朝日新聞の劣化コピー?

M・フルーリ氏、レッドハットを去る

良い悪いは別にして、業界にはよくある話。そんなに驚くほどのことでもない。日本でもMONTSUQIの作者は会社を去ったぞ(ぉ

いけないのはこの記事の結言で、

オープンソースがもたらす金銭的な利益を得るに値するのは、スーツに身を包んだビジネスマンなのだろうか、それとも実作業に当たった技術者なのだろうか。

もうお前は朝日新聞の記者かと。まぁ翻訳だから、訳した奴が朝日系なのかも知れないけど、何にせよ書いた奴の「低度」が知れる。

そもそも、オープンソースに程々の距離で関わったことのある人間であれば、「金銭的な利益を得るに値する者」が「ビジネスマン」であることは、考える前にわからなきゃいけない。なぜなら、「オープンソース」は「マーケッティング用語」であって、「哲学」ではないからだ。マーケッティング用語はビジネスマンのものであって、技術者や活動家のものではない。だから、「オープンソースの成功」とは「ビジネスの成功」なのだ。たまたま「オープンソース」と「フリーソフトウェア」は共通部分があるから、オープンソースが成功すれば副次的にフリーソフトウェアも成功するのだが、あくまでもそれは二次的なものに過ぎない。「オープンソース」と言った時には、あくまでも「ビジネス」なのだ。

そして、フリーソフトウェアであろうとオープンソースであろうと、これらのもたらすものは「技術のコモディティ化」である。一部の者が独占していた「技術」を、万人共有の財産にする。これがフリーソフトウェア運動なわけだ。

だから、「オープンソース」という「ビジネス」は、技術が「そこにあるから価値がある」ものを単純に金に転換すればいいというものではなくて、「価値を引き出して金にする」というビジネスなのだ。技術の有無(=技術者の有無)がそのまま金になるわけではない。だいたい、「オープンな技術」はそこらじゅうに落ちてるわけで、技術がそのまま利益と直結するのであれば、そこらじゅうに金が落ちてなきゃおかしいし、そんな馬鹿なことはない。

そう考えれば、世情を諦めたような、そういった現状に疑問を呈するような、早い話が「朝日新聞の結言」みたいな言葉が最後にあるということは、「自分はこの世界のことはさっぱりわかりません(=語るべき資格を持ちません)」ということを白状しているに等しい。

「オープンソース」は「Web 2.0」と同じように「マーケッティング用語」なのだよ。技術や哲学をしたかったら、「フリーソフトウェア」の方でやるべきだ。