料理を覚えるには、まずはレシピ通りに作ってみるのが近道だ。
いろいろ工夫してみたくなる気持ちはわかないではないが、とにかく最初は盲目的にレシピの通りに作るといい。それで成功体験をしてから、いろいろアレンジをすればいい。間違って最初からアレンジなんぞすれば、
嫁の飯がまずい
なことになる。
とは言え、そんなレシピの中にも料理が上達するものとそうでないものがある。
繰り返しになるが、料理を覚えるには、まずはレシピ通りに作ることだ。ちゃんと書かれたレシピであれば、そうそう酷いものにはならない。正しい材料、正しい手順で作ってみること。これは非常に大事だ。
ところが、レシピの選択には注意が必要だ。もちろん正確さということは大事だ。その「正確さ」は、「塩xxx.xxg」みたいな数値的精度ではなくて、「ちゃんと作れる」ということを目指した正確さだ。どんなに細かく書かれていても、実現困難なものじゃダメだし、実現してもバラツキの影響が大きくてもダメだ。
でも、それ以上に大事なことは、
本質を押えているか
ということだ。つまり、その料理の本質はどこにあり、ここさえ押えておけば、大外れはしないということを、きちんと押えてないといけない。
これが欠如していると、応用が出来なくなる。また、それが欠如したレシピを応用に使うと、とんでもないことになってしまう。そして応用の利かないレシピばかり使っていると、結局料理が上達しない。
たまに作るご馳走の時は、「それ用」に材料を買って来ればいい。だけど、日々の料理の時には冷蔵庫の中を見て「あれがあるからこれを作ろう」的な判断が出来ないと困る。そうしないと、献立を考える都度買物に行くことになり、面倒臭い上に不経済だ。だから、家庭料理的な意味では、
どれだけ応用が利くか
ということは、非常に大事なことになる。
かと言って、まるっきり違うものを作ってしまうのも、何か違う。豚汁に牛肉を使うと微妙なものになってしまうし、日本蕎麦で焼きそばは作れない。材料を置換しても、本質のところを崩さないということは大事なのだ。
そのためには、その料理の「本質」がどこにあって、何がそうでないかということが、きちんと書かれたレシピでなければならない。慣れてくればそんなのは自分でもわかるようになるれど、そうなる前までは、その本質が明示してあるレシピである方がいい。
私がここでよく書くレシピエントリには「○○とは要するに××だ」とか「○○の本質は××だ」ということを書いているのはそのためだ。変えて良い部分、変える時に気をつける点を明示しておくことによって、応用をしやすくしてあるのだ。また、調味料の分量を「適当に」とか書いているのは、それこそ適当にやってしまっても問題がないということだ。まぁ当然味見はしなきゃいけないんだけど。
そんなわけで、料理が上達したかったら、まずはレシピ通りに作るのはもちろんだが、そのレシピも「何が本質か」ということが明記してあるものを選ぶべきだ。高々1ページくらいに、材料と簡単な手順しか書いてないものではなくて、むしろエッセイ調にダラダラとその料理の蘊蓄を語っているくらいのレシピ、つまり
読み物としても楽しいレシピ
の方が、料理の上達には向いている。
レシピ通りにやっても料理が上達しない人は、レシピ本の質についても考えてみると良いと思う。
PS.
ブコメの「後で読ませる」に涙したのは私だけだろうか…
これは素晴らしいエントリ。
豚汁は豚肉を使うことが肝心で、その量とか野菜とかはどうでもいい。調味料も味噌じゃなくて醤油だっていいし。
でも豚肉だけは譲れない、ってことを書いてるレシピ本を選ぶべき。
豚肉はイノシン酸が過剰だから、ダシをとらなくても豚汁は美味しい、とか薀蓄を言う「ためしてガッテン」みたいのはレシピとして最強。
> 日本蕎麦で焼きそば
モスクワの日本料理屋で「焼きそば」を注文したらそういうのが出てきました。
やっと「多少の応用ができる」ようになってきた身としては、いちいちごもっとも! 新しいレシピ本探しに行こうかな。
私は、
○おいしくなる組み合わせ
○調理を中断してもいいところを知る
が重要だと思います。
結局、「家庭料理とは何か」ということを押えたレシピでないとダメってことですね。
電話が鳴ったら中断すべきかどうか、その応用は正しいかどうか、といった類のことまで配慮されているかどうか。