ネットは変化しないことを肯定する

反論がいっぱいありそうなネタだけど。

先日増井さんとtwitterで会話していた時の話のネタ。

別にこれはイノベータがネットで遊んでるからという類の話だけじゃない。

前にも似たようなことを書いたのだけど、ネット上のたいていの活動は能動的に行われる。つまり、ネット上で何かを見るということは

見たいものを見る

というのが原則だ。だから、見たくもない広告はブロックするものだし、ブロックしなくても「脳内あぼ〜ん」してしまう。その結果何が起きるかと言えば、

見ているものは想定内

になってしまう。だから、「より良く」するには役立つのだけど、「思いがけないこと」に出会うことは少ない。

普通に「お行儀良く」ネットを使っている人達なら、交遊範囲も想定内だ。自分の普段いるコミュニティの外の人と関わることはあまりない。mixiとか見れてば、そういった「未知の世界」は自分のすぐ隣りにあることはわかっているし、いろんな人達が集まる(使う)のがネットなんだから、いろんな世界とつながってもおかしくないんだけど、たいていの人は「自分の今の興味」を掘り下げることに精一杯で、隣りにある「興味の外」についてかける時間がない。

ところが、「イノベーション」なんてのは、たいてい自分の想定の外にある。直接的なヒントでなくても、「なんとなく」脳裏にあって… というのやらが発芽することもある。だから、どこかで「目の前のもの」以外のものに目が向いていなきゃいけない。ところが、お行儀のいい人がネットを使う限りは、「目の前のもの以外のもの」に目を向けるというのは、「悪いこと」に分類されたりする。

これがなんとなく混沌としている「2ちゃんねる」みたいな世界だと、それでも想定外と関わる機会がないわけじゃないし、Wikipediaをダラ見してると変なものを見たりすることもあるのだが、マジメな人達はあまりそういったことを好まない。

となると、イノベーションのヒントとなるような「想定外」のことに触れる機会が減る。もちろん「イノベーション」と言っても、深く掘り下げた結果のものについてはそんなことはないけど。

だから、今の調子でネットがどんどん便利になって行くと、イノベーションに類するものは減ってしまうかも知れない。そうならないためには、強制的にでも「あまり興味を持ってないもの」まで見える何かを考えなきゃいけないんじゃなかろうか。

と、せっかく書いたけど、件の会話をした日の増井さんの連載には、まるっきりそういった話が出ているので、もうちょっと別の話に無理やり展開してみる。

「ネットは何でもある」ということと「ネットは能動的に見るもの」とが合わさると、「世間一般には正しくはないけど、それなりにやっている人が少なくないもの」を肯定してしまう。たとえば、我田引水な俺理論であっても、その気で探せば同好の士は発見できる。

たとえば、世間では「引きこもりの不登校は良くない」と言われていても、ネットでその気で探せば「引きこもりの不登校で成功した人」の事例はいくらでも発見できる。だから、いわゆる「数学的反例」が存在するもんだから、「これでいいんだ」という自己肯定が可能になる。

これはいわゆる「弱者」や「マイノリティ」にとっては嬉しいことで、世間ではキモがられる「ゲイ」なんかはmixiでは大勢力のように見える。TGも大勢力に見えるし、「鬱」なんてそうじゃない人の方が恥ずかしいんじゃないかってくらいいるように見える。

そのこと自体が良いとか悪いとか言うのは、それこそネットの原則に反するから言わないけれど、そういった人達の中にも「これじゃいけない」と思っている人がいることは確かだ。そういった人達にとって、「実は自分は多数派?」と勘違いすることや、勘違いしないまでも「仲間はいっぱいいるから」みたいに思わせるものがあるというのは、「これじゃいけない今までの自分」に対する肯定に見える。その結果、「ま、これでいいや」に戻ってしまう。

他人がそれらに対して良いだ悪いだ言う権利はないけれど、本人が「悪い」と思っていたところに「悪くない」という実例が並べられれば、「ま、これでいいや」になってしまうのは、何ら不思議はない。もちろん無理して変える必要がないことまで変える必要はないけれど、変えたいと思ったことまで否定されてしまうことになる。もちろん「変えて良くなった」という例もいっぱいあるけど、たいていの人は「自己肯定の材料」の方を求めるし、求めればそういったものはいくらでも手に入るから… という循環になるわけだ。

とか考えると、「ネットに浸り切る」ということは、いろいろな意味での「変化」をしない方を肯定してしまいかねないということになる。まぁ誰も「好まないもの」を求めたりはしないのだけど、そういった意思とは別に情報が与えられるためのメカニズムを考えないことには、みんなが「タコツボ人生」を送ることになってしまいかねないなーという気がする。まぁ無理やり押しつけられるのも勘弁ではあるんだけど。

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