記念撮影の一種なんだよ

Googleの態度に対する懸念を書いたもんだから、すっかり私がStreet Viewについて反対だと思われているようだけど、実は個人的には肯定的。

ちょうどうちの近所を撮影しに来た時には、それを目撃している。だから、公開された時に「私写ってるかな?」と思って、近所の画像を見たものだ。残念なことに、写ってなかったけど。

個人的には、勝手に写真を撮られることにはどうとも思っていない。そんなものに一々目くじら立てていたら、人前に出るなんて不可能だ。もちろん、いつも写真に撮られることを意識する程自意識過剰ではないけれど、顔や名前が知られてしまっている身としては、それなりにいろいろ配慮している。住所も公開しているので、いろいろ嫌なことがあるかも知れないけれど、その辺も一応考えて行動している。

逆に、そうやっていろんな人が撮った写真があちこちにあったり、ネットで探すといっぱい出て来たりするのは、個人的には嬉しい。だって、自分の記録があちこちに残っているということだから。私がStreet Viewでまず近所を見たのは、否定的な意味で自分が写っていないか見たかったのではなくて、肯定的な意味で見たかったのだ。何しろちょうど撮影中の車を目撃して、それを雑文に掲載しているのだから、自分が出てこそ「あいこ」だ。それに、まー一種の「記念撮影」みたいなもの。「あの日にこんなことがあったんだなぁ」と自分だけがわかる状態で記録されているのは、ちょっと楽しい。私にとっては検索のキャッシュと同じように、リアルをキャッシュしてくれているという感じなのだ。まぁあのエントリを書いた日は、とてもマズくて高いうな丼を食べて悲しかったということしか思い出さないのだけどw

Googleにはないけれど、国土地理院の航空写真集を見ると、私の郷里の古い画像が出て来る。もちろん地図作成用の航空写真だからそんなに細かくはないけれど、庭の諸々は識別出来る。撮影日を見ると私が中学生の頃のものなので、懐しく思いながら見る。この頃の自分の写真はあまり手元にはないので、なかなか貴重だ。

「お前はプライバシーは気にしないのか?」って言われそうだけど、実は個人的には「完全なプライバシーなぞ存在しない」と思っている。それに、

実社会は案外匿名性が高い

と思っている。

まぁこれは自分だけの感覚かも知れないけど、結構身近な人でも、その人と普段会わないところで見掛けると、その人と識別するのは難しい。その人と以前出会った場所とか普段見掛ける場所でならわかるのだけど、全然知らない場所でばったり会うとなかなかわからない。こっちはわりと特徴的な格好をしているから声をかけてくれるのだろうけど、「あんた誰?」なことが実は少なくない。

だから、たとえば普段私を見掛けないところで誰かが「私」を見掛けたと主張し、またその「私」が結構恥ずかしいことをしていたとしても、「世の中には似た人がいるんだねぇ」とすっとぼけりゃいい(多分たいていそうだし)。だから、どこかに出掛けた時にこっそり写真を撮られていても、あまり気にならない。たとえば池袋あたりで「露チュー」してそれが写真に撮られたところで、あんまり気にならない。

これはひっくり返せば、普段見掛けそうなところだとちゃんと識別されるということなので、いかにもいそうな場所の時には行動に気をつけるべきだ。私なら秋葉あたりで「露チュー」はしてはいけないわけだ。同じ理由で、今は削除されてしまった「乳もみ高校生カップル露チュー付き写真」は彼等の普段いるであろう場所で撮られているという点で危険だ。まぁ普段いる場所であんなことをするのは慎むべきだけど。

でもまぁこんなことは、別にGoogleカーがいる時でなくても、普段でも同じことだ。

そんなわけで、私はStreet Viewについては別に何も困らないし、否定的に見る理由はないし、仮に写っていても「記念撮影の一種」くらいにしか思ってない。

とは言え、それは私の普段の行動やら、それまでの経験にもとづくものだ。

私は田舎で産まれ育っているし、いわゆる「都会」では集合住宅しか知らないから、「街中の塀に囲まれた家」の人の気持ちや感覚は理解出来ない。田舎の家ではどこからも家の庭の中は見えてるから、高木せんせの指摘しているようなことは最初からない。集合住宅なんて庭もなけりゃ家の中も道から見えないから、まるっきり気にならない。だから、「街中の塀に囲まれた家」の人の「気持ち」はさっぱりわからないし、プライバシーが本当のところあるのかないのかすらわからない。感覚的に受け止められないのだ。

だから、否定的な声を聞くと不思議な気持ちになると共に「そう思う人もいるのだな」と思う。だって、自分が知らない、想像もつかないことって、他人が「こうだ」と言えばそれを受け入れるしかないんだから。だから、不安がる人を否定するべきではないし、そういった人達が反対しているなら、それには耳を傾けるべきだとも思う。Googleが自分たちの勝手な価値観を押しつけることに否定的になるのも、そういった理由から。あと、「特殊な地域への過剰な配慮」なんかを見ると、「言うことだけは立派なヘタレ」と思うけど、まぁそれは「品格」の問題に過ぎないだろう。

という個人的には例外的な存在のことを無視してしまえば、別に気にすることねーじゃんって思うし、そこに自分が写っているのは喜ぶことはあっても困ったり否定したりすることではないのよね。ネットだとマイニングの危険もあるけど、撮影日が入ってないようなので、それ程心配することもないんじゃないかな。もちろん懸念する声に対して「馬鹿言ってんじゃねーよ」と言うべきでもないと思うけどね。

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