日常
2004/09/30〜10/13 |
回転し続けなさい、映画は休んだ途端借金がドバっとくるのだ。
osamu ishibashi
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![]() | ![]() | ![]() ピースの回転 |
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![]() 食べて回転 | ![]() 夢でも回転 | ![]() |
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![]() 頭の回転 | ![]() | ![]() ![]() |
撮影協力:後日更新
2004/10/11 |
2004/10/10 |
2004/10/09 |
2004/10/08 |
2004/10/07 |
2004/10/06 |
2004/10/05 |
2004/10/04 |
2004/10/03 |
2004/10/02 |
2004/10/01 |
2004/09/30 |
![]() ![]() 監督 樫原辰郎さんと 風まかせ人まかせで偶然出会う ※タイトルは樫原さん直筆 | ||
2004/09/29 |
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撮影協力:四天王寺「夢家」
2004/09/28 |
2004/09/27 |
2004/09/26 |
2004/09/25 |
蓮月さんのお寺
2004/09/24 |
某所(14:35)
某所(21:59)
2004/09/23 |
2004/09/22 |
2004/09/21 |
2004/09/20 |
スケジュール帳は持っているのだけど、気の向くままというのも多く、いつどう動くか分からないので荷物が増える。混乱してくると電通大寝屋川キャンパスの図書館か教室で整理をしている。
1 寝屋川キャンパス・C-106教室
広い教室。リュックサックと鞄を机に放り投げ、チラシ、ファイル、ノート、筆記用具を机にばらまく。誰もいないのをいいことに自分の部屋のように使う河合。
2 寝屋川キャンパス・ベンチ
祝日も休みも関係のない河合、「大学なのになぜ学生が少ないんだ!?」と完全に勘違いしている。
3 寝屋川キャンパス・C-106教室
河合、中島貞夫監督が総合プロデューサーをしている「第4回京都映画祭」のチラシに目が留まる。赤のボールペンで、京阪三条、祇園会館、京極弥生座、ラジオカフェ、京都文化博物館、ウィングス京都、新風館に丸を付ける。
× × ×
京都行きを決めた河合は、リュックサックを持ち上げ、「一つ一つを着実に、じわじわと攻める、回転!」などと言いながらどこかを見つめて歩き出す。
2004/09/19 |
2004/09/18 |
2004/09/17 |
自宅でNHKの取材を受ける。父と母は1階で、わたしは2階の自室で。ライトのセッティングに時間が掛かりインタビューは翌日に及びそうなくらいに徹底していた(その日に受けた)。ライトはかなり興味深かった。
「わたしらのときはそんなんじゃなかった」と美容院に行きしっかり化粧をしていた母はぼやき、父は「おいおいちゃうやろ」と言っていたような。そうだ、わたしも美容院に行ったのだった。父のジャージ姿(だったと思う)もどうかと思うが、父は父でこだわりがあるのだ。
2004/09/16 |
2004/09/15 |
2004/09/14 |
堺商工会議所で、大阪わいわいミーティング「みんなで大阪再生パワーアップ!」の撮影と、NHKの取材を受ける。撮影は電通大のoptogramからでわたしは太田府知事のアップ担当。久しぶりにカメラ(VX2000)が持てて幸せだった。その模様はNHKの放送で。
optogramスタッフ(左から、関口さん、河合、大河さん、宮内くん、森田くん)。
optogram:網膜に焼きついたシーン
2004/09/13 |
2004/09/12 |
羽曳野中学校で美術を教えられていたと卒業以来の再会。夜、突然お邪魔したにもかかわらず手元にあった『私をみつめて』のチケット41枚を全部買ってくださった。話ができて、もやもやした気分が吹っ飛び、中学であった差別やいじめのこともいつか書ける。
夢ではなく現実なのだ。すごい……。
2004/09/11 |
2004/09/10 |
2004/09/09 |
2004/09/08 |
シネ・ヌーヴォから映画と人が広がりました。去年の夏、一番後ろの席に座っていた原一男に「原監督ですか?」と声を掛けたのが監督との出会いです。
オブジェの説明をしている支配人 景山理さん。
★シネ・ヌーヴォで『私をみつめて』の前売り券をお買い求めいただけます。
2004/09/07 |
台風の中、たくさんの方々に協力いただき無事試写会を終えました。本当に皆さんに支えられていると実感しました。
半年振りにスクリーンで観た『私をみつめて』は、しんどかった頃を思い出し泣いてしまうところもありましたが、乱暴でめちゃくちゃなわたしと向き合ってくれた家族、友人、スタッフの気持ちが伝わってきました。そして少し笑いました。
2004/09/06 |
2004/09/05 |
2004/09/04 |
2004/09/03 |
2004/09/02 |
「チラシがきたよ」と波越事務局長から電話をいただいた。
すぐに寝屋川キャンパスまでチラシを取りに行った。
2万枚(10月にはチケットぴあPコードの入ったチラシを5,000枚増刷)とはどれくらいなのか想像もつかなかったのだけど
ダンボール箱が7個であった。5箱ほどわたしが配る。
箱の中の紙に包まれたチラシを2つ持とうとしたけれど止めてくださったので1つにした。
想像以上に重たかったので正解だった。
その足で映画館7ヶ所(梅田ガーデンシネマ、シネ・リーブル梅田、テアトル梅田、OS劇場、PLANET、シネ・ヌーヴォ、動物園前シネフェスタ)とお店1ヶ所(COCOROOM)を回り全部配った。歩けば歩くほど軽くなるから歩けたのだ。
重いカメラを持っている気分だった。
ヨドバシカメラの店員さんが紙袋を3重にしてチラシを入れてくれた。
2004/09/01 |
2004/08/31 |
2004/08/30 |
テレビ局と映画館を回った。台風の中おじさんたちは雨に濡れながら頑張っていた。おじさんたちの真似をしてわたしも頑張った。
2004/08/29 |
小学生の頃、父方の親戚(父の両親は父が子供の頃に亡くなり親戚の家で育った)大阪堺市にある蕎麦屋までいつも重い缶詰のお中元お歳暮を姉と交代で持ちチンチン電車に乗った。中学に入ってから蕎麦屋に行くこともなくなり、おばさんが羽曳野に来てくれてもずっと隠れていた。
20数年振りに蕎麦屋を訪ねた。
九官鳥が何代目かになっていただけで、座った椅子も、蕎麦の味も、おばさんの顔も変わっていなかった。
変わったのは、缶詰どころか何も持たないで訪問してしまったわたしであった。天王寺で買おう、堺で買おうとしては、チンチン電車ですっかりのんびりし忘れてしまったのだ。おまけにビールまでご馳走になり電車とゆれながら羽曳野へ帰った。
チンチン電車(その1)
天王寺〜我孫子道〜御陵前
チンチン電車(その2)
今船駅で(2004年4月22日 岩城さん撮影)。
2004/08/28 |
2004/08/27 |
2004/08/26 |
北新地 英子ママのお店「445」にて。
『私をみつめて』で、ママと体重が85kgのわたしが8年振りに対面します。
2004/08/25 |
どうも片付けるより散らかる方が早いようだヽ(´∇`)ノ
2004/08/24 |
2004/08/23 |
2004/08/22 |
