無用な善意はうっとおしい

悪意はスルーすれば済むのだが、善意はそうは行かない。

善意はその人の善意の苦労を思うと、スルーするわけにも行かない。だから、いかに無用であっても「時間を費して」相手をしなければならない。それが礼儀正しい態度だ。そもそも、相手はそれなりに苦労なり時間なりを費しているわけだから、応える方もそれなりのコストを払ってもバチは当たらない。もちろん「善意」というのは、何らかのコスト削減のためでもあるから、完全に同じコストを払うのはナンセンスであるが、

相手のコスト > 自分のコスト

の範囲であれば、コストをかけてもいい。

ということはわかっているし、基本的に悪意であってもスルーするのはあまり好きではないのだが、あんまりちょいちょい「善意」がやって来ると辟易する。暇な時、テンションの高い時ならいいのだが、そうでない時には疲れるだけなのよ。「無用」なんだから。

そして、その辟易している自分、「せっかくの善意」をうっとおしいと思っている自分が嫌になって凹む。

「善意の押し売りは勘弁してくれ」などと失礼なことを言うつもりはないけれど、こっちが何を必要としているかわかってない状態で「善意」を送りつけて来るのは正直なところ参る。