「こってり」は避けた方が得

私はこってりしたものが好きだ。

でも、自分で作る料理はたいてい、あっさりしている。その方がいろいろお得だからだ。

一口に「こってり」と言ってもいろいろある。すぐ思いつくのでも、

  • 脂でこってり(東京ラーメンのこってり)
  • 濃度でこってり(天下一品のこってり)
  • 味の濃さでこってり
  • 甘さでこってり
  • 蛋白質でこってり(白子のこってり)

なんてのがある。どれも「こってり」と呼ばれるけど、いろいろ違う。違うとは言え共通なことは、

舌にまとわりつく

ということだ。濃さでまとわりつく他に、味覚として続きやすいものも「こってり」と認識するらしい。

どれもおいしいのだけど、「こってり」には重大な問題がある。それは、感覚がマヒしやすくすぐ慣れてしまい

「もっと」を求めてしまう

ということだ。これは「辛い」のに慣れてしまうのに似ている。「辛い」というのは味覚器官で感じるものではなくて、舌の痛点への刺激らしい。だから、慣れることが出来る。「こってり」も同じく味覚器官で感じると言うよりは触覚に近いから慣れてしまいやすいのではなかろうか? まぁメカニズムはどうでもいいけど、「辛さ」と「こってり」は慣れやすいということは把握しておいていい。まぁいずれも好きな人限定ではあるけど。

これの何が「重大な問題」かと言えば、「もっと」を求めてしまうことから、「こってり」が当たり前になってしまうということ。料理する上で特に厄介なのは、「味の濃さ」の「こってり」だ。もっと細かく言えば、「旨味成分の濃さ」を求めるのが問題なのだ。

この方向の「こってり」に慣れてしまうと、旨味を強化したくなる。化学調味料のそれは避ける人は少なくないけど、これは「出汁」の類でも同じだし、醤油や味噌でも同じだ。そういったグルタミン酸を中心とする旨味を強化することに慣れてしまうと、気がつくとそういったものが少ないと満足しない舌になってしまう。素材の味で十分なものに、つい味噌やら醤油やら加えてしまって、そういった味でないと満足しなくなってしまうわけだ。そして、その傾向は他の「こってり」よりもなりやすい。

同じようなことは他の「こってり」でも起きる。つい「こってりベクトル」を大きくしてしまう。「旨味成分」の「こってり」はいろいろなハードルが低くそうなりやすいというだけで、他の「こってり」も慣れてしまったり「もっと」を求めてしまうことは大差ない。

「こってり」は直接的にいくつかの害がある。たとえば、

  • コストがかかる
  • 素材の味が塗り潰される
  • 主食を呼びやすい

ということが挙げられる。「コスト」についてはたいていは無視しても良いし、「主食」についてはダイエット中の人が気にすれば良いだけなんだけど、「素材の味」が塗り潰されてわからなくなるのは、いい素材ほどもったいない。そして、これはその料理だけじゃなくて、他のものも連れてしまうというのがタチが悪いし、舌がそうなってしまうのもタチが悪い。だから、だんだん「素材を楽しむ」ということが出来なくなってしまう。

もちろん「こってり」は飽きやすく疲れやすいので、時々アクセントとして薄味を求めたりする。ウナギの時のお新香が美味しいというのはそういったことだ。でも、これはこれで「あっさりしていれば何でもいい」になってしまいやすいから、結局「素材を楽しむ」ことから縁遠くなってしまう。

そんなこともあるので、「こってり」は普段は避けておいた方がいい。美味しいものを美味しく食べるためだけではなく、その方がたまに食う「こってり」もより美味しく食べられる。

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