家族が大事だから無茶するんだよ

酒井さんに迷惑をかけた事件があったので、久々に酒井さんのブログを読んでみた。

日本人を苦しめる「仕事は家族より優先」という異常な発想

言いたいことはわかるんだが、これは勘違いはなはだしい部分があって看過出来ない。


何が「勘違い」かと言えば、主題そのものだ。

「仕事は家族より優先」という異常な発想

というところ。そりゃまぁ、団塊以前の高度成長期の人達はどうだか知らないが、団塊以後の奴等がそこまで「仕事優先」なんて思っちゃいない。ステレオタイプ化された「モーレツ社員」で話を展開されても困る。

確かに、一見「家族よりも仕事が大事」に見える人はいっぱいいる。また、そーゆー袋小路に入ってしまった人が少なくないことも否定しない。また、手段が目的化してしまうことは少なくない。だけど、そーゆー奴等もひっくるめて、

家族が大事だから仕事が大事

になってるはずだ。仕事優先で「家族サービス」をしないのも、仕事を失なえば家族が路頭に迷うことがわかっているからこそだ。だから、「仕事は家族より優先」なんて思っちゃいない。そんな「自主的」な選択行動じゃない。ただ単に、

家族が人質

になっているのだ。仕事を休めば、職を失ない、生活を失なう。だからこそ無茶をしているわけで、別に「家族より仕事が優先」とか思ってるわけじゃない。その証拠に、所帯持ちが転職する時、いったい何と一番戦わなきゃいけないか。所帯持ちなら当然にわかることだろう。普通の「いい会社」が「家族手当」みたいなものを出して所帯持ちを優遇するのも、人質を確保させてくれて忠誠度を上げたことに対する「ごほうび」でしかない。所帯を持たないことを社会的に半人前だとみなす風潮だって、「人質」を献上しないことへの批判だと言ってもいい。

「家族手当」は親を扶養してももらえないのが普通だ。何しろ扶養に入るような「親」はたいてい年金をもらっているか、貯金暮しだ。つまり、「職を失なって家族を路頭に迷わせる恐怖」なんてものは存在しないから、「人質」足りえない。あくまでも

人質は妻子

なのだ。また、そういった労働なんだから、

たとえば、自分のビジネスを大きくして、将来大金持ちになり、それで家族を楽にしてやろう、そのためにいまは家族との時間を犠牲にしても頑張る、というならまだわかる。

なんてことが可能なはずがない。人質に取られて社畜になっているだけのこと。

だから、件の問題は「そういった価値観」とかの問題じゃない。潜在的に存在している「職を失なうこと」への恐怖だ。職を失なえばすぐ食えなくなってしまう、自転車操業暮し。ここから逃れるための労働を必死にやっているのだ。

だから、「職を失なう恐怖」というような、むしろ「社会システム」上の問題を、個人や企業の「価値観」の問題に矮小化してしまったら、はてなー的カタルシスは味わえるだろうけど、それ以上のものにはなりえない。

また、↑をよく読めばわかると思うが、この「職を失なう恐怖」は企業にとって実に都合がいい。「嫌なら辞める」が困難になってしまうからだ。逆に、社会システムや経済を良くして「職を失なう恐怖」をなくしてしまったら、困るのはそういったものを利用して来た企業だってことになる。そういった企業が、「職を失なう恐怖」をなくさせることに手を貸すとは思えない。

とゆーのが酒井さんのエントリで思ったことなんだけど、私は別に仕事に必死になることが恥ずかしいことだとは思ってない。よく、海外在住のはてなー達が「海外ではそんな無茶な労働はしてない」「もっとお気楽に働けよ」みたいなことを書いているんだけど、私に言わせりゃ

いらんお世話

だと思う。まぁ、価値観の袋小路に入ってしまった人達に「別の人生もあるよ」という意味で言うのだったら意味がある。でもそれが、「必死に働かないことこそが美徳」的なメッセージだとすれば、いらんお世話だ。まぁだからこそ、あまり「あの辺」の人達のエントリは読まないことにしてるんだけど。そーゆー人達が嫌いって訳じゃないけどね。

私のように、特別な才能があるわけでも、特別な人脈があるわけでもない、特に要領がいいわけでもない人間にとって、何らかの「成功」を得るためには

愚鈍に働く

ことしか方法はない。他人が1時間に10やることを5しか出来ないんであれば、2倍の時間をかけるしかない。「怠けもののイタリア人」の真似なんてしてるわけには行かないのだ。「ウサギの能力」がないんだから、亀のように歩み続けるしかない。

幸いなことに、私は自分の仕事を自分が好きで選んでいるから、24時間働くことになっても、むしろ楽しいくらいだ。

今の時代、どうも「勤勉は美徳ではない」的な意見が好まれるみたいだけど、別に

どう働こうが俺の勝手

だ。24時間戦おうが午後はお昼寝になっていようが、「仕事は生活のための必要悪」になっていようが、「俺の勝手」でいいのだ。「俺には俺にスタイルがある」でいい。

働くスタイルなんて人それぞれだ。「イタリア人」や「中国人」がどうやっていようが、ネオニートの人や酒井さんがどう言っていようが、そんなことは「一つの参考」でしかない。「社畜」であったってそれはそれで人生だ。そういった表に見えるスタイルよりも、

そのスタイルに納得しているか?

ってことが大事なんじゃないか? 納得した労働が出来てなければ、いくら稼いでも「労働による充実感」なんてものは得られないんだよ。

PS.

と言ってたら、ひろゆきが

勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論

とか。そうさ、「幸福」とかってのは「俺の勝手」なのさ。

PS2.

「俺の勝手」だと労働力のダンピングがどーとかって言うけどさ。そーゆー日本人同志でカルテルするようなことをしてる隙に、外国人労働者や海外労働力が侵略して来るんだよ。それが良いとか悪いとかって議論はさて置き、それは事実としてやって来ている。「ダンピング」じゃなくて、何らかの「競争力」を持たなきゃいけないでしょ。「コストパフォーマンスの向上」と「ダンピング」は似て非なるものなんだから。

あと、「人間性を失なう程働くのが問題で」とか言ってるのもいたけど、だからこそ「納得してるか?」と問うているわけ。それにまぁ、「人質」取られてりゃ、人間性失なってもしょうがないよね。だからこそ、「選択の問題じゃない」と言ってるんだが。

家族が大事だから無茶するんだよ” への3件のコメント

  1. ピンバック: Tweets that mention 家族が大事だから無茶するんだよ | おごちゃんの雑文 -- Topsy.com

  2. こんにちは。

    はてなー界隈への「いらんお世話」はその通りだと思う。

    #そういったブログを書いている人は、
    #最後に「※個人の感想です。効果には個人差があります」と
    #テロップを入れるべき、と思う。

    あと、1点。

    コンプライアンスを遵守できないような会社はダメ

    って感じのことだけはどこかに書いて欲しいです。
    自分の意思とは関係なく強制的に働かされる人が問題なので。

  3. ピンバック: 日本人を苦しめる職を失なうことの恐怖 « When you were young

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