「新技術の習得」は麻薬だ

この世界どんどん新しい技術がやって来る。

やって来るのに追従するだけじゃ能がないぜ… ってのは、またいつか書くとして、やって来るものにはある程度追従しなきゃロートル扱いされても文句は言えない。

やっぱりベテランは使えない

このエントリにはいろいろ言いたいこともあるんだけど、ここにも「新しい技術への挑戦」をしないことに否定的に書いてある。モノサシとしてそれはある程度正しいと思う。

でも、twitterに流れる「勉強会」のTLを見て思うのは、「それは果して良いことか?」ということだったりする。

もちろん、新しい技術を創る側になるのは良いことだし、創る側でなくても、勉強しとくことそれ自体は悪いことじゃない。つーか、勉強しなきゃ世の中に取り残されるのがコの業界だ。

とは言え、昨今の「○○勉強会」の過剰とも思えるような隆盛、あるいは「勉強会ジャンキー」としか思えない人を見ると、どうもこの「新技術の習得」を手放しで良いことと言えないように思えてならない。

いわゆる「新技術」と称するものの中には、「単にベンダーが売りたいだけの技術」なんてのがある。その類の情報の有害性については昔書いたので、今回は触れない。

ここであえて言いたいのは、そういったことではなくて、新技術を習得しようとすることそのものだ。いや、何度でも言うけど、新技術は勉強し続けなきゃいかんよ。でも、「ジャンキー」状態になってるのがどうかと思うわけ。

知識を得ることは悪いことじゃない。どんどん新しいことにチャレンジする。それ自体は悪いことじゃない。それは「Wikipediaを見ること」も同じだ。今まで自分の知らなかったことを、リンクを辿るだけで知ることが出来る。そーゆー知識習得のハードルが下がった時代、これを使わない手はない。

同じように、新技術に触れられる機会は凄く増えた。勉強会なんて、毎日いくつやってるかってくらいやってる。こういったものに積極的に出るのは大事なことだ。

でも、そういった「知識習得」は

麻薬性

があることに気をつけなければいけない。得られた知識に実効性があるかどうか、あるいは知識を得られたかどうかとは関係なく、「知識習得」という行動自体に麻薬性がある。最初は真摯に知識を習得しようとした行動だったのが、いつの間にかそういった行動自体が目的化してしまう。

自分のことをふり返った時、自分の持っている欲の中で一番タチの悪いのは知識欲だ。知識欲は必要なものであり、普通肯定的に語られるものであるがゆえに、ブレーキとなるものがない。かつて、知識欲を昇華させる主な手段は読書だったから、自分の財布の具合がブレーキとなってくれていた。ところが、現代は知識欲を昇華させるのに必要なコストは限りなく下がっている。だから、「財布ブレーキ」は機能しない。持てる時間を全部使い果しても、まだ知識欲は満たされない。10代の頃の食欲や性欲を超えるような欲求にブレーキがないのだ。性欲や食欲だと、社会的にも「いい加減にしとけよ」という圧力があるのだが、知識欲にはそれもあまりない。こうして、「知識ジャンキー」が出来上がってしまう。

「新技術の習得」もこれに含まれる。かつては、そういった技術を試す機会なんてあまりなかったものだけど、今は試すコストも低い。かつてなら想像もつかないくらい大変だったことでも、いとも簡単に出来てしまう。やる気さえあれば、何でもいくらでも出来てしまうし、それ自体は推奨されることはあっても、世間的に「いい加減にしとけよ」という圧力はない。やろうと思えばどこまでも… どころか、やればやる程欲が出る。

ある技術が芽を出すかどうか、自分の役に立つかどうか、そういったことを見極めるのは容易じゃない。だからこそ、多めにやっとかなきゃいけない。とは言え、無制限にやって良いかと言えばそうでもない。何しろ勉強するってことは時間を食うことだから、無制限にやることは不可能だ。だからこそ、適当なところで抑えとかなきゃいけない。

幸いなことに、他人が既にやってしまったことは、後からキャッチアップするのはそう難しくない。その世界のリーダーになりたいのであれば、後から追い上げても無理だろうが、「使う」ということであれば、「オンデマンド学習」でも何とかなる。そう考えれば、何が何でも全てのお勉強を「今」やる必要なんてない。まぁだからと言ってサボってて良いってものでもないから、

当面のアウトプットが出せるかどうか

あたりで判断しても、そうそう大問題にはならないはずだ。また、何らかのアウトプットを想定すれば、勉強そのものに「芯」が出来る。手当たり次第に勉強ではなくて、アウトプットとゆー目的のために、系統立てて取捨選択しながらやって行ける。だから、「アウトプットが出せるかどうか」はそう悪い考え方ではないのだ。

と言うか、アウトプットを出すアテもなく、ダラダラ勉強したって、それこそ「Wikipediaのダラ見」と同じだよ。せっかくのお勉強が、単なる時間の浪費と同じになってしまう。

PS.

ブコメに「勉強会の半分は交流会」とかあったけど、確かにそうだし、それも大事。そして、交流会は人脈を拡げるからいろいろ意味がある。なんだけど、それも結局↑で書いてるような性質があるのも確か。まぁ、「人脈構築」にはそこまでのめり込みはしないけど。

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This entry was posted on7月 24th, 2010 at 5:20:23. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. Both comments and pings are currently closed.

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