2004/08/21 |
オープンキャンパスでチラシを配る
第一回:電通大寝屋川キャンパス(2004/07/25)
第二回:京都女子大学(2004/07/31)
第三回:電通大四條畷キャンパス(2004/08/21)
釜ヶ崎夏まつりでチラシを抱えてうろたえていると、杉さんの知り合いの井上さんが「はいはいはいよ〜、時間あったら観たってよ!」「こんなんはな、強引にいかなあかんのよっ」と人込みをスルスルと擦り抜けてあっという間に配ってくれたのでした。
その要領で時には「とれ〜!」と立ちはだかり数百枚配る。
電通大スタッフTシャツをもらいました。
ものすごく欲しいという顔をしていたに違いない。
2004/08/20 |
2004/08/19 |
2004/08/18 |
2004/08/17 |
大阪電気通信大学 浪越事務局長が仮印刷のチラシと前売り券を速達で送ってくださいました。
花の絵がうれしい。
2004/08/16 |
「おっさん、大嫌いで迷惑してるって言ってんだろうが! しつこいんだよ! なめとんか!」と、釜ヶ崎で日雇いの仕事をしているKさんに15日「釜ヶ崎夏まつり」の帰り道で怒鳴った。2度食事に連れて行ってもらいお金をカンパしてもらったけれど、「辛いんや、しんどいんや、眠られへんのや、5分だけ話がしたいんや、会ってくれへんとなんべんも電話するからな」と一方的に喋り、わたしの言い分を全く聞き入れてもらえなかったので爆発した。
釜ヶ崎で生活をしていて差別されている立場の人だから何でも聞き入れるという態度に疑問を感じていた。他人の話を聞かないところに会話が成立するわけがない。
わたしも以前そんな時期があったので、Kさんの気持ちも分かり「うんうん」と頷いていたけれど、苦痛となってしまった(食事に連れていってくれてカンパしてくれるから付き合っていたのも本当のところで、それ以上の関係を求めてくるKさんが鬱陶しくなったのもある)。
差別されている立場であったとしても、「それはそれ、これはこれ」であり
釜ヶ崎で生活をしているからというだけで何でも許されるというものではないし、
「摂食障害でひきこもりだったから」というのも我が儘が許される理由にはならない。
今回のKさんとの件で岩城さんに仲介に入ってもらった。Kさんだけでなく、暴力団や警察が複雑に絡んでいる釜ヶ崎を撮影するのは、危険が伴い緊張感は常にもっているつもりだったのだけど、少しは……岩城さんの「心配」に聞く耳を持たなければならない。たかが数ヶ月釜ヶ崎にいるだけでいい気になって、何十年も生活しているKさんに「なめとんか!」なんて怒鳴るのが釜ヶ崎をなめていて、怖くないというのも嘘で、「羽曳野に帰りたい」という言い訳の爆発であると思う。
2004/08/15 |
2004/08/14 |
2004/08/13 |
2004/08/12 |
2004/08/11 |
パンツは中央(※1)カメラは防水
2004/08/10 |
「あ! すごい」
ヒント:名前を付けて画像を保存
朝日新聞 | 発行日 | 1995年12月1日 |
朝刊 | |
掲載面 | オピニオン |
発行社 | 大阪 |
文字数 | 1694 |
2004/08/09 |
2004/08/08 |
2004/08/07 |
2004/08/06 |
クレヨンハウス『月刊クーヨン』10月号(2004年9月3日発売) 特集「おしゃべりはごちそう(仮題)」にインタビュー記事が掲載される予定です。
『私をみつめて』の裏話をして笑う。新梅田シティ近くの階段で。
「アジアフェスティバル2004」新梅田シティ・ワンダースクエアで。
2004/08/05 |
午前6時30分頃、釜ヶ崎を歩いていると「姉さん」と声が聞こえた。立ち止まって振り返ると、「姉さん、この新聞の人やろ? これ読んで涙がでたよ」とお兄さんが涙を流してチラシを持ってくれていた。精神病院に5年、懲役は10年いったという。もらったワンカップを少し飲み、お兄さん、おっちゃんたちと「ふるさとの家」の前で話をした。「姉さん、姉さん」と呼んでくれていた男性の目は子犬のようだった。本当に嬉しくて頑張ろうと思った。
「労働者の家」のトイレが水洗になっていた(今まではバケツで流していた)。岩城さんには超能力があるらしくできないことはないんだった。どうりで岩城さんといると不思議なことが多いはずだ……。
摂食障害を最初に診てもらった大阪市立大学医学部付属病院の切池信夫先生のところへ報告にいった。ほとんど通院せず8年前に行ったきりだったのに覚えてくれていた。「よう頑張ったなあ、これからも大変やろうけど頑張ってな。今日は診察ちゃうから診察料はいらん」と8年前と変わらぬ大阪弁だった。そうそう病院は釜ヶ崎の近くなんだった。
電通大の動画。右上画面に映っているのがわたし。
2004/08/04 |
岩城さんが数年前に書いた文章を打ち込む。
原稿を勝手に持ち帰っていましたが、発表しないわけにはいかなかったのです。
※タイプミスなどは後ほど訂正いたします。
2004/08/03 |
2004/08/02 |
2004/08/01 |
2004/07/31 |
チラシ配りはキャンギャル時代を思い出スゥ〜(が、笑顔でなくメンチ)。
京都女子大学にて
「正門前でタバコなんて怪しからン!」w
真剣な証拠を……。
2004/07/30 |
2004/07/29 |
東京本社読売新聞夕刊に『私をみつめて』の記事が掲載されました。
2004/07/28 |
ざっと片付ける
ばっと捨てる
2004/07/27 |
『私をみつめて』は、わたしを、みつめることだった
水泳を始めてから約1年。始めた頃の体重は85キロくらいあり25メートル泳ぐのが精一杯だった。怒りを水にぶつけ、ぶつければぶつけるほど水は重たく抵抗してきた。
今は何も考えないか楽しいことを想像しながら30分から1時間ほとんど休憩なしで泳ぐ。呼吸が上手くなったのか笑っても水は口に入らない。一人笑っていると不気味だろうけど、水の中は都合がいい。
「闘い」があるとすれば、わたしを、みつめることであり、怒りをぶつけながら泳いだってちっとも楽しくない。
3枚目の水着。
2004/07/26 |
一人じゃないけど一人は楽しい
原一男は厳しい。「一人でやれ」と言う。だからといって相談もせず一人でやると怒られてしまい、泣いて研究室を飛び出したことがある。監督は経験してきたことを教えてくれているのであり怒っているだけではない。後から全てに意味があると気付く。その証拠に自信を持って動けるようになってきた。それでも監督と会う度に失敗して怒られるんじゃないかとビクビクしてしまう。
木村くんが大阪に来た7月16日、四條畷キャンパス・コナミホール前で「あ、河合。前期はこれで終わり」と言って監督は去って行った。わたしは「お疲れさまでした」と言うのも忘れるくらいにポカンとしてしまった。まだまだ頑張らなくてはならない。
近鉄南大阪線の終電に間に合わず。
母に車で迎えに来てもらう……。
2004/07/25 |
昨日、高校時代の友人アイコから「ニュース見たよ」と電話があった。
彼女は学校の中でずば抜けて美人でモデルの仕事をしていた。
彼女に憧れて一緒にディスコに行ったりしたけれど
男にチヤホヤされるのはアイコであり、
負けを認められないわたしはひねくれて陰気に過食嘔吐に走ったんだった。
高校を卒業してから17年が経ち、やっと素直に話せるようになった。
彼女は外見だけでなく声も明るくて、彼女が「河合」と呼ぶと楽しかった高校時代を思い出し元気が出た。
昭和61年5月15日、母校 大阪女子短期大学高校にて。
アイコとわたし。
2004/07/24 |
わたしは、釜ヶ崎で生活をしているおっちゃんたちを裏切らないと宣言します。
しんどいとき受け入れてくれたのは釜ヶ崎であり、軟弱な精神を叩きのめしてくれたのは釜ヶ崎であります。釜ヶ崎がなかったら今のわたしは存在しません。
