私はどうも「Google的な求人」というのは好きではない。そもそも、待遇で「引き抜く」という求人スタイルは好きではないし、「出来る奴」をこっちから選別して誘うというのも好きではない。それよりは「落ちている人」や「落ちようとしている人」「志しを同じくする人」をなるべく厚遇で「拾う」方を好む。また、中途よりは新卒だと思っている。
「引き抜き」を嫌うのは、その背景に「成果主義」なものがあるからだ。「成果主義」は良い時は良いが、悪い時は悪い。「成果主義」はそういった「わかりやすさ」が良いのだが、人には浮沈があるわけなので、いつも良いとは限らない。腰を据えて仕事するには、そういった浮沈も含めて受け入れる必要があるので、「浮いた時だけチヤホヤして、沈むと見放す」ようなことは「腰を据える」には邪魔になる。
特にソフトウェア開発なんてものは、年単位の仕事だ。個々のプロジェクトの工期は最近は短くなってしまっているが、「あるソフト」「あるシステム」という見方をすれば、やはり年単位である。そのソフトウェアのライフサイクルの間は、浮いた時も沈んだ時もあるわけだから、そういったタイムスケールで見なければならない。
しかし、「成果主義」となると、「評価対象期間の成果がどうであったか」が評価の対象となる。ロングスパンで見ることは、「成果主義」という見方からはアンフェアだ。ところがそうなると、「たまたま沈んでいる」時には厳しい評価を下すことになる。それは安易に運用されると、「目先の成果」ばかりを追うことになってしまって、「腰を据える」ということができなくなる。そういった環境で腰を据えたかったら、「成果を上げつつ地道にも頑張る」という、容易ならざることを行わなければならない。
また、「待遇」というのは、「個人の評価の結果」であると共に、「会社の評価の分配した結果」でもある。本当に「成果主義」であるなら、「個人の成果」を評価しないと本人は納得しないだろうが、「待遇」に反映するものは「個人の成果」だけではなく、「会社の成果」も絡んで来る。もちろん「個人の成果の総和が会社の成果だろ」という見方もあるし、そういった経営もアリだろうが、普通の会社の経営なら、「安定」も重視すべき課題である。そういったことまで絡むと、「成果主義」をうたうのは、不誠実なようにも思う。
「成果主義」を抜きにした「引き抜き」も不可能ではないが、その時には「効果的厚遇」はなかなか難しい。もちろん優秀な人を厚遇で迎えることは悪いことではないが、会社のバランスを考えると、なかなかそれも難しい。提示した厚遇が維持できないのは不誠実でもある。
不誠実ついでに言えば、たいていの「成果主義」をうたう会社は、「出来なくなったらポイの口実」というのが少なくない。だから、あまり企業としての実力のないところが「成果主義」なんて言ったら、それは「ブラック企業」だと決めつけても間違いではない。
以前にも書いたが、会社やプロジェクトは「定食」である。「メインディッシュ」となるものだけでは「酒の肴」にはなるが、「定食」にはならない。「メインディッシュ」になる食材は、主人が買いつけに行くのもアリだが、「御飯」や「漬物」まではそうしない。とは言え、それらもおろそかにはできないのが「定食」だ。「普通の組織」で途中で足りなくなるのは、「御飯」である。気の効いた定食屋は「おかわり自由」だったりするのは、それに似ている。
コストを考えると、「引き抜き」に見合うのは「メインディッシュ」な人なので、仮に「引き抜き」をするにしてもその範囲に留まる。
そう考えると、「Google的な求人」が効果的なのは「Googleのような組織」であって、そうでない組織がそれを真似ればミスマッチになる。Googleは「定食屋」と言うよりは「パーティー会場」なんだから。「パーティー会場」では「御飯もの」の人気は低い。
じゃあ、「お前はどんな奴が欲しいんだ?」と聞かれれば、
- 協調性のある奴
- やる気のある奴
- 性格のいい奴
- 頭のいい奴
- 愚直な奴
かな。今ある技術や名声の類は、とりあえずどうでもいい。要するに「育てやすく育ちやすい、かわいげのある奴」が一番だと思っている。そんな奴等を育てて行けば、いずれ「メインディッシュ」な人も出るだろう。