アイマスやら初音ミクが流行るわけ

あまり芸能ニュースに興味はないし、この人達は誰だか知らないんだけど、

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よくわからんけど、酷いことをしたなという感じのニュースがあったのと、「スカートめくり」にひかれて読んでみた。なんということはない、映画のパブ記事で、ネタもけまらしい話。アホらしいったらありゃしない。

こないだから、アイマスやら初音ミクやらが流行ることについていろいろ考えていたのだけど、こういった記事も関係があるのではないかという気がした。

アイマスや初音ミクが流行っている。まずはこの辺の考察から。

私はいわゆる芸能に興味はないし、ヲタ文化的なものも距離を置くことにしているのだけど、ニコ動とか見ていればこれらと無縁でいるのは難しい。で、チラチラと見ていろいろ興味を感じるようになった。「初音ミク」はいろいろ面白いものが絡んでいるので前にも何度かエントリ書いたし、ここに転がっていたりするわけだけど、アイマスも同じように面白いと感じる。「ヲタ文化に対する嫌悪」を除いてしまえば、かなり多くの人が面白いと感じるのではないかと思う。

これらはヲタにとってはアイドルだ。もっとはっきりと言えば、現代の真のアイドルはここにしかいないのではないかとさえ思う。

と言うのも、アイマスにしても初音ミクにしても、

うんこをしない

からだ。「はぁ?」と思うかも知れないけれど、これは当然ながら事実。そんなこと何の関係があるかと言えば、古来日本にある伝説では、「アイドルはうんこしない」ということになっていたからだ。アイマスや初音ミクは間違いなくうんこしない。真のアイドルなのだ。

同じように、かつての「吉永早百合」とか「天地真理」とかもうんこしなかった。「ねーよ」と思うかも知れないし、今の彼女達からは想像つかないかも知れないけれど、アイドルなんてのはそんなもの。「うんこする」というようなリアリティを持った生身ではなく、一種「神格化」されたような存在だったのだ。「アイドル」と一般人の間には明確に境界線があり、そこを超えることは許されなかった。殿上人なるアイドルが下々に下ることもなければ、一般人がそのまま殿上に昇ることもなかった。二つの世界はメディアのみでつながっていた。

それがいつの頃からか境界線がなくなって来た。殿上人であったアイドルが「握手会」みたいなもので一般人と触れることがあったり、女性誌で「等身大の自分」を語ったりしている。貧乏なのにファンにおごらされてしまった声優もいるし、ファンとエッチしてスクープされたのとか年に何人かいる。リアリティのある生身の存在になったのだ。つまり、元々「うんこしない」はずだったものがいつの間かうんこするようになってしまった。

まー、実際のところ本当はアイドルと言えども「人」であって、うんこもエッチもするものだという現実が見えてしまっただけなのだけど、なんだか知らないんだけど、そういった「人」の部分が大手を振って現れたわけだ。それは多分「親しみ」というマーケッティングなんだろうと思うけれど、お陰でそれまでアイドルに抱いていた「幻想」は消えてしまった。

それまでのアイドルが提供してくれていた「うんこしない幻想」や「処女幻想」の類、単に憧れを持っていればいい存在だったアイドルが、いつの間にかリアルな人として現われ、ファンになるにしても「人間」として扱わなきゃいけなくなってしまった。ファンの全員が「俺の嫁」と思っていた存在が、ある日突然朝帰りを激写されて、ファン全員死亡なんてことが起きうることを覚悟しなきゃいけなくなったのだ。「そんなもの人間なんだから当然じゃん」ということは頭でわかっていても、そういったリアルな人間にありがちの面倒臭い部分から解放してくれるはずの存在だったアイドルが、「やっぱりアイドルも人間なんだ」と諦めなきゃいけなくなってしまった。つまり、かつての神格化されたアイドルはもはやなく、「クラスに一人くらいはいるかわいい娘」と大差なくなってしまったのだ。

ところが、アイマスや初音ミクは生身じゃない。だから、うんこもしなけりゃエッチもしない。朝帰りを激写されることもない。だから、いつまでも「俺の嫁」と思っていられる。かつて人々がアイドルに求めていたものが、より完全な形となって我々の目の前に現れたわけだ。そして「彼女達」と我々の間はメディアのみでつながっている。

というのが、アイマスやら初音ミクが流行る元なんじゃないかなーということを考えていたわけ。今や生身にはアイドルが存在しない。完全なアイドルは二次元の中にだけあると。

で、これが最初の記事のことと何の関係があるかと言えば、かつての人間のアイドルを単なる人にしてしまった原因は、そういった「メディア戦略」だったと思うわけだ。「親近感」を演出するために、過度に露出をさせてしまったために、本来の売りであった「幻想」の部分まで失わせてしまったのが、この「メディア戦略」だと。件の記事も結局のところ「メディア戦略」の一貫なわけだ。そしてどちらも、

「見せるべきもの」と「見せ方」

にちょっとしたズレがある点で同じだ。

映画の宣伝のための「けまらしい」行為なんてのは、別に「ニュース」として見たいとは思わない。芸能ニュースに興味のない人はなおさらだけど、興味のある人にとっても「読んでみたら映画のパブだった」ことを「スキャンダル」として見せようとされると、アホらしいと思うだろう。映画の中身をリアルな世界の「ニュース」に露出させるのは、「見せるべきもの」としても「見せ方」としても間違いだ。

「処女幻想の対象として演出されて来たアイドルの朝帰りを激写」というのも、同じように「幻想の世界」をリアルな世界の「ニュース」に露出させたという点では似たようなものだろう。

確かに「インパクト」という点ではあるのかも知れない。でもそれは「対象」を早く消費してしまう。早い話が飽きさせるわけだ。そして、それは「メディア」からやって来るものだから、繰り返されると「メディア」自体に飽き飽きしてしまう。それはマスメディアが信用を失う原因の一つではないか。つまり、マスメディアは

対象を消費したつもりで、自らを消費してしまった

わけだ。

ところがアイマスや初音ミクは、そういったメディアからも独立している。幸か不幸か、あれは「ヲタ文化」ということになっているので、普通のメディアは興味を持たない。だから、メディアを通じて見ることがない代わりに、変な色づけもされていない。人がメディアに求めるのは、「自分の目の代替」なのだけど、これらを見るのには「代替」は不要だ。「彼女達」で喜んでいる限り、「飽き飽きしてしまったマスメディア」とも無縁でいられる。

まぁこんなことを指摘しても、メディアや芸能界にとってはとっくの昔に手遅れなのではあるけれど。

PS.

「女は?」とつっこまれていたけど、たとえばジャニーズ事務所の人達に「うんこしない幻想」を持っている女性は一定数いるのではない? また、ジャニーズ事務所は↑の「アイドル」という意味では結構頑張ってた方だと思う。情報は事務所がしっかりコントロールして「うんこ」的情報は規制してたから。まぁそれも今では難しくなってしまったけど。

アイマスやら初音ミクが流行るわけ” への1件のコメント

  1. >ジャニーズ事務所の人達に「うんこしない幻想」を持っている女性は一定数いるのではない?
    さすがにいねーよwwwww
    昔は知らないけどさ

    >情報は事務所がしっかりコントロールして「うんこ」的情報は規制してたから。まぁそれも今では難しくなってしまったけど。
    情報ソースはどこ?妄想なら妄想と書いたほうがいいよw

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