「ただイケ」は酸っぱいぶどう

前のエントリで女性を敵に回したような気がするんで、中和する意味で… というわけじゃないけど、焼き肉の時の会話から。

特に詳しくは書かないけれど、あるネタでキモいだの何だのと叩かれた青年は、実は結構イケメンだという話を聞いた。また、前にも書いたけど、私はイケメンには程遠いのだが、そこそこモテる。

この両方から、「ただイケ」は「酸っぱいぶどう」に過ぎないということがわかる。

まぁいくら私がモテると言っても知れている。怪しいアクセサリで「これでモテモテに」みたいな、そんなふうにモテるわけじゃない。毎晩女はとっかえひっかえ的にモテるわけでもない。そういったのを期待する向きは、怪しい情報小罪^H^H商材にでも手を出してくれ。

それでも、「ああ、俺って結構リア充だよな」としみじみ思うとか、たまに「おごってもいいんで食事に行きませんか」的お誘いが来たりとか、その程度だ。それでも、40過ぎた普通のおっさんにしてみれば、過分だろう。イケメンの類に遠いことなんて百も承知なんだから。

キモいだなんだと叩かれた青年に面識がある人(仮にタケルンバと呼ぶw)の話によると、彼はかなりのイケメンらしい。そのまま放っておけば、別に「おにゃのこ」に不自由する感じではないのだと。実際はどうだか知らないけど。

もうこれだけで十分だろう。モテるかどうかなんてのは、「イケメン」かどうかとは無関係なのだ。じゃ、これを分かつものは何か。

ここでの話はネット限定だ。私のモテ話も、件の人の叩かれ話もネットの上のことだ。とは言え、今や「出会いはネット」というシーンは少なくない。それは「男女の出会い」に限定された話ではないし、「ネット中心の出会い」というのでもない。社会において人と人をつなぐルートの一つとしてネットがあるということだ。

極めて当たり前のことなんだけど、

普通の人はネットに容姿を晒さない

ものだ。まぁ私は別に構いはしないから晒したりするし、その方が初対面の待ち合わせに便利なんだけど、たいていの人はあまり晒さない。晒さない事情や晒す事情は今回はどうでもいいけど、とにかく普通の人は晒していない。

ということは、「イケメンかどうか」なんてのは、わかろうはずがない。ここで「イケメン」のアドバンテージが消える。だから「イケメンはモテる」ということは否定される。

人の容姿の好みってのは、実はとてもいい加減なものだ。普段「イケメンに限る」的な発言をしていた女性に彼氏が出来たというので見たら、実はイケメンとは縁遠い感じの奴だったという話は枚挙にいとまがない。もちろん「生理的にダメなタイプ」とかってのもあるのだけど、いろいろな人の話を聞く限りでは、

ダメなタイプでなれば予選通過

らしい。50点どころか30点くらいでも十分なのだそうだ。

じゃ、「予選通過」以上になるには何が必要かと言えば、いわゆる「人物」とゆーか、その人とフィーリングが合うとか、面白いとか、楽しいとかと言った、容姿とはあまり関係ないところがポイントになる。

ネットでのコミュニケーションの時に、「人物」を感じるものは何かと言えば、

文章

以外にないと言ってもいい(mixiやtwitterだとアイコンのイメージも重要らしいが)。文章から人柄が伝わるし、文章の方向性やノリが「フィーリング」になったりする。ある人(仮にあきみちと呼ぶw)の話だと、それは

文章のオーラ

というものらしい。そういったものが美しいとか、好ましいとか、そういったことで、その人と合う合わないを感じるものなのだと。

だから、モテたいなとか、好ましく思われたいなと思えば、「イケメンかどうか」よりも、「文章のオーラ」に気をつけた方がいい。「イケメン」よりも

イケ文

なのだ。まぁ「イケメンに限る」と思っていれば、そういった努力しなくて済むから気楽でいいかも知れないけど。

「ただイケ」は酸っぱいぶどう” への1件のコメント

  1. 私はどうやら文章でとんでもない下品で怪しい女だと思われていたようです
    ひどい・・・・;;

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