医療機関の評価(ネット的な意味で)

今朝がた、へだち君が「ゆうメンタルクリニックの評判」についてメールを送って来てた。

私の周囲では評判が良いので、聞かれると勧めたりしているのだけど、ネットでの評判が分かれているということらしい。

ゆうメンタルクリニック

ここを読むと、いろいろ書かれているのだけど、現実の当該医療期間には特に問題があるようには感じない。

とは言え、私が実際に行ったわけではない(用がない)から、直接評価の材料は持っていない。ただ、「ゆう先生」のメルマガはずっと前から読んでいて開院の経緯とか読んで好感を持っていたということと、周囲の何人かが通っているということがあるだけだ。また、ここの前はよく通過するので(隣りのおにぎり屋が好きなのだ)、看板とかよく見知っているくらいか。客観情報的には、診療時間が長く休日もやっているということで、とてもコンビニエンスだから、行く用があれば行きやすいなと思ってるくらい。この手のクリニックで休日も診療しているというのは、もうそれだけでポイント高い。

しかし、客観的には、いくら前身にメルマガがあったとは言え、医療機関のサイトにマンガはないだろうとか、「ゆうきゆう先生」なる人物は何者なんだとか、何の関わりもない人が悪く言う材料はいくらでもある。

じゃあここがダメかと言えば、そういった結論を下すにはいくつかの重要な視点について考えることが必要になる。それは

  • 実際の医療成績に基くものではない
  • スレは実際の受診者による評判かどうかわからない
  • 評判の正当性がわからない

ということ。医療機関のベンチマークに必要な重要な視点が欠けているのだ。

大変に残念なことに、ほとんどの医療機関は成績を公開していない。後で述べるような事情があるとは言え、客観的なデータは公開されても良いんじゃないかなと思う。まぁこの辺はどこも公開していないから、公開されていないことが「悪い」という理由にはならないので、とりあえず置いておく。ただ、良いか悪いかという評価をする上では、大事なポイントであることは言うまでもない。

「ネットでの評判」はあくまでもネット上に書かれた情報に過ぎない。そして、誰もがわかっているように、たいていの「ネットでの評判」の発信者は匿名であり、その上当人の属性すらわからない。だから、それは「受診者の感想」なのか、「アンチの中傷」なのか「信者の工作」なのか、知る術がない。

また、件のスレを見ればわかるように、ちょっと肯定的なことを書けば「関係者乙」と書かれてしまう。匿名かつ属性不明の場で、自身が関係者でないことを証明するのは、ほとんど「悪魔の証明」になってしまう。「関係者」ならそれでも自身の匿名性を破れば何とかなるけれど、「信者」となるとそれも無理だ。何しろ実際に受診しなきゃ評価として意味がないし、それを肯定的に受け止めていることが「信者」ゆえなのか客観的にもそう思えることなのか、説明する術がない。それゆえ

「信者乙」は「いいから黙れ」という意味

になってしまう。この種の「黙れ」に反論するのは不可能だ。

となると、「ネットは悪評を集めるためのツール」として割り切ることになる。

さらに余計なことをつけ加えれば、「ゆうメンタルクリニック」のような精神科の場合、評価する資格を持つであろう受診者は、

ほとんど例外なくメンヘラー

なのだ。メンヘルのことを悪く言うつもりはないけれど、医療機関や医療従事者のような主観的評価の世界では、かなり微妙なことになるのは想像に難くない。そう思って件のスレを読めば、なかなか香ばしいなと思える。

実は医療機関の評価はかなり主観的なものでもある。

「完治」ということがあってそれが難しくない傷病なら、単純に「完治率」で評価することが出来る。「完治出来ない医者はヤブ」と言ってしまっても、まぁ異論は出ないだろう。

でも、「完治」する傷病は実はそんなに多くない。「完治」が事実上不可能で、「寛解」で納得しなけりゃいけないものは結構ある。「虫歯の治療」は削って詰めることだけど、別にそれは虫歯が「完治」したわけじゃない。その「寛解」であっても、傷病によっては「どう寛解したか」ということに違いがあるので、患者が納得しない形での寛解だと、医者は「治った」と言い、患者は「治ってない」と言ったりする。

さらに、「受診者がどんな医療を求めているか」がいろいろとある。たいていの人は完治を求めていても、精神科の場合は「自分を鬱病と診断し続ける」ことを求める人とか、「とにかくダラダラと薬がもらえる」ことを求める人が結構いる。サクっと完治してしまう医師が良い評価を得られるとは限らない。まぁそれ自体がメンヘルの症状だったりするのだけど。

歯科の場合にも「悪い歯は積極的に抜いて綺麗な義歯を入れる」という考え方の人と、「なるべく本人の歯を活かす」という考え方の人がいる。どっちが良いというものではないけれど、どっちを求めるかは人それぞれだから、この辺の「波長」がうまく合ってないと「あいつはヤブだ」ということになりかねない。コの業界での「最適化」みたいなもので、「何を軸にするか」ということは評価の上で重要になる。

そういったこととか考えると、「ネット上の評判」とか、週刊誌の特集にある「名医100選」みたいなものを、単純にスカラー量としてとらえるのは、あまり良いとらえ方ではない。ある人にとって良い医者が、別の人にとって良い医者であるとは限らないからだ。結局のところ、医療機関のベクトルと自分の求める医療のベクトルが一致しているかどうかが重要だということになる。

そんなわけで、ネットでの評判は肯定的な意見を必要とする人には役に立たないし、一見正当な評価を下しそうな機関のものであっても、「自分にとって」どうであるかはわからない。

医療機関の評価(ネット的な意味で)” への2件のコメント

  1. 実際に行ってみたところ(患者としてではないんですが)、電話や受付の応対は感じがよく、お医者様はちゃんと話を聞いてくれて非常にちゃんとした診療をしているという印象を受けました。
    情報というものは常にバイアスがかかっていることを考慮した上で利用しないと役立てるのは難しいですね。

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