お正月

私は正月が嫌いである。これは私の勝手な想像だが、もはや日本人の何割かは、正月が嫌いなのではないかと思う。そして、そう遠くない将来、同じようなことを考える人が増えて、日本から正月という制度がなくなってしまうのではないかと思う。現代に於いて、正月の意義とは、

単なる連休

でしかないからだ。

正月は何が困ると言って、

世の中の経済活動が停止してしまう

のが一番困る。

私は父親の仕事の関係で、幼小の頃から正月というものと無縁の生活をしていたこともあり(父親は郵政事務官、つまり郵便配達であった)、正月は「単なる休日」程度にしか思っていない。いや、学校を卒業するまでは、休日ですらないことが多かったので、普通の日と同じであるとすら思っていた。つまり、普段通り生活したいのである。ところがその障害となるのが、「世間の経済活動の停止」である。簡単に言えば、「お店が休み」なのである。これは、何か急に必要になった時に買いに行くことが出来ないということを意味する。これは色々不便である。

最近はその不便さの解消からか、いくつかのスーパーやデパートの類が開店するようになったし、今年なぞは宅配便も営業していたりする。これは、非常にありがたいことである。と、同時に、このあたりの関連業種から「正月と言えど経済活動を停止させてはいけない」ということが波及して行くように思う。つまり、

お正月の崩壊

が起きようとしていると思うのだ。実際、元旦から営業しているスーパーやデパートにはお客が殺到している。この人達も私と同じように、経済活動が停止しているのが困るか、「日常」を求めているかどちらかではないかと思う。つまり、結局のところ

お正月は不要

と思っている人が多いのではないかと思う。

これに関連してであるが、この経済停滞をするために、年末が妙に忙しくなることがある。私はあまり年度末や年末に仕事が集中するような仕事をしているわけではないが、それでも色々あったりするので、仕事が増える。たかが、1週間ばかりの(取りたくもない)休日のために、忙しい思いをするのは御免である。

また、正月となると、「帰省」という問題が起きる。つまり、都会に出ていた人々が田舎へ帰るという民族大移動が起きるのである。それは学生が冬休みに入る、12月の中頃から始まり、クリスマスを過ぎた頃に一般人に波及し、御用納めを過ぎた頃にピークに達する。そして、3ヶ日を過ぎた頃から逆流が始まり、15日頃まで続く。幸い私は郷里は近いので、あまりこの民族大移動には参加していない。だから、

やりたい人は勝手にやれ!

なのであるが、そのあおりを食って、交通宿泊機関が麻痺するのが困るのである。だいたい12月中頃から1月中頃までは、仕事で出張したくても出来ないのである。いや、不可能ではないのであるが、色々効率が悪くなるので、出来ればあまりやりたくないのである。このことと、経済活動の停止のことも含めると、約1ヶ月間仕事が出来なくなるのである。これもやっぱり嬉しくない。

さらに嫌なのは、お正月には

お正月の挨拶

が必要なのが面倒くさいのだ。何しろこっちは正月が嫌いで

昨日の次は今日
今日の次は明日

という生活が好きなのだから、正月にことさらの意味を見い出していない。だから、正月だからと言って、特別な挨拶をするのはどうもピンと来ないし、面倒なのだ。そしてマズイことに、この「お正月の挨拶」は、いったいいつまでやれば良いのかわからないのである。ある人は三ヶ日で終わりだと言うし、別の人は七草までは正月だと言う。また、「とんど」までが正月だと主張する人もいるし、

1月の末頃にあけましておめでとうございます

などと挨拶する人もいる。こっちもいつまでやって良いのかわからないから、あいまいな笑みをするしかないのだ。ついでに言えば、年末の挨拶も一々あったりするので、こいつも面倒くさい。

と言うわけで、私は正月が嫌いなのである。ついでに付け加えるなら、雑誌に連載を書いている身だと、正月の他に盆とかゴールデンウィークも嫌いになる。

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