若宮正則さんが「労働者の家」と「ラーメン屋」を釜ヶ崎に作りました。「労働者の家」の世話になっているわたしは、若宮さんに顔向けできなきことのないよう強く生きて行きます。
2004/07/23 |
「続・それがどーした」
・プリンタ(HP PSC 2450)と用紙 15kg
・リュック 6kg
・総合計 21kg
2004/07/22 |
2人(岩城さん、池ちゃん)の関係を当ててください。
2004/07/21 |
2004/07/20 |
テレビは「暑い、暑い」と流しすぎちゃうの。それがどーした。
・カメラ(VX2000)とケース 8kg
・三脚 3kg
・リュック 6kg
・総合計 17kg
2004/07/19 |
『釜ケ崎赤軍兵士 若宮正則物語』著者 高幣真公さんと。
づぼらや新世界店で。
2004/07/18 |
浪越事務局長より頂いた電通大創立40周年記念チョロQ。
2004/07/17 |
2004/07/16 |
『私をみつめて』
監督:木村茂之
出演:河合由美子
2004/07/15 |
2004/07/14 |
2004/07/13 |
2004/07/12 |
2004/07/11 |
2004/07/10 |
2004/07/09 |
2004/07/08 |
「続・あ、今日は七夕なんだ」
2004-0708-1136
2004-0708-1253
2004-0708-1347
2004-0708-1512
2004-0708-1650
2004-0708-1842
2004-0708-1843
2004/07/07 |
「あ、今日は七夕なんだ」
(註)写真と七夕は特に関係ありません。
2004/07/06 |
2004/07/05 |
着た切り雀の塩吹きドロボロジーンズを洗う。
2004年1月26日に「UNITED COLORS OF BENETTON.」のバーゲンで買ったんだった。
2004/07/04 |
第11回市民カラオケ大会の撮影に行く。7番 河合智子 あかね雲。それにしても母はゲンキだ(お小遣いをちゃっかりもらって行くわたしもゲンキんだが)。
居間で毎晩カラオケの練習をする母(2004年6月5日撮影)
2004/07/03 |
2004/07/02 |
いつも閉まっている「やよい」が開いていた。おっちゃんとはスナック(岩城さんに連れて行ってもらった)で知り合い釜ケ崎で一度すれ違った。暖簾をくぐり「もう倒れそうです」と弱音を吐くと、砂糖入り缶コーヒーと濃口醤油をぶっかけた豆腐を出してくれた。舌に残る辛さ、頭に響く。「パンや麺やなくて米を食べなあかん」と、おっちゃんは力を込めて何度もうなずいていた。
「食べられない」なんて甘ったれたことを言うんやない! と釜ケ崎のご飯はわたしにパンチを食らわす。なあ、お腹がペコペコに空いたらカッコヘチマ関係なく鷲づかみにして食べたやないか。「環境が変われば忘れちゃんうんだよねえ……」なんて言い訳も聞き飽きへんのか? 本当に、この甘ったれた精神を叩きのめせや! 「しょうみ」のおっちゃんに、「しょうみ」で返さなければ失礼だと思わんのかい。
2004/07/01 |
2004/06/30 |
2004/06/26〜06/29 |
「釜ケ崎を突っ走るわたし、理解に苦しむ岩城さん」
……
6/29 2:56 p.m.
2004/06/25 |
「楽しい」
2004年6月 釜ケ崎にて。
2004/06/24 |
2004/06/23 |
食べて動いて モリ┗('ω')┛モリ っと
2004/06/22 |
2004/06/21 |
2004/06/20 |
2004/06/19 |
2004/06/18 |
「今するべきことをしろ」
うーん……。
2004/06/17 |
2004/06/16 |
2004/06/15 |
2004/06/14 |
「今するべきことをしろ」
掃除しよ……。
2004/06/13 |
2004/06/12 |
2004/06/11 |
2004/06/10 |
うれしい!
2004/06/09 |
2004/06/08 |
2004/06/07 |
2004/06/06 |
2004/06/05 |
2004/06/04 |
2004/06/03 |
2004/06/02 |
Aptiva(1997.4.5. ko-nyu Windows 95)de ko-shin.
2004/06/01 |
2004/05/31 |
きっといいところなのだ。いくぞ。ぼくは、かならず、いくぞ。そして、あまい、おいしい、キャラメルを、おなかいっぱい、たべるのだ。あまい、おいしい、キャラメルを、おなかいっぱい、たべるのだ。(筒井康隆・短編集より)
■う〜、たべた□
2004/05/30 |
食うため
釜ケ崎「あいりんセンター」近くにて。
2004/05/29 |
見たいように見ろ、やりたいようにやれ、みな必死で、だれも見ちゃいない
2004/05/28 |
2004/05/27 |
2004/05/26 |
2004/05/25 |
2004/05/24 |
2004/05/23 |
2004/05/22 |
2004/05/21 |
2004/05/20 |
ラーめ〜〜んんんン。
2004/05/19 |
大学〜電車〜駅
2004/05/18 |
お掃除
オールブラン、マメ、カス、クズ、ケ、などが出てきました。
2004/05/17 |
せいきょう牛乳wと、ほるもんうどん
変化ん昨日が小w亜れ手島今した。修理にだ酢ことになるかも知れ間せん……w。(註1)
(註1)変換機能が壊れてしまいました。修理に出すことになるかもしれません……。
キライナ(w)ガ、デテクル(笑)。
2004/05/16 |
「労働者の家」にて。
2004/05/15 |
2004/05/14 |
……親を捨てる……
★岩城さんと「新いずみ病院」にて。
2004/05/13 |
!!!!!デコチンアンテナ!!!!!
★微玲ちゃんと「坊主バー」にて(5月12日)。
2004/05/12 |
〜不眠解消法〜
・深夜であろうと食べる。
・寝る場所を変える。
★ベランダのドアを全開にして2階の廊下で寝た。
2004/05/11 |
いわきさんとちゅ
●LUCKY STRIKE●1916 ORIGINAL BLEND
2004/05/10 |
赤
2004/05/09 |
2004/05/08 |
2004/05/07 |
2004/05/06 |
2004/05/05 |
2004/05/04 |
2004/05/03 |
2004/05/02 |
2004/05/01 |
2004/04/30 |
2004/04/29 |
カメラをもって
2004/04/28 |
2004/04/27 |
2004/04/26 |
晴れ。もぐもぐ、食パンを、もぐもぐ。
2004/04/25 |
(1)「あ、お父さんや」と言った。
(2)クロ〜ル。体重は量ってない。
(3)葉っぱちゃん宅(天下茶屋)からの帰り道、100円代のタバコが自販機で売っていた!!!!
★あまり吸わなくなったけどな……。
2004/04/24 |
〜方向音痴の解消法〜
・「すみません、○○はどこにありますか?」と尋ねる。
・大阪電気通信大学の場合は簡単で「それらしき人(笑)」の後を付ける。
★大阪電気通信大学の帰り道(2月23日)。
2004/04/23 |
午後0時23分帰宅。タバコの本数が減った。
2004/04/22 |
2004/04/21 |
2004/04/20 |
2004/04/19
雨。過食の解消法……「楽しく過食、自己嫌悪はアホ〜」
2004/04/18 |
6時起床。23時59分30秒帰宅(「117」を掛けましたがな)。ま、間に合った、ヤッター!
