「不真面目に生きなさい」

2ちゃんのスレらしい。

リアル84歳だけど質問ある?

この「84歳」が釣りなのかガチなのかは、まぁどうでもいい。「針が見えていても全力で釣られるのがVIPPER」なのだから。表題の言葉は、「若者に一番伝えたいことは?」の答えらしい。

ちょうど「ある人」のことについて話していた後に読んだのだから、よけいに納得をした。いい言葉だ。

某所でとあるメンヘラー(と思われている人)の話になった。それが具体的に誰であるかとか、どんな文脈であるかは書かない。そこで「会ってみたら普通のマジメな人でした」という話だった。

そりゃまぁそうで、メンヘルなんてのはたいていは「普通のマジメな人」がなるものだ。だって、「普通でマジメ」でありたいと思うところに、それを許さない諸々があるからおかしくなる。もちろんそういった「逆境」に対する耐性は人それぞれ違うのだけど、耐性が低い人あるいは低い時に、「逆境」があるからなってしまう。本人の「あるべきと思っている姿」と現実のギャップで苦しんでなってしまうものだ。

もちろん例外もいっぱいあるけれど、周囲に何人かメンヘルがいる人なら、なんとなく納得出来るんじゃないかと思う。そう考えると、心の健康を保つための秘訣として「不真面目に生きる」ということは悪くない。「こうあるべき」というのを緩めておけば、ギャップに苦しむことも減る。まぁ「医療」に関することなんで、それが万能薬とは言わないけれど、ちょっと真面目さを減らすだけで楽になることは、世の中にいっぱいあるもんだ。逆境を正面から受け止める耐性のない時は、適当に受け流すようなことをやってもいいだろう。「ジョギングすると元気になる」と言っても、体調が悪い時は大人しくしておいた方が元気になるのだ。

ということもあるけれど、

人生って高々80年くらいの間の出来事

に過ぎない。泣いても笑ってもそれだけだ。「たった80年くらい」しかないから、楽しいことや素敵な人と関わるだけでも足りない。嫌なこと、楽しくないこと、嫌いなことを正面から受け止めて、それに時間をかけている暇なんてないのだ。だから、「修身的に正しいこと」に拘ることもない。

もちろん、ここで「1我慢」すれば「10いいこと」があると思うのなら、「1我慢」はしてもいいだろう。でも「10いいこと」が起きる前に死んでしまっては意味がないし、「1我慢」が効果があるかどうかもわからない。その判断がつかない「子供」のうちは、とりあえず「1我慢」しておけばいいと思う。子供なんだから、そんなにすぐ死んでしまうわけでもないだろうし。でも「大人」になってしまったら、その辺のバランスについて考えておくことは大事だと思う。

そう言われても人間だから迷ってしまうことは少なくない。でも、迷ってしまった時に「不真面目に生きる」方を選択することは、そんなに悪いことじゃない。だって、たいていの人は「普通にマジメ」にやってることの方が多いんだから。

人生折り返し点を過ぎてしまうと、「残り時間」を考えてしまう。私は死ねば天国ということは決まっているけれど、それがどんなところであるかは知らない。確実にわかっているのは今の人生だけだから、「確実に楽しむ」ことはもっと深刻に考えるべきだなぁとか思う。

「お前は既に十分不真面目だ」というつっこみは禁止なw