「国家不介入」の罠

有害サイト審査に「国の原則不介入」明示 – 総務省検討会中間とりまとめ

これを読んで、「そうか検閲を卒先して国家がやらないのは正しいよね」と思った人は甘い。

「国家不介入」ということは、中身に関して国は知らないよということ。確かに、「有害サイトの審査」というのは検閲行為だから、「検閲」という憲法違反の行為に妙な言い訳を作らずに「やらない」という判断をした。これは悪いことじゃない。

だけど、「不介入」というのは、逆の危険を持っている。それは、

是正勧告出来ない

ということでもある。つまり、民間のやっていることに国が口出しを一切出来ないということでもある。つまり、検閲行為をやる機関が何らかの「暴走」をした時に、それを止めることもしないということだ。

たとえば、その「機関」の誰かが自分の都合のいいようなフィルタリングをした時、それに対して国は介入しないということ。下手すればいいようにやられっぱなしだ。

既にあるわかりやすい例だと、「警察の民事不介入」というのがある。たとえば、「うちの駐車場にいつも誰かが勝手に駐車している」ということは、警察に言ってもムダである。これが路上のことなら警察も動けるが、「駐車場」の中のことは民事になってしまうので、「両者で話し会え」ということで終わり。ここで何か事件でも起きれば警察の出番だけど、何もなければ何もしてくれない。良くも悪くも「スルー」されるだけだ。

件のことも、「国家不介入」ということにしてしまえば、多分「機関」の意思に対して異議があっても、その「機関」がどうするかに全て任されてしまうはず。

国家が検閲することはとんでもないことだけど、「不介入」とされてしまうというのも、なかなかビミョーな問題を抱えることになる。

PS.

あと、ビデ倫がどんな目にあったか、なぜそんな目にあったかということを考えると、「機関」の信頼もなかなかややこしいところ。また、不介入をうたっていても、「介入しろ圧力」はかかって来る。

早々に「不介入」をうたったのは、「国家不介入の検閲だから賛成してね」というメッセージがあるように見える。つまり、案を通したいわけだ。通してしまえば、後からいくらでも骨が抜けるわけだし。

「国家不介入」の罠” への1件のコメント

  1. ピンバック: tueda's diary

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