2004/04/17 |
部屋の掃除をする。
★頭の中と同じでぐちゃぐちゃ〜だった。
2004/04/16 |
お昼に食パン1枚と牛乳を食べる。「オールブラン」やサラダばかりの食事は飽きてきちゃったな。
2004/04/15 |
24時間くらい寝る。「こりゃ、死んだんちゃうか……」と、思った。
2004/04/14 |
梅田で女性監督と会う。
2004/04/13 |
深夜、身体が勝手に動き自宅を飛び出した。某氏宅で寝かせてもらう。釜ヶ崎、あいりん総合センター、……。お昼にホルモン鍋(キムチ、とうふ、野菜、心臓、せんまい、てっちゃん、くろそば)をご馳走になり身体がポカポカと温まった。
★「たつ屋」のホルモン鍋。
2004/04/12 |
方向音痴、電車恐怖、不眠、過食……解消法と、セックス抜きの大人の関係など。続……
※数時間掛けて書いた11日の日常を誤って消してしまった! ヒー、ガーン、〜。(朝)
うつらうつらした状態でも10分くらいで書けました。(昼)「〜しなければならない」ばかりだと楽しくないし、昨日のことさえも客観視する余裕がなくなるのだろう。この程度でヒー、ガーンゆうてるよーではまだまだ……。「〜しなければならない」を超えたもの(?)「身体が勝手に動く(某氏より教わった)」を経験するまで経験しよう。
2004/04/11 |
11日深夜体調が悪くなり過食しそうになる。睡眠薬を処方以上に飲みフラフラと階段を降り父(!)と母とピータンが寝ている布団に入った。
1 布団の中(深夜)
母「おいでよしよし」と、由美子の背中をさする。
由美子「あたまいたい、ねむられへん、うどんたべたい」
母「(ため息をついて)今頃やめとき」
由美子「(苛立って)なんでいつも否定ばかりすんのよ!」と布団から飛び出す。
2 台所(深夜)
由美子、冷蔵庫を開けたくあんを手づかみで食べる。サラダにノンオイルドレッシングをぶっ掛け、うす味金時豆1袋、オールブラン1箱、ぶどうパン、キムチゴマを2階に持っていく。
3 2階・由美子の部屋(深夜)
涙を流し、クマのぬいぐるみを抱きしめ、テレビのチャンネルを数秒単位で切り替え、数分でバチンと消し、カロリー表示を見ながらムシャムシャ食べる。
そうなんだ。いちいち母に宣言しなくても自分が食べたければ食べればいいのだ。母は母、わたしはわたし、なのだから。摂食障害は贅沢病でもあると思う。お金がなきゃんなこといってられないもんね。太りたくなければ身体を動かして稼げヤ! でも、「贅沢病、甘えてる」「デブ、ブタ、キモー」と他人から言われても「それがなにか?」という根性があればエエんでないかい……、とわたしに言い聞かせているのだった。
2004/04/10 |
タバコは今まで「セブンスター、セブンスター、セッタだ!」と自販機のボタンを荒っぽく押していたのだけれど、ちょいと立ち止まってながめていると楽しくなってきたのだ。「タールは? ニコチンは? ケースがカッコいい〜」っと、ちょいっとが30分、40分くらいになった。300円以上のタバコは避け(高すぎる!)「チェリー」「キャスター・マイルド・ボックス」「LARK MILDS」「L&M MILDS」「John Player Special」を買った。
130円の「ゴールデンバット」を吸うようになるかナ。しけもくも吸うようになったしサ。爪楊枝で刺して吸うかもしれないワ。
2004/04/09 |
ひきこもっていた2階の自室でなく、両親のいる(父のことはまだ怖くて避けている)1階のこたつで寝ることができた。母にしか懐かないと思い込んでいたピータン(フレンチ・ブルドッグ)に「ピータンおいで」と呼ぶと、眼鏡が壊れるくらいに押し付け口を舐めた。「オレの方が強いんだ」と言いたげだった。
2004/04/08 |
午後2時頃精神病院に行く。今までは母と別々に診察を受けていたのだけれど2人で受ける。「拒食症になってるやんか、どうして早くに来ないの」など、これからのことを1時間くらい掛けて説得してくれた。
2004/04/07 |
梅田のヨドバシカメラに行く。トルコ人の男性がニヤリと笑って「キミのカメラより僕のカメラの方が高機能さ」と言っていた、と思う(英語だったので……)。
2004/04/06 |
某氏の自宅へ取材に行く。7日(水)午前8時帰宅。
2004/04/05 |
某氏が夕方自宅に来てくれる。お人形、cgi,cgi,cgi……、お父さん。
2004/04/04 |
正午から1時間クロールで泳ぎ続ける。以前は「負けるものか! こんちきしょうめ!」「子供が溺れている! 助けなければ!」なぁんて肩に力を入れて泳いでいたけれど、今はそのことだけ集中して楽しく泳げるようになりつつあるのだ。でもね、上手な人の後にピッタリ付いてくと(不気味がられるかもしれないが)上達するヨ〜ん。
2004/04/03 |
某氏の自宅へ取材に行く。23時頃帰宅。
2004/04/02 |
2004/04/01 |
大阪電気通信大学四條畷キャンパスにある原一男研究室で授業を受け、帰り道、歩きながら相談に乗ってもらう。「ほら、桜が咲いてるぞ、花が咲いてるぞ」と監督は気を使ってくれていた。忍ヶ丘駅の自販機で飲み物をご馳走になった。監督は「暑い、暑い」と汗をかきながら爽健美茶を飲み干し、わたしはカロリーオフのAQUARIUSを半分くらい飲んだ。
2004/01/26 |
▼菅野さんの携帯電話にメールを送る。
▼部屋の整理をする。
▼映画連続講座で知り合った英語講師河井さんの写真を父のプリンターで父に印刷してもらう。
▼母にお小遣いをもらう。
▼ジムで泳ぐ。
▼UNITED COLORS OF BENETTON.メガストア梅田店でSALEのジーンズ、セーター、キャミソールを買う。
▼梅田ロフト「qui-qui」で日記を書く。
▼テアトル梅田で『エヴァとステファンとすてきな家族』を観る。主題歌アバの「S.O.S」とマッシュルームカットにメガネのファッションが懐かしかった。
▼帰る途中、Afternoon Teaホワイティ梅田店でピンクのクマ(ミニベアSPRING/PK)と目が合いしばらく見つめて買う。
▼カゴメトマトジュース食塩無添加とサイレース(睡眠薬)を飲んで寝る。
★父のパソコン周辺。プリンターの前に目覚まし時計を3つも置いている。
2004/01/25 |
一日お風呂も入らず外出もせず書く。食事は3食ちゃんと取っている。夕方、摂食障害だった女性Rさんに電話を掛ける。何度か会う約束をしていたのだけどお互いに都合が合わなくなり会えなかった。今月中に会えるといいのだけど。夜、内田さん(日本映画学校の女性)と電話で1時間くらい話す。
2004/01/24 |
映画連続講座に行く。大阪から映画を発信しようと企画されたものだ。大阪電気通信大学で原一男監督に「配っといて」と渡された。監督が大阪に来るという情報が入ったら最優先にしてきたのだから行かないわけがない。大学の講義とは違い、講座は講師が毎回違い7回ある。黒木和雄監督も面白いと聞いたので全部行くことにした。「30日にかわいが来るから」と内田さんたちに言ってたそうだ。「監督、連続講座に行きます」とメールはしたけれど、覚えてくれているだけでも嬉しい。「嫌がられてるんじゃないだろうか」と思い込まず、何回も会いに行って決めればいいことだった。「追いかけたら逃げるんだって」と普通はそーと分かっていても、好きなら追いかけてもいいと思うんだけどなぁ。それからまた自分が変わっていけばいいんとちゃうのかなぁ。好きな人、憧れの人、面白い人が来るのを指をくわえて待つんじゃなくて自分で探していきたい。
