「ライフハック」なんてやめちゃえよ

前にも同じネタで書いているんだが、

「lifehack」って何か違ってないか?

あらためて書こうと思ったのは、某blogでコメント欄に降臨した勝間さんと、blog主との間でのやりとりに、

ライフハックに多大な期待を寄せて、そして失望していく若者たちがいます。
彼らの目標というか、ライフハックの達人の象徴として貴方がいます。

という話があったから。

私は「勝間本」は読んだことがない(つか最近ビジネス書はほとんど読まない)ので、彼女の著作がどうこうという資格はない。だから、「勝間本」がどうだということは書かない。それよりは、blog主のこの言葉にちょっと失望したのだ。

blog主についてはよく知らない人なので(それなりに有名blogらしいが)、これもどうこう言うつもりはない。それよりも、blog主に指摘された「若者」について失望したのだ。

以下では、このblog主の認識が正しいものとして話を進める。それを肯定する傍証は私もいくつか知っているからだ。

そもそも、「ライフハック」なんてものがなんかおかしいということは、前に書いた通りだ。この疑問の答は、私はまだ得ていない。いまだに

単なるバズワード

にしか見えていない。前にも書いているように、それは「life」を良くしているかと言えば、あまりそうではないからだ。

確かに「仕事」それも「作業」に属するものは改善しているだろう。また、それらの改善はQOLを良くするであろうことも確かだ。しかし、それが直接的に「lifeをhack」しているかと言えば、とてもそうは見えない。単に「面倒なことをさっさと片付けるTIPS」でしかない。

そう思われる元は、ライフハックとして語られることが、「タスクハック」に過ぎなかったり、「○○を××するnの方法」といった思いつきTIPSの類だったりするからだ。もちろん中には意味のあるものも少なからずあることはわかるのだが、得られる成果はせいぜい「面倒なことをさっさと片付ける」くらいであって、「lifeをhackした」と感じられるような成果が約束されているわけではない。100歩譲っても「great hack」に属するものはない。

つまり、方法の正当性は置いておくにしても、「成果」があまりにもショボいのだ。そういったショボいものに「多大な期待」をかけてしまえば、「失望」するのは当然だ。つまり、「ライフハック」の内容がどうかということではなくて、「ライフハック」という言葉自体が

誇大表示

なのだ。せいぜい「タスクハック」に過ぎないものを、「ライフハック」などという大袈裟な名前で持ち上げてしまっているところに、「失望してゆく若者」を作ってしまう不幸がある。だいたい「hack」なんて誰にでも出来るものだったり、ましてやTIPSだったりするようなものじゃない。その世界の達人が素人目にはミラクルな技を繰り出すのがhackだったんじゃなかったのか?

だから、「ライフハック」なんて「銀の弾丸」でないどころか、「hack」ですらない。だから、「これを実践すれば誰でも幸せになれる」ようなものでもない。いや、それだったら逆にhackであることを否定しちゃうし。

だから、もう「ライフハック」なんてバズワードに惑わされるなよ。そんなもんやめちゃえやめちゃえ。いや、そりゃー「人生の達人」がスパッとキめちゃうような、そんな技があって、それでミラクルな結果が出てりゃ、それこそハックなんだろうけどさ。そんなことを真似してどうとか出来る程人生甘くないし、そんなことが出来るんだったらそんなことしなくてもいい人生になっているさ。とか考えると、ライフハックがどーとかこーとか言うことそれ自体、(悪い意味での)宗教じみてるとも言える。

確かに「ライフハック」と呼ばれるものはある。だけど、その実体はlifeをhackしてない。そんなことに期待をするよりは、不器用でもいいから物事をきっちりやって行けばいい。1000歩くらい譲っても、君達の期待する「銀の弾丸」なんてそこにはない。だったら、そんなことに無駄な時間を費すよりは、いろんな経験を積んで行く方がずっと「ライフハック」的じゃないか? つまり、最大にして最強の「ライフハック」ってのは、

ライフハックをしないというライフハック

なんだよ。

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