「日本の○○は残念だ」考

まぁこの手のことに私が言い返す言葉は一つしかない。

残念だと思うなら、お前が何とかしろ

だ。

これが、たとえば「アメリカの○○」だとそうは行かない。「アメリカ」が「隣の家」でも同じで、自分が主体になることが不可能なもの、当事者でないものに関して「お前が何とかしろ」は意味がない。もっとも、そういった類の批判は、たいていは

余計なお世話

でしかない。当事者達はそれで満足(あるいは甘受)しているんだから。だから、日本に住んでもいない奴に「日本のウェブは残念だ」とか言われても、「君には関係ないから」でしかない。

「当事者」となると、責任の一端はある。それが大きいか小さいかは立場によるのだが、「一利用者」であっても全くないわけじゃない。気にいらなければ利用をやめて当事者でなくなるという選択も出来るわけで、そこをあえて当事者の一人でいるからには責任は皆無ではない。「ダメなサービス」を生き長らえさせるのは、「ダメな利用者」だ。

「お前が何とかしろ」はよく「言い出しっぺの法則」と混同されるし、似た部分は少なくないのだが、別にそうではない。「言い出しっぺの法則」は「何も出来ない奴は黙ってろ」的な言論封殺として使われることも少なくないが、そういったものとは違う。そういったことよりも、

問題点がわかってるなら、
わかってる奴が考える

方が解決は早いということだ。

とか言うと、「いや、私は単なる利用者で技術的なことはわかりません。でも、利用者として不満があるのです」と返す奴もいる。確かにこれを使って利用者の声を封殺する奴もいるから、そういった逃げもあるだろう。しかし、単なる利用者であっても、「不便なものは使わない」とか「もっと便利なものを選択する」とか、あるいは

解決能力のある奴に金を出す

とか、やれることはたくさんある。だから、「あなた」に出来ないことが皆無なわけじゃない。それは「小さな一歩」の類かも知れないが、そういったものが集まって結果は作られて行く。

だから、自分が当事者であるものに対して「残念だ」と思ったら、残念だ残念だと言ってる暇に、

じゃあ自分がするべきことは何か

ということを考えた方がいい。あなたが当事者である限り、やれることが皆無であるはずがない。「一利用者」も立派に当事者なのだ。

PS.

想像力が残念な人のための補足しておくと、「するべきこと」の中には「アジテーション」の類も含まれている。だから、話題になっている元ネタのような「釣り」をすること、あるいはそれに全力で釣られることも、実は「するべきこと」に含まれるわけだ。

だから、あんまり目くじら立ててもしょうがない… のも一つの考えだし、全力で釣られて議論するのもアリだな。意外に釣りじゃなくて本気だったのかも知れないけど、「釣り」ってことにしておいた方が、価値があると思う。