しょせんブログだろ?

タケルンバ卿のホットエントリが、ブコメで結構disられている。

音楽業界はどうなるんでしょうね – タケルンバ卿日記

要約すると「詰めが甘い」ってことのようだけど、一体彼の日記に何を期待してるんだ?

件のエントリに書かれている内容についての論評をする気はない。まぁブコメで語られているように「着うた」についての考察が欠けているというのは、確かに抜けてるなーとは思う。

でもまぁ、そういった「議論の糸口」としては十分で、タケルンバ自身が気がついているかどうかは別にして、「着うた」についての考察が必要だと言われるのは、「ぶろごすふぁいあー」的つーか群衆の叡智的にも良い発展だろうと思う。「着うた」について彼が気がついてなかったとすれば、それが出て来たというのはいいことだ。

ところが、ブコメ見ていると「レポートとしての詰めが甘い」的な意見が結構ある。まぁそりゃー確かにそうだろう。何たって、

高々素人の考察エントリ

であって、フィールドワーク的には不足であるのは当然だ。だいたい、こういった類のレポートは、文化庁やら経産省あたりが○1000万の調査費を出してレポートを出させる類のものだ。調査期間だってそれなりにある。もちろんそういったクオリティの高いものが出来ることは期待したいけれど、それを1円の調査費も出ていない、高々

タケルンバ卿の日記

ごときに期待してどうするつもりなのだ? そんなものにクオリティを求めなきゃいけないくらい、君達の「観測範囲(笑)」は狭いのか?

ああいった、考えてそうで実は詰めの甘いものというのは、要するに「議論」や「考察」のネタなのだ。甘い甘いとdisってる暇があったら、もっと資料を集めて来ればいい。これは「文句があったら自分でやれ」というわけじゃない、

わかってるならお前が書け

なのだ。「俺、こいつよりも頭いいんだぜ」とでも言いたげなブコメを並べる暇があったら、その「頭のいいところ」を見せてくれればいいのだ。「詰めが甘い」と言うなら、甘くないところまで詰めたものを見せてくれればいいのだ。「優越感ゲーム」みたいなオナニーは、一人で自分の部屋でやっていればいい。同じdisるんだって「ばーかばーか」と書くよりは、正面から論駁する方が格好もいい。

だいたいタイトルに「どうなるんでしょうね」って書かれていて、当の本人も自分のわかる範囲でのデータを並べる以上のことは出来なかった的なことを言っているのだ。だったら、そっから先はこれだけの資料を見て自分の頭で考えればいいだけだし、それでデータが足りないと思えば探して来ればいい。これだけ大量の「糸口」があるのだから、結論なんて他人に求めないで、自分で考えればいいだけのこと。タケルンバはタケルンバであって、君のママでも指導教官でもないのだ。

これだけネタと糸口が提供されて、何が不足なんだろう? 私には意味がわからない。それとも、肩の上にある丸いボールのようなものは、帽子の台でしかないのだろうか?

PS.

「しょせんブログという見方はしたくない」という意見があったので、ちょっと誤解されているようだ。私は「しょせんブログ」とは言っているけれど、別に「ブログはくだらないもの」という意味で言っているわけではない。

顕名で書いたブログであっても、あまたあるネット上の意見の一つに過ぎないのだ。そして、それが価値を持つのは「しょせんブログ」でしかないからこそ、不完全なエントリでも「糸口」として意味を持つのだ。つまり、

完成度よりも糸口

に価値があるわけだ。だからこそ、完成されたものとして過大な期待をするべきじゃないと共に、「詰めが甘い」的批判は的外れだと言っているわけ。

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  1. ピンバック: 昨日の風はどんなのだっけ?

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