これからの時代の助けあい

id:itkzの日記

掃除は終わりました

これがちょっといい。何がいいかと言えば、

本当に助かった。今後も面倒なことがあったら、インターネットの力で他人の労働力をあてにしていきたい。

のところ。

マジメな人が見れば、「何甘いこと言ってんだよ」なんだろうけど、こういった「ゆるさ」って無理して生きないためにはいいことだと思う。だいたい、現代はマジメ過ぎる人が、しなくていい苦労して苦しんでる。そりゃまぁ、ゆるくてダラダラしてる人を見ればイライラする類の人種も多いし、私も実はそっちの側… ってことは何度も書いて来てるけど、そういったイライラは、

精神衛生上良くない

ものだってことも知っている。やたらピンピンに張りつめて生きて、いろんなことの板挟みになって苦しむのが、こういった人種。でも、そんなことやっても、結局自分も周囲もあまり幸せになれない。普段はいいけど、精神をやられたら、周囲は困る。みんなもっと不真面目に生きるべきだ。

ということもあるんだけど、「インターネットの力で」というのがいい。これは、かつては「町内」とか「ご近所」とか、そういったものだったことだ。そういったものが「コミュニティ」として存在していた。でも、現代はそういったコミュニティはかなり崩壊していたり、うまく機能していなかったり… ということはあるし、あまり「若者」が参加しないって話もよく聞く。

でも、「インターネット」的な「ご近所」とか「コミュニティ」とか見れば、「若者」はどんどん参加しているし、わりと機能している。いわゆる「祭」の類もあるし、「助けあい」もある。残念なのは、物理的な距離があまり近くないということがあったりするとなんだけど、都会ならまぁたいていの奴等は「片道1時間」くらいで何とかなる範囲にいる。田舎だと、下手すりゃ本当の近所でも片道1時間くらいかかったりするわけなんで、安否を常に知ることが出来るということを考えれば、あまり物理的な距離は問題にならないとも言える。てか、

疎遠なご近所より、親しいネットの彼方

ではないかとも思う。

そんなことを思うと、ネットの彼方の奴等同志で頼り頼られているというのは、「これから」を思うと非常に意味のあることじゃないかと思う。現代のストレスの元とか、「老後」を思えば、こういった関係を構築しやすい環境を作って行くのは意味があるはずだ。

これからの時代の助けあい” への2件のコメント

  1. 「疎遠なご近所より、親しいネットの彼方」
    ものすごく同意です。
    ただやはり物理的な距離と言うのは今のところ物凄く問題なのは事実ですよね。

    ネットスタートの繋がりに顔出しに行ったり、突っ込んだりしたいのですが、物理的問題に阻まれて行けておりません(汗

    せめて移動手段のコストが劇的に下がればもう少しなんとかなると思うのですけどねえ。

  2. まぁ実際に通りとね。

    でも、ある程度の規模になると、比較的近くでも仲間が増えるわけで。そっちのネットワークもいろいろ期待してるわけですよ。

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