1回目は大森一樹監督「アジアで映画を撮る」の講座だった。司会はシネ・ヌーヴォ支配人の景山さん。大森監督の作品は『T.R.Y.』しか観ていなかった。シネ・ヌーヴォや電気通信大学で見かけたり読売新聞の人生案内も読んでいたけれど、グッと心を突き刺すような魅力が感じられなかった。原一男と出会ってから「映画監督といえば?」「原一男」と即座に答える意気込みだったので、他の監督は見えてなかったのもあるだろうけど。
『緊急呼出し エマージェンシー・コール』(1995年)が参考上映された。映画がヒットしなかったのを「真田の英語が下手でね〜」と冗談っぽく言っていたが、本当に最近の真田広之とは全然違った。『ラスト サムライ』では英語が上達し、いい役者になっていたので「自分の作品で真田は英語に目覚めたんだ」と言いたかったんじゃないだろうか。それくらい監督ってのは自負心が強くなければやっていけないと思う。
アメリカではよっぽどの映画好きの人じゃない限り字幕の映画は観ないらしい。侍である渡辺謙が『ラスト サムライ』で英語をペラペラと話していたのが理解できた。大森監督は黒澤明監督の『赤ひげ』に影響を受けたと言っていたので観よう。
講座が終わり質問の時間になった。座右の銘「必ず手を上げることにしている」は最近実践していなかったのだけど、「この映画は何か足りないなあ『こういう人がいました』で終わってしまっているのではないか? と景山さんと話をしてたんです」と監督が言ったのだ。「あ! それは聞きたいところだ」と鼓動が高まり2人目が質問しているときに質問事項をメモした。そうしないと舞上がってしまい「で、なにが聞きたいの?」となってしまうのだ。監督は「妥協ではなく観客の想像力に対して失礼だと思う。『プロジェクトX』みたいなテレビを見てるとなんでここまで説明しなければならないのかなぁと思うよ。分かってくれる人はいる」と答えた。腑に落ちない回答だった。映像のほとんどが想像力のいる面白い映画は三池崇史監督『牛頭』だったのだけど、『エマージェンシー・コール』は想像力など必要なくて、純粋にスラム街やスモーキーマウンテンや刑務所で生きる人たちのパワーを描きたかったんじゃないのか。あ〜、そうか真田の英語がダメで折角のスラム(トンド)のパワーが半減しちゃったってことだったのか。
質問も終わり、景山さんが「大森監督と一緒に飲みたい方はどうぞー」と誘っていた。シネ・ヌーヴォで行われた《原一男「CINEMA塾」傑作選 ニッポン×家族2003》を思い出した。あの頃は母についていてもらったり、菅野さんに励ましてもらって行ったんだった。今は「自分が行きたい」と思って行けるようになったよ。
近くの居酒屋に、大森監督、景山さん、シネ・ヌーヴォ関係者、常連の人たち、大阪電気通信大学の教師、女優志願の女の子、自主制作で映画を撮ってる男性、15人くらいが集まった。控えめに人の話を聞こうと心がけていたのだけど、厚かましくも監督の隣に座り、次から次へといろんな人と喋った。監督に「負けるわ〜」と言わせてしまう常連の小野さん(竹中直人似)、岡田さん(田中康夫似)は、若い人たちも入り込めないほどの勢いで喋っていた。東京に住みたいけど探せば大阪もすごいじゃない!
前に座っていた岡田さんと意気投合し「いこ! いこ! 会わせたるから! ハハハ」と飲み会を途中で抜け出し、わけも分からずにどこかの新年会に出陣した。シネ・ヌーヴォで字幕朗読をされて英語講師である河井さん(この日、字は違うけど同じかわいと2人と知り合った)3人でタクシーに乗った。どこをどう走ったのか覚えていないのだけれど、チラシを見ると講座が淀屋橋で、谷町のコリアンレストランファサンに行ったようだ。
レストランに入ると立食パーティーが行われていた。胸に名刺をつけ名刺交換をしてワイワイと話をしている。「大阪吉本を辞め木村政雄さんのやってるなんちゃら」という情報だけで来たのだった。なんちゃらとは、「有名塾」のことで人間力養成講座であった。木村さんのことは横山やすしのマネージャーをしていた頃から知っていたが、余りにも突然だったので挨拶と自己紹介をして一緒に写真を撮ってもらって名刺を頂いた。「この人映画関係者ですねん、ハハハ」と岡田さんが何度も紹介してくれたので「聞きましたって」と木村さんが鋭い目で笑っていた。木村さんにこっそりと(?)岡田さんの仕事を教えてもらった。
なんやかんやで溶け込んで、億単位の話を平気でしていた川井さん、第2期生人気ナンバーワンのペコちゃんという女の子と4人で(河井さんは体調が悪くなり途中で帰った)またまたパーティーを抜け出した。「次の店いこか! 連れてったる、坊主バー! ハハハ」岡田さんには、やしきたかじんが乗り移っている。賑わいの後は、花火が散った後のように寂しくて抜けちゃいたくなるんじゃないかと思った。わたしは、1人で何かをするのも楽しくなったし、岡田さんのような飲み方も楽しい、お金があればの話。岡田さんの口から「嘘ちゃうん?」と思うくらいに有名人の名前が出てきた。本当に知り合いらしいのだ。確かに「木村さんに会わせたる」と言うと、数分後には目の前に木村さんがいたし、今度はAさん(北新地でお店を持っていた人でチャーミングな女性)にも会わせてくれるという。「Aさんがあんたのことをどう思うかまでは知らんで、ハハハ」というのがサイコーだ。
タクシーをとばす岡田さんは喋り続ける。ペコちゃんによるとここはアメリカ村だという。「古い建物の階段を上がるとそこは新宿ゴールデン街だった」な場所だ。坊主バー真宗大谷僧侶の堀さんと、映画にめちゃ詳しい末巻さんと(堀さんと末巻さんは同人誌で知り合った)ま〜〜〜た喋る。映画と本の話で大興奮だった。京都にお住まいの川井さんが途中で帰り、お勘定をわたしたちの分まで出してくれた。閉店まで飲みたかったけどペコちゃんが終電で帰るというのでわたしも終電で帰った。岡田さんはいつまで……ハハハ。この日頂いた名刺は10枚。「あなたも名刺を作った方がいいよ」と堀さんに言われた。そうだ名刺を作ろう。以前から肩書きは「元・ひきこもり」って書くわけ? と迷っていたのだけど、tenko N/Aを肩書きにしてしまえばいいのだった。
次回は原一男監督の講座だ……どうなるのだろうか。お金がないのに大変だ。
★大森一樹監督の講座。ハートの入ったマフラーを巻いていた。
★木村政雄さんと。わたしは酔ってます〜。
2004/01/23 |
お昼にお米(おじや)を食べた。
▼朝、小雪がパラパラと舞っていた。
▼いつもは3週間に一度の通院なのだけど体調が悪くて2週間目に行く。「今はしんどい時期だと思うわ、でも下降しているわけではなくて現実と直面している時期なのよ。かわいさんならできるって。ここ1年で急速に変わったんだから。これからペースを落としていかないと気力だけでは持たないから食べるようにね」と言われて安心した。炭水化物は食べられるようなったけれど蕎麦かうどんだった。「摂食障害の人は蕎麦は食べられるけどお米には抵抗があると言うのよねえ」とK先生が言っていた。お米は太るというのは思い込みでお米も食べた方ががいいとのことだった。
