正しく理解させる戦略

中国3300万のブログと「反日」の関係

「言論」が増えて行けば、根拠のない一方的な主張は淘汰され、「事実」が生き残るという、一種楽観的な主張。もちろんそれには前提があって、情報の絶対量が増え、意見交換の機会が多く与えられなければならないとある。

実は私は昔からこの手の主張は正しいと思っている。また、この理屈の「穴」も知っていて、積極的にこれを利用してもいる。

「穴」というのはこの理屈の「裏」で、流通する情報の絶対量を極端に減らせば、それについてはマトモな議論ができなくなるということだ。ただ、この「穴」にも「穴」があって、よほど厳密に情報統制を行わなければならないし、なければないで「根拠のない一方的な主張」を許してしまうので、出来ることには限りがある。出来ることと言えば、「一人で墓場まで持って行く」類のことか、「公開を迫る方が馬鹿だと思われる」類のことでしかないと思った方がいい。

だから、まぁたいていのことは「情報を増やす」ことにより「誤解」や「根拠のない一方的な主張」を減らすことができる。隠し切れないことを隠して エラいことになるのは、「不祥事」にはありがちのこと。逆に「不祥事」であっても、とっとと謝って情報公開すれば、その姿勢が褒められたりする。そんなわ けで、ある程度意見交換がされる土壌があれば、積極的に情報公開をした方が、「正しい理解」を得やすい。

そんなわけなので、「誤解」や「根拠のない一方的な主張」を減らすには、「情報を増やす」ことだ。一々そういったものに反論をしていても、振り回されるコストも馬鹿にならないし、個別対応は難しい。それよりは情報そのものを増やして行けばいい。

だから、私は「私」を正しく理解されたいから、極力「実名」で物を言う。私が何を言ったかということそれ自体は、私の一方的な主張に過ぎないだろうが、「そういったことを言った」ということは事実だから、「私」というものの「情報を増やす」役に立つはずだ。

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