ニコ動あたりでは、吉幾三マッシュアップが流行りのようだ。
そろそろちょっと見るだけでお腹いっぱいなのだが、秀逸なのは面白い。
とは言え、吉幾三については私は大嫌いだ。それは「吉幾三マッシュアップ」が面白ければ面白いだけ際立つ。
「吉幾三マッシュアップ」は基本的に「おら東京さいぐだ」がベースだ。リアルタイムでこの曲を聞いた時には「いいコミックソングだな」と思ったものだ。だいたいに、私はコミックソングは好きだ。まぁ下ネタばかりを連発する、いかにもなものはあまり好きではないが、嘉門達夫の毒のあるものとか大好きだ。
ところが、これが売れた後、吉幾三はなぜだかいきなり「普通の演歌歌手」になってしまった。別に人の仕事のことだから、何をやろうと知ったことではないのだが、彼はまるで「おら東京だいぐだ」を歌っていたことなぞ封印したいかのように、コミックソングには触れなくなってしまった。演歌で売れてしまったからもうどうでもいい、コミックソングなんて俺にとっては単なるステップだったんだ… 的な臭いがぷんぷんする。
私は、この態度がたまらなく嫌いなのだ。過去の「恥ずかしいこと」を綺麗に封印したかのような顔、その当時の自分と今の自分はまるで他人ですという態度、これがたまらなく不愉快だ。事務所がどうこうとか、原盤権がどうこうといった「大人の事情」があるのかも知れないが、そういった自分の過去の諸々をまるで切り離したかのような「今日」というのが不愉快だ。お前は「お笑い」をステップにしたのかと。
だから、これだけ「吉幾三マッシュアップ」が流行りながら、多分リミックスとか再発売の類はないだろう。吉幾三自身が「封印」しようとしているからだ。
逆に「ビートたけし」は偉いと思う。あれだけ「映画監督」として売れ、いわゆる「知識人」的な分野でもそれなりのものになっていながら、いまだに「ビートたけし」というキャラクタと向きあいつつ、それを否定していない。いろいろなことから理解すると、どうやら否定しないのは彼自身の哲学らしい。自分の出自は「お笑い芸人」だということを否定しようとしない。吉幾三が封印しようとしているのと比べれば、どれだけ偉いかわかる。
そんなわけで、私は吉幾三は嫌いだ。「おら東京さいぐだ」は大好きなんだが。
まぁ同じ理由で嫌いな業界人や嫌いな会社もあるわけなんだが。後で封印しなきゃいけないような「過去」を作るくらいだったら、とっととドロップアウトすりゃいい。いや、別に封印しないでちゃんと向き合う方がずっと偉い。
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吉幾三はいまでもコンサートで例の歌を歌うらしいですよ。出身地の青森のコンサートでは「おら青森が好きだ」と変えるそうです。
それなら一部撤回。でもある意味よけいに「あざとい」とも言えるなぁ。結局「過去」にしようとしてるんだから。