10年間は泥棒のように働け

いや、古いふぁぼを見てて自分の発言を見つけただけなんだけど、それで書いてなかったネタを思い出した。

会社にはよく「給料泥棒」と呼ばれる人がいるし、積極的にそう動こうとしてる人もいる。そいつらって「今」見れば単なる給料泥棒でしかなくても、たいてい最初からそうじゃない。最初はそれなりに仕事にモチベーションがあったはずだ。

じゃあ、なぜそうなったか?

知人が、今「給料泥棒」をしている。私はそんな働き方には否定的なのだけど、話を聞いていて「しょうがないな」と思うと共に、「そうなると人は給料泥棒になるのだな」と納得した。

それは何かと言えば、

評価すべきを評価してない

に尽きる。

労働のモチベーションは「給料」と「評価」にある。そして、特に強いのは「評価」であるし、ある意味「給料」はその結果でしかない。だから、良い評価をされることが、仕事のモチベーションにつながる。もちろんその「評価」の内容は様々だろうし、それにどう反応するかは人それぞれだけど、「評価」が労働のモチベーションであることに変わりはない。

ところが、その「評価」がなければどうなるかと言えば、残りの「給料」だけが残る。「評価」のモチベーションによって得るものは給料だけじゃないし、またそれによっての「貢献」は給料分を超える。でも、評価によるモチベーションをなくしてしまえば、給料以外に求めることがなくなり、「貢献」の意欲はなくなる。

冷静に考えれば、誰でもわかることだろう。

逆に言えば、「良い評価」があれば、給料以上の労働をしてしまうのが人間と言うものだ。経済的裏付けのない「誠意」だって、誰かが良い評価をしてしまうのが人間だ。それくらい「評価」というのは大事な「報酬」なのだ。

だから、会社の誰かが給料泥棒になってしまった時は、給料泥棒を責める前に、

正しく評価をしたか

ということを自責すべきだ。仮にそれが「悪い評価」であっても、何も評価されないよりはモチベーションが上がる。ましてや良い評価であれば、もっとだ。