捨てる潔さ

o64vv4のダイアリより。

捨てた。

HDDの容量不足で、自作の曲データをばっさり捨てたらしい。500GBが6000円を切ろうかと言う時代に「容量不足」という理由でオリジナルのものを捨ててしまうというのは、潔いと言うよりもったいなく感じる。とは言え、書かれている理由を見て納得。

短いエントリなので引用すると全文引用になってしまうからやめておくけど、要するに潔く、思い切り良く捨てて行かないと、微妙なものばかりになってしまうという話。ちょうど先日、他の人と似たような話をしていた。

その人は私にメールを書いていて、ソフトのバグでロストしてしまったらしい。本人は書き直す前の方が面白い内容だと言っていたのだけど。私はプログラムをロストして書き直すという話を返事に入れておいた。

昔はプログラムもよくロストした。何かの転みでファイル消してしまったり、手間かけた修正を飛ばしてしまったり。これはだんたん知恵がついて来て、マメに保存したり自動保存を使うようにしたり、あるいはバージョン管理システムを使うようになったりして、そういった失敗はなくなった。でも、昔はそういった失敗をするとそのモジュール単位で書き直しみたいなことをしばしばやっていて、それでかえってリファクタリングされたりしていた。だいたい書き直したコードの方が、綺麗で効率が良いものだ。

最近はそんな形では消えなくなってしまったものだから、「ここ書き直した方がいいよなー。でも手間も時間もないし、ちゃんと動いているからなぁ」と放置されているコードが増えてしまったように思う。現用のコードならそれでも良いのかも知れないけれど、流用する時になると消えないというのが果して良いのかどうなのか疑問になって来る。

長くプログラマやってると、いろんなコードの蓄積が増えて来ていて、私が今使っているコードは1980年代に書いたコードがあったりする。つまり、20年前だ。そんな昔のコード使い続けるのってどうよってのもわかるけど、書き直す手間も時間もないし、とりあえずちゃんと動いている実績もあるし、コストかけて書き直す価値のない部分でもあるので、そのまま使ってしまっている。消えないってのはこんなもんだ。

これはコード再利用という点では非常に良いことなのかも知れないけれど、本来もっとバッサリ捨てしまった方が、良いものになっているはずだ。だらだらと生き続けたコードはリファクタリングもされないし、もっと抜本的な見直しもされない。実は件のコードを代替するライブラリはいくつも存在しているから、そいつらに移行してしまっても悪くはない。

そういった意味では、「公開したら捨ててしまう」に近い潔さが必要なんじゃないかなという気がする。まぁコードだと「公開したら」みたいなタイミングでは難しいし、コード再利用ももちろん大切ではあるんだけど。

捨てる潔さ” への2件のコメント

  1. リンクしていただいたエントリ書いたo64vv4です。
    というか、以前メディアワークで一緒に働いてた小川(ogawa=o64vv4)です。お久しぶりです。まさかこういう形でつながるとは思っていなかったので。挨拶をしておこうと思いコメントしました。

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