重度の自閉症の男性が母親と一緒に来ていた。ゴミ箱から集めたアルミ缶を千切って手が傷だらけになっていた。アルミ缶に入っていた小石や小さなボタンが床に散り、千切ったアルミ缶はポケットに詰め込んでいるのだ。散った小石やアルミ缶のタブを拾って別の缶に入れる。今度はポケットからナマズのキーホルダーが出てきた。次は何がでてくるんだろうとわくわくした。彼はニューヨークの地下鉄で踊っていた黒人たちに負けないくらいの表現力だった。わたしの隣に座っていた彼は、姉にもらったバッグに付いていたクマの小さな缶バッジが目に入った瞬間手が伸びた。彼には隣にいる他人なんかよりも缶を千切ることに夢中なんだ。彼の母親は少し疲れた表情だったけれど、「怒鳴っちゃダメなんですよ。長年活動をしたり心中も考えましたけど、わたしはこの子と生きると決めたんです」と語っていた。母は彼のお母さんと話し込み「遊びに来て」と名刺をもらっていた。
▼母と天王寺コーナンで買い物をする。
▼母と天王寺で別れ、天王寺MiO5F「カフェビギン」でコーヒーを注文し日記を書く。木村くんにメールをして電話で話をする。
恐かったが思い切って10F「信州そば野」三菜蕎麦を食べる。一人で食べてる女性が数人いた。全部食べないと悪い気がするので残さずに食べた。ニューヨークでも皆平気で? 残していてたのだけど悪い気がしたのでよく包んでもらっていた。(姉宅の冷蔵庫に入れて腐らせているのだから、わたしが変なところで気を使っているのか)
何事も苦しみにしてしまう癖があるのは自覚している。あわつさん(菅野さんの友人)のように仕事をするときは集中し遊ぶときはとことん遊ぶ。「死にたければ、死ねば? と言うね」というキツそうな言い方が、彼のやさしさなのか分からないけれど見習いたいところは沢山あった。「ん? 煙草? 親にもらうときもあるよ、ハハハハ」と笑っていた。新宿の居酒屋で飲んで食べた後、あわつさんの友人が経営しているゴールデン街に連れて行ってもらった。ベロベロに酔っ払うまで飲みたいと思ったけど、木村くんに「かわいさん、明日撮影がありますから」と言われて渋々帰ったんだった。
7F「無印良品」でクレンジングシートなどを購入。顔を洗うのが面倒なときに便利。
▼アポロシネマ8で『ラスト サムライ』を観る。途中から時代背景や武士道の矛盾なんてどうでもいいやと思った。面白ければ笑えばいいじゃないか。感動すれば泣けばいいじゃないか。トム・クルーズのナルシストな演技は勿論のこと、渡辺謙が全く見劣りしていない目の凄み。戦闘シーンでは「攻めろ! イケ! いっちまえ! そうだ! 死ぬ気でイケ! 攻める方が強いんだ! 向かえ! 止めるな! 勝つんだ! 大砲なんかに負けるな! 前へ進め! 諦めるな!」と……声が出てたんとちゃうだろうか。久々にパンフレットも購入。
▼内田さんから電話、プラットホームで話をする。切った後母から「今日は寒いから早く帰っておいでよ」と電話。
▼駅から自宅まで走って帰った。
★2003年11月28日、ゴールデン街にて。あわつさんと。
2004/01/20〜2004/01/21 |
▼午前6時30分頃、起床。頭痛。【朝食】オールブラン(お茶碗一杯くらい)にカスピ海ヨーグルトをかける。お味噌汁、サラダ(ブロッコリー、トマト、レタス)に青じそドレッシングと母がミキサーで作ったセロトニン効果があるという(?)青海苔のようなものをかける。2階自室のベッドで掲示板の書き込みを読みながら食べる。摂食障害の患者は1人で食べない方がいいと言われているが、食事以外のときでも自室には極力入ってこないで欲しいと母に頼んでいる。わたしからは話し掛けても、話し掛けてこないで欲しいと頼んだこともある。勝手な奴だとは自覚している。ソラさんへ返事を書く。
▼正午、【昼食】きつねうどん、サラダ。昼食に炭水化物を入れるようにした。身体がポカポカと温まり心地よかった。3時間ほど寝る。
▼午後4時頃、ジムに自転車で行く。クロールで40分ほど泳ぐ。水が重たく感じた。シャワーを浴び、マッサージ機でマッサージを10分。おしろいと口紅を軽くつけ眉を整えるだけの薄いメーク。ニューヨークで購入したBANANA REPUBLICの革ジャンばかり着ている。晴れの日も雨の日も木村くんが撮影中よく着ていたPUMA (?)のように(2003/11/18参照)。
▼午後5時30分頃、ジムを出て電車に乗る。最近は寝る場所となっているが、電車での発見はたくさんある。
▼午後6時30頃、梅田に着く。午後7時に看護師の輝ちゃんと待ち合わせをしている紀伊國屋書店へ向かう。輝ちゃんと会うのは出演を含めて2回目。北新地でアルバイトをしていた頃に知り合い、英子ママと一緒に出演してもらった。待っている間店内を見渡す。インターネットで本を買うのも便利だけど、パッと本が視界へ入ってくる書店も便利。どちらもいい。裏手(?)入り口付近の棚に置いてあった吉本隆明著「ひきこもれ」が目に留まる。大きい字で驚いた。同じ棚の小林秀雄の本も手に取る。
▼午後7時、輝ちゃんから10分遅れると電話。cokeくんが書いた本を探すが見つからず。cokeくんとは東京池袋の喫茶店で30分くらい話をした。そのままノンフィクションの棚を眺めていると、雨宮処凛さんで首(?)が止まり「EXIT」を衝動買い。
▼午後7時10分頃、輝ちゃんと会う。少し立ち話。
▼午後8時30分頃まで、書店近くの喫茶店でコーヒーを飲む。ミルクを入れて2杯。ほとんどわたしが喋っていた。彼女は聞いてくれる。うなずいて否定しない彼女のやさしさに素直に甘える。
▼午後8時40分頃、HEP FIVE7階「信州庵」で食事をする。「何でもいい、輝ちゃんが決めて」と言っていたのに、コーヒーもそば屋さんもわたしが決めていた。お箸が転んでもおかしい状態になった。時間は輝ちゃんに決めてもらった。「じゃあ、そろそろ帰ろうか」と午後9時40分頃にお店を出る。「なぜ出演してくれたの?」と聞くと「こっちも刺激になっていたんだよ」と輝ちゃんは帰りの電車のドアが開くまで横に居てくれた。
▼午後10時頃、改札口で突然トントンと肩を叩かれた。「10円忘れていますよ」とサラリーマン風の男性が10円玉をわたしの手にポンっと渡した。睨み付けた自分の顔に天使が降りて笑顔がこぼれた。
▼午後10時頃、電車を1本遅らせプラットホームの喫煙コーナーで煙草を吸う。煙草は外出時のみと決めている。自宅だと止めどなく吸ってしまいそうなのと、煙草が吸いたくて外出できる。一日6本くらい。
▼午後10時30分頃、駅から自宅まで自転車で勢い付けて走る。
▼午後10時35分頃、帰宅。服を脱ぎ捨てコンタクトレンズを付けたまま顔も洗わずに寝る。
▼午前2時頃、目が覚める。コンタクトレンズ洗浄、洗顔、歯を磨く。ノート(KOKUYO Campus5号)にボールペンで日記を書く。赤や蛍光ペンで滅茶苦茶になってるのが気に入っている。パソコンの「秀丸エディタ」には、訴えたいことテーマだけを考えて打ち込む。考えがまとまらなくても打つ。手書きもいいけれどパソコンはやはり便利。
▼午前5時頃、朝食を取りながらお気に入りのページを見て寝る。
▼午前8時、起床。家族が一体となり人を殺していく夢を見る。エリザベスカラーをつけたピータンを抱えて逃げようとすると、いつも冷静な姉が「逃げるんじゃない、ゆみこ(姉はわたしを「ゆみこ」と呼ぶ)! 修学旅行に行くのよ!」と大声で言った。恐かったけど皆に支えられていると感じた。
★ギアをガチガチっと。
★エリザベスカラーをつけたピータンは悲しそうな顔をしている。耳を掻くので外せない。1997年8月10日生まれ。
2004/01/18 |
