包み込む手のぬくもりを

車窓から吹き込む風に私は身を震わせた。
春と云えども矢張りまだ肌寒さを感じる。
私は眠い目を擦り、欠伸をかみ殺す。
薄手のシャツのみ羽織った両腕を無意識のうちに抱いていた。
「寒い?」
私の動作に気づいたのか、隣に座っている彼が私の顔を覗き込み問うた。
大丈夫と重い目蓋を開き僅かに微笑み、開け放たれていた窓を閉めた。
窓を閉めると車内がなんとなく暖かいように感じ、更に眠気を誘う。
運転手席と助手席に座る友人は仲良さそうに話をしているようだが、聞き取ることは出来ない。
私は隣に座る彼を見た。視線に気づいた彼は口元を綻ばせ目を細めた。
眠いなら寝ていいよと云っているようで破顔した彼に温かいものを感じた。
その温かいものが何なのか思考しようとする前に意識が遠退いた。

以前彼の想いを告げられた。
私は何とも答えることが出来なかった。
一緒にいるのは楽しい、ずっといたいと思う、そう告げた。
友達だからそう思うのは当たり前だろう、そうとも告げた。
しかし好きとか愛しているとかではない、そうとも告げた。
彼は遠慮しがちに微笑み、わかったと目を合わさず答えた。

友人と恋人の違いが私には分からない。
そう告げるとある人は蔑み、ある人は怒り、ある人は悲嘆の溜息を吐く。
そのような言動を受ける度に、自分に欠陥があるのだろうかと真剣に悩んでしまう。
所謂一般に恋人同士と呼ばれる人たちはどうして相手を好きだと知るのだろうか。
幾度の苦悩を重ねても自ら納得する解答が出て来た試しは無く、
今現在でも大切な友達を無くしてしまう悲しさに打ち(ひし)がれているのだ。

友達である彼と付き合うことは出来ないわけではない。
口付けをしようと身体を重ねようと、恐らく何の嫌悪も抱かないであろう。
しかし全て致した後、吐気を催す程の自己嫌悪に陥るに違いない。
そして云い様の無い虚無感が私の心を侵食していくのだ。
過去に斯様な過ちを犯したが故、恋愛に対する拒否反応が出てしまうのだ。
“――――――大切な友達を汚すつもりか”
私のための耳障りな警告が頭の中で鳴り響く。

足場の悪い道路の所為か走行する車内が音を立てて揺れる。
私の身体も揺れ、彼の肩と私の頭が触れた。
何となく身体がだるい。
ただ眠たくて仕様が無い。
車内は仄かに暖かく眠気を誘う。
隣に座る彼の肩先から体温が伝わる。
何故か全身が安心感で染み渡り彼に身を預ける。
彼に寄り掛かることが無神経だってことは十分承知していた。
だが私は閉じている眸を開けて彼を直視することは出来ない。
頭で分かっていても襲い掛かる睡魔には勝てはしないのだと、
眠気による自由のきかない身体の言い訳を自らに言い聞かせた。

カーブを曲がる時にまた身体が揺れて右手が太股の上から滑り落ちた。
落ちた私の手よりも遥かに大きい骨張った彼の手に触れた。
ひんやりと冷え切った私の手に比べ触れた彼の手は温かい。
どうしてこんなにも温かいのだろうと
何故こんな私を好いているのだろうと
ただ無性に泣きたくなった。
ただ無性にいとしくなった。
閉じた瞼から涙が溢れそうになって彼の肩に顔を埋める。
彼の匂いに包まれながら私は深い眠りへと落ちていく感覚を味わうと同時に
彼の温かな手の温もりに包まれているような気がした。



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例えば隣に好きな人がいれば触れてみたいと思うのが男の性だろう。
俺の肩先で眠る彼女を変に意識せぬよう外の景色を眺める。
常に彼女は明るくて周りを楽しませ、笑顔を絶やすことは無い。

そんな彼女に俺は惹かれた。

彼女と一緒にいると楽しかったし、ずっといたいと思った。
俺の気持ちを伝えた時に彼女が云った言葉である。
その時の表情の痛々しさを俺は今でも忘れない。
俺と彼女の気持ちの違いは未だに理解できない。
けれど彼女に問い質すことで辛い思いをさせたくなかった。
それ故にこのような宙ぶらりんな関係が現在進行形なのだ。

カーブを曲がる時に彼女の手が太股から落ち俺の手に触れた。
すごく冷えていた。先程窓を開けていた所為か。
彼女の手は多分他の女の子より手が小さいと思う。
前に手の大きさを比べたことがあった。
確か彼女の人差し指より俺の小指が大きかった。
その時握り締めてしまえばすっぽり収まってしまうのだろうと思った。
彼女は熟睡しているのか触れている手を離そうともしない。
俺の肩に寄り掛かるようにしているから顔も見ることが出来ない。
彼女は猫のように肩に顔を埋めてきた。
その仕草が甘えているようですごく新鮮だった。
柄にも無く俺は照れてしまい自分の足元を見る。
どうしてこんなに愛しいのだろうと噛み締めた。
彼女の手を優しく持ち上げて大切なものを扱うように包み込んだ。

何故そのような行為をしてしまったのか俺自身わからない。
ただ隣で眠る彼女が愛しくて堪らなくて如何しようも無かった。
気持ちに答えてもらわなくとも一緒にいることが出来る。
身体を重ねることが出来なくとも笑いあうことが出来る。
それだけで十分ではないか。
彼女の幸せを共有出来るではないか。
他に望むものなどありはしないのだ。

車内が揺れ彼女の黒髪から匂いがした。
真っ直ぐとした髪はサラサラと揺れている。
握られている彼女の手は俺と同じくらい温かくなった。
それでも離そうとせずに僅かに力を込め包み込んだ。
すると無意識なのだろう、少しだけ握り返したのだ。

ただ本当にいとおしかった。
もうそれだけでよかった。

俺は何も考えずに彼女を抱き寄せるように寄り添った。





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