人は利用されてなんぼ

「今年会社に入る人達に」のエントリに書いた話で触れたこと。

比嘉さんのblogの、

会社から「頼りにされる」危険性

について、「逆の意見を持つ」と書いてそのままにしていたので、その理由を書いてみる。

実は私の生存のための戦略は、

積極的に「都合のいい人」になる

ことだったのだ。相手が誰であれ、選択肢は「Yes」か「はい」だった。それは断わるのが面倒臭いとか、断われないとか、リンク先に書いてあるようなポジティブな理由もあるのだが、それにも増して「都合のいい人」になるためだった。

都合のいい人になると何が良いかと言えば、

捨てられない

ということだ。何でもはいはいと聞いていれば、確かにいいように使われる。特に抵抗しなければ、「そんな人だ」と思われる。そうすると頼む方は当たり前のように頼んで来る。これで「都合のいい人」の出来上がりだ。

でも、そうやって「使っている側」の奴もある日気がつく。それは「こいつがいなくなったら困る」ということだ。いや、もちろんそう簡単には気がつかない。でも、そうやって「都合のいい人」をやっていると、体力や精神が疲弊する。そうなると、倒れたりキレたりする。それに対して正直に休めば、「いない状態」が作れる。それで困らせればいいだけだ。

もちろん基本的には頑張る。何も好んで倒れたりキレたりしたくはない。でも、いずれそれは限界に来る。その限界が来た時に「思い知ったか」と思いながら休むのだ。そうやって回復して、何事もなかったかのように、また「都合のいい人」に戻る。

傍目には「不幸」に見えるかも知れないが、「利用される」ということは、「利用価値がある」ことでもある。「自由人」である限り、結局のところ世の中に多く利用される人間が多い報酬を得るのだ。利用価値のない人間に報酬を出す奴はいない。楽して儲けているように見える奴も大勢いるように見えるが、そいつらは利用価値と報酬の交換レートがいいだけだ。同じようなことをしてる奴の中で比較すれば(つまり同じ交換レート同士で比較すれば)、利用価値のある人間の方が儲かる。

つまり、「都合のいい奴」になってしまえば、消される危険も減り、報酬を得る機会と期間が増える。確かに苦しいことになってしまうし、下手すれば自滅する。だけど、自滅さえしなければ強く生き残ることが出来る。また、自分の能力の上限あたりで働くということは、鍛練にもなる。

だから、「安定した地位」を求めるなら、「都合のいい奴」になってしまうことだ。いくら賢くても、何か頼んだ時に一々文句つける奴は、何かの機会で消されてしまう。少なくとも、同じ程度の能力がある奴同士で比較すれば、「都合のいい奴」の方が生き残れる。

だから、「利用されてなんぼ」だと思うべきだと思っている。利用価値があるからこそ、報酬があるのだから。どれだけ能力が高くても、利用価値につながらなければ意味がない。

ただ大切なのは、

  • 「利用価値」を認識させること
  • 自滅しないこと
  • 「自由人」であること(つまり「奴隷」ではないこと)

だ。これらが満たさせる限り、むしろ「いいように使われている」ということは、良いことなのだ。「都合よくこき使われる」のは歓迎すべきだと考えているし、そうして来た。

この戦略、短期的には損な役回りだし、大儲けもあまりない。でも、まず生き残っておかなければ、「その先」なんてないんだから、「生き残り戦略」ってのは大事なのだ。