やっと炭水化物が食べられるようになった。tinteteさんにサラダうどんをご馳走になったときと、英子ママたちと山辺の道に行ったとき(12月21日)に食べたラーメン以来だ。母が作ってくれた蕎麦は冷めてしまったけれどおいしかった〜。
★2003年11月26日、tinteteさんが新宿ヨドバシカメラで買ったデジタルカメラを指差す。
★そのデジタルカメラでtinteteさんに撮ってもらった写真。
2004/01/17 |
夜、内田さん(日本映画学校の女性)と電話で2時間ほど話ができてスッキリした〜。数日前に電話で喧嘩になってしまったのだけど(わたしが先に怒鳴ったのでは?)、そこで終わっちゃうとダメなんだよ〜(わたしが先に怒鳴ったのでは?)。「この映画さあ、父も観にくるかもしれないんだよな。アハハハ、まあいいやもう〜」で電話を切った。父が途中退席しなければいいのだけど……。15日深夜帰宅してから朦朧としてたのだった。
2004/01/16 |
2001年夏(ひきこもり脱出から半年くらい)近所のお祭りですくった金魚。7匹が2匹になり卵もたくさん産んだ。稚魚は親魚が食べるか途中で死んだ。2003年10月15日ニューヨーク出発直後一匹が死んだ。コイツが一匹生き残った。今はゆっくり泳いでほとんど食べない。夏にエサをいっぱい食べて脂肪をつけたので大丈夫。
★2003年12月9日、水槽掃除したときの。
2004/01/11 |
帰宅後すぐジョン・レノンで一休み。
★千田くんが好きなジョン・レノンのCDを衝動買いする。ニューヨークでは余裕がなく落ち着いて見られなかったけれど、ストロベリー・フィールズとダコタ・ハウスに行ったのだった。あの時は、「二度と来られないかもしれないんだよ! ジョンがここを歩いてたんだよ!」と口やかましく言っていた。
音楽や英語に知識も興味もなかったのだけれど、ひきこもっていた頃、音楽に詳しいネットの知り合いJammyさんに教えてもらった曲“Nothing's gonna change my world”という歌詞が気に入ってよく聴いていた。もう記憶から消えてしまっていたのが、セントラルパークでその曲「アクロス・ザ・ユニバース」がよみがえり口ずさんでスキップをした。同じく音楽好きのrchさんに作ってもらったページの基盤である「tenko N/A」のN/Aは「わたしはどこにも属さない」の略だったと思う。彼らは「頑なさ」を「『頑なさ』も悪くはないんだけれど、もっと世界は広いんだよ」とさりげなく教えてくれていたのかもしれない。
★2003年10月20日、ストロベリー・フィールズにて。撮影で忙しい合間を縫って千田くんはセントラルパークにいた仙人のような人に場所を尋ねていた。口数が少なくぼそぼそと話す彼の大胆な行動に驚いたんだった。
2004/01/10 |
部屋の整理と掃除をする。夜過ごすベッド周りは、パソコン、映画チケット、ピンク色のものなどを置いて「楽しい巣」に。去年の12月7日、ななちゃんのお見舞いに行った時、病室の壁に浜崎あゆみの切抜き(だったと思う)を張っていたので、わたしも美容院で「こんな髪型にしてください」と渡した切抜きを「無印良品」のメモボードに張り付けてみた。「『CanCam』なんて、フン!」と思い込んでいたのだけど、ベッドサイドに限らず活発で可愛い女の子を眺めるのは気分転換になるもんだ。そーいや、わたしがギャル……だった頃、『JJ』を愛読していたのだった。30代で『CanCam』な〜んてのもいいじゃないかヨ。
★ななちゃんは素直な女の子だった。その時は意識してなかったけど、同級生にななちゃんと同じくらいの子供がいるんだった。その、ななちゃんに「煙草ちょーだい」とねだってしまった〜。
2004/01/08 |
▼午前5時、起床。咳鼻水。
▼午前9時頃、「ひきこもり、脱出日記」更新。
▼午前11時まで、寝る。
▼午後1時頃、木村くんにメールを送る。
▼午後1時、母と車で精神病院に行く。抗うつ剤、睡眠薬、抗不安剤3週間分と、風邪薬(セルベックス、ケジフェン、フロモックス、アストミン、PL、SPトローチ明治)を1週間分処方してもらう。
▼午後2時頃、木村くんからメールの返事。2月10日頃に編集したビデオができるとのこと。
▼午後4時頃、両眼激痛。阿倍野アポロ7F服部眼科に行く。薄型ソフトコンタクトレンズ(HOYA)に変更する。
▼午後5時頃、同場所アイシティアポロで、コンタクトレンズ用液(コンプリート)6ヶ月パックを買う。
▼午後5時頃、同場所1Fダイコクドラッグで、VAAM(ドリンク4、ゼリー3)、LOTTE XYLITOL(PACK3×3)、コンプリートコンタクト目薬を買う。
▼午後5時30分頃、母と天王寺で別れ電車で梅田へ行く。
▼午後6時頃、ローソン梅田茶屋町店で、volvic500mlを買う。
▼午後6時頃、茶屋町3COiNSで、ゴミ箱(KEEPCLEAN)、ハンガー(CLOTHES HaNGERS)を買う。
▼午後6時頃、梅田ロフトに行く。
▼午後8時30分まで、同場所4Fカフェ「qui-qui」で、煙草(セブンスター)を吸いながら読書。
▼午後8時50分の回、同場所B1テアトル梅田で、『木更津キャッツアイ』を「観るか、観ないか」迷ってやめる。
▼午後10時頃、帰宅。
▼午後11時頃、メールチェック、お気に入りのページを見ながら寝る。
★買ったゴミ箱とハンガー。そろそろ部屋の整理をしヨ〜。
2004/01/05 |
【トレーニング後】最高血圧146、最低血圧53、脈拍67、体重51.75kg
2003/12/31〜2004/01/01 |
部屋の掃除はほったらかしで、朝から夕方までページやパソコンの整理をする。
父は、「お、○○が歌うぞ」とお酒を飲み騒ぎ紅白歌合戦(?)を観ていて、母は、そんな父と「え? だれだれ」とキッチンと居間を行ったり来たりしながら、料理をし、オーブンを磨き、テレビを観て、摘み食いをして楽しそうにしていた。
わたしは、煙草が吸いたくて(自宅で吸うのは自主的に禁止している)21時30分頃、自転車でファミリーレストランに行き、読書をしていると、「あけましておめでとうございます〜」と耳に入ってきた。2004年0時30分であった。運動がてらに自転車で10分ほどの道明寺天満宮に行き、本当はお金がないだけなのに「5円はご縁」と都合よく考え、財布に入っていた5円玉を2枚投げる。わたしは厄年らしいが、お守りにすがる精神に嫌気がさし、自分で吹き飛ばそうと思って買わなかった。ただ、記念に何かを買うのは好きなので、学業成就の鉛筆を買った。5本で300円。午前2時に帰宅。あ〜、睡眠薬でくらくらしてしまったが、爽快な気分。帰る家があり、両親が健在であるというのは幸せなことだ。
★2004年も頑張ろう。
2003/11/25 |
ちょっと東京へ行ってきます。
2003/11/24 |
一日雨。しかし、よく寝た。11時頃から17時まで寝て、飛び起きてジムへ行き(祝日の営業時間は19時までなので)、ラストまで泳ぎ、帰ってきてまた22時まで寝た。
「やるといったらやる」という有言実行をしてきたのは、弱く甘ったれた自分を追い込むためでもあったし、映画制作という目的があったからだ。撮影が始まった8月には体重が85キロあった。11月中には「50キロ台にするよ」と木村くんたちに宣言していた。これは半分冗談で言っていたのだけど、今日、体重計に乗ると59キロになっていた。削ぎ落とした26キロの脂肪は、わたしがわたしへ贈る誕生日プレゼントにしよう。また身体には付けたくないのだけれど……。
2003/11/23 |
11時から14時までジム。ジムには、25mプールが8コースあり、曜日や時間によって、ウォーキング、休憩しながら、25m、50m、レッスン(アクアビクス、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライなど)、キッズスイミングでコースが変更になる。わたしは、まず、ウォーキングでストレッチをして、25mコースで体を慣らし、50mコースで1時間くらい休憩なしで泳ぐ。50mコースに入るのは少し勇気がいり、長距離を泳げても怖くて入れないという人がいる。ペースの速いコースだと、付いていくだけで必死で、後ろの人の指が自分の足に当たると、焦って泳げなくなってしまうことがあるのだ。わたしは距離はそこそこ泳げるようになったけれど、スピードはまだ遅いので、速いコースのときは、最大の力を出して50mくらい泳ぐ。それで何キロも泳いでいる人と同じスピード(または遅い)なので、まだまだなのだ。いつまでも遅いコースで休憩を入れながら泳いでいても上達しない。勇気を持って速いコースへ入り、見よう見まねで泳いでいると、スピードが感じ取れるし、長距離を泳ぐ度胸も付くのだ。上手な人の泳ぎがわかると自分も上達しているそうだ。誰かに追い抜かされようが、ゴーグルに水が入ろうが、レーンに指をぶつけて血豆ができようが、前に進み続ける。水が重く感じても立ち止まらない。ランニング・ハイの楽しみがあるからだ。わたしは呼吸時のフォームが崩れてしまうのだけど、それも意識して直すようになる。余計なところに力が入らないように、水の抵抗が少なくなるように、自分の体が教えてくれる。
泳いでいる間考えていることはなんだろう? 何も考えてないってことはない。短い言葉でつぶやいている。わたしは魚だ、前へ進め、強くなるぞ、高橋尚子だ、負けるものか、など攻撃的なことが多い。しかし、泳ぎ終わると、清々しく優しい気持ちになる。「泳いだ後のビールが旨いんだよ〜」という人もいる。わかるわかる、わかるなぁ〜。
騒ぎすぎてスタッフの人に注意されたことがあるので、今は気をつけているけど、クロールの基本を教えてくれたおじさんを中心に、わたしと同年代の女性2人、Hちゃんと、Kちゃんが揃うとよく喋る。面白いことに……? Hちゃんも、Kちゃんも、わたしと同じく水泳をはじめて10キロから20キロ以上痩せたのだ。泳ぎも目にも迫力がある。Hちゃんはお喋りが面白く、Kちゃんは元水泳の選手だ。それにしても、おじさんに少し映画制作の話をしたら、グループ内で広がってしまって、「映画はどうなってんの? 有名になってるよ。チケットあったらちょうだい」と、喜ぶべきことなんだけど、内容が摂食障害という精神の病気のことなので、「知りませんよもう……わたしを見る目が変わっても」と言っている。賛否両論があった方が面白いし、摂食障害の人たちだけで分かり合えるという、安心感だけでは、わたしは物足りない。わたしを見る目が変わっても、それはそれでいいし、今更隠れてビクビクするわたしではない。
2003/11/22 |
約1ヶ月ぶりに電話で話す。
2003/11/21 |
午前中はジム。
午後から原一男監督の大阪電気通信大学公開講で『さよならCP』を観る。2度目。監督と一対一で話すことができた。講義が終わった教室で、構内を移動しながら、タクシーを待っている間、タクシーに乗っている間、四条畷駅から京橋駅までの電車の中で。監督に、「かわい、」と一言呼び捨てにされたとき、わたしは、「頑張ってきてよかった、頑張ろう」と駆け抜けた。
夜、木村くん、千田くんと天王寺で会う。
2003/11/20 |
一日雨。頭が重い。木曜はジムの休館日。水に入らないと、水が恋しくなる。クロールを教えてくれたおじさんが、「そう思うようになると占めたものだよ」と言っていた。3ヶ月前は、25メートルも泳げなかったものね。
ベッドに置いているVAIOで、お気に入りのページを見る。ミキオ・Eさん(一方的に知っているだけ)が入院している。東京での撮影期間中、ロフトプラスワンを目的に歌舞伎町に行ったのだけど、面白そうなイベントがなかったので、アイドルイベント終了直後、受付のお兄さんに「あの……、スタッフの方ですか?」と言われているのも無視して、木村くんに続いて入った。平野悠さんを一目見ようと探したがいなかった。ロフトプラスワンへ行く途中、雑居ビルの隅で「ふーっ」と深呼吸をしながら見上げると「ナルシス」という看板が目にとまった。ここで昔、ミキオさんが、井上光晴さんや埴谷雄高さんたちと飲んだ場所なんだなと、しばらく立ち止まっていた。
わたしの定位置はベッドで、自宅2階の部屋にあるシングルベッドを巣状態にしている。長時間肘を付いているので、左肘が黒ずんでしまい肘ダコができそうだ。そうだ、サポーターを購入しよう(巣から抜け出そうとは考えない)。頭が冴えないまま夕方まで寝てしまった。
起きると、「てん子さん、もうすぐしたら誕生日でしょ?」とななちゃんから電話。元気な声だった。入院生活が3ヶ月になると言っていた。頑張ってるなぁ、ななちゃん。摂食障害の患者に「頑張ってるね」と言わない方がいいと言うけれど、頑張っている人にはそう言いたい。言われる側は、「あなたに言われたくないわ」と言うのもわかるけど……素直になってもいいんじゃないの。「まだ若いからねえ」というのを、よく聞くし、よく使ってしまう。そりゃ、70歳の人からわたしを見たら若いし、若いからなんだっていうのだろう。「この人に言っても無駄」という意味でもあるわけだから、言われた人は焦らなくてはいけないんじゃないだろうか。ななちゃんとは、12月にお見舞いへ行くと約束して電話を切る。
「いかんいかん、野坂昭如は散歩しているじゃないか」と、雨の中、母と一緒に散歩をする。憧れの人の真似はすることにしている。真似をして真似をして少しでも近づけたらいいじゃないか。ひきこもっていた頃なんて、ネットで知り合った憧れの人と会えるなんて思ってもいなかったもの。
TSUTAYAから更新手続きのハガキがきていたので立ち寄る。内田さん(日本映画学校の)にもらった「映画リスト」を持って店内をウロチョロする。勝新太郎の『顔役』を探すが見つからず。店員に聞いてもないとのこと。暗そうで迷ったが、デイヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット 特別編』を借りる。観るかしら?(追記:観なかった)。
2003/11/19 |
朝から掲示板に返事を書く。書くのは時間がかかる方なんだろうか。たとえば、今日の返事だけで数時間かかってしまった。『全身小説家』の井上光晴氏が「読む方の身にもなってみろ」と熱弁していたシーンが頭から離れないのだ。(原一男監督も生徒の木村くんたちによく言うそうです)。当たり前のことを書いても、「当たり前でしょーが」と自分で突っ込みを入れるし、誤字脱字がないか、漢字かひらがなか、言葉の意味を理解してつかっているか、わからないときは3つの辞書で調べ、最後に音読しないと気がすまないのだ。今は、楽しいからいいのだけど、苦痛になってきたら写真などを貼り付けてごまかすことにする。
今日は、父がふぐ料理に連れて行ってくれた。家族が揃ってどこかへ行くなんて、小学生以来か。お腹が空かないし、頭がぼんやりするので、16時頃「ちょっとプールへ行ってくる」と言うと、「ふぐキャンセルするんか」と決め付けるから困るのだ。何も行かないなんて言ってないのにさ。着の身着のままでジムへ行き、ストレッチもそこそこに