい。

芭蕉という人、よほど常識的なところばかりを生命とする人らしい。彼の書、彼の句がそれを説明している。「鯛もあるのに無分別」なんて言うと、たいはふぐの代用品になれる資格があるかに聞こえ、また、たいはふぐ以上に美味いものであるかにも聞こえる。所詮、たいはふぐの代用にはならない。句としては名句かも知れないが、ちょっとしたシャレに過ぎない。小生などから見ると、芭蕉はふぐを知らずにふぐを語っているようだ。他の句は別として、この句はなんとしても不可解だ。たいである以上、いかにたいであっても、ふぐに比さるべきものでないと私は断言する。全然違うのだ。ふぐの魅力、それは絶対的なもので、他の何物をもってしても及ぶところではない。ふぐの特質は、こんな一片のシャレで葬り去られるものではなかろう。ふぐの味の特質は、もっともっと吟味されるべきだと私は考える。

それだからと言って、なんでもかでも、皆の者ども食えとは言わない。いやなものはいやでいい。ただ、ふぐを恐ろしがって口にせんような人は、それが大臣であっても、学者であっても、私の経験に徴すると、その多くが意気地なしで、インテリ風で、秀才型で、その実、気の利いた人間でない場合が多い。それが常識家の非常識であるとも言える。

死なんていうものは、もともと宿命的に決定されているものだ。徒らに死に恐怖を感じるは、常識至らずして、未だ人生を悟らないからではないか。

魯山人味道 P.94~95 「ふぐは毒魚か

PS4.

頭の悪い想像力の不自由な人のために「ぼくのかんがえたあぶりユッケ」を書いとくと、

タタキを刻む

ってことだ。一般に肉の細菌汚染は表面にある。だから、表面をよく焼いて、綺麗なまな板と包丁で刻めば、食中毒のリスクはステーキと同程度にまで下げられる。ゼロとは言わんが、これでやられるくらいだったら、生肉だけじゃなくてステーキも食うなってことになる。

これを逆にやって「刻んで炙る」ことにすると、しっかり火を通さなきゃいけないことになってしまって、「青椒肉絲のピーマン抜き」みたいなものにするしかない。ユッケっぽくしたら、何の解決もされてない。

「炙りユッケ」” への8件のコメント

  1. ひき肉状態にした段階で、菌が内部まで満遍なく混ざるので、外を炙っても駄目。
    菌は生き残って増殖を続ける。
    以前、成型肉のサイコロステーキ生焼け状態で、多数の食中毒患者を出した。
    わずか二年前の事。
    なので、炙りユッケはアウト。

  2. 頭悪いことをドヤ顔でコメントして来るなぁ…
    具体的にどう調理したものが「炙りユッケ」であるかなんて、一言も言及してないんだが。

  3. 頭悪いことをドヤ顔でコメントして来るなぁ…
    すばらしいことばをありがとう。
    会社経営頑張ってください。

  4. 優しい僕ちゃんは、なんで「頭が悪い」って言ってるか教えてあげちゃう。
    それはね、「自分で勝手に考えたものを、相手が考えたものだってことにして、その自分で勝手に考えたものがダメだってことで否定してる」からだよ。そりゃー、自分の頭でダメなものを考えたら、それはダメなものでしょ。
    そーゆー論法を「頭悪い」って言うの。

  5. 誤字の訂正を…この場合の「あたる」は「中る」です。中毒は「毒に中る:という意味ですので。

    ユッケについては既に報道されていますが、普通は店で塊の肉の外側を削いで捨てる「トリミング」というのを行うそうですが、中毒をだした彼の店では業者にトリミングしてもらった肉を仕入れてそのまま使ったとのこと。当然その間のタイムラグで菌は増えるし、業者のほうも生食用として出荷してたわけではないと言っており、二重の瑕疵ですね。

コメントは受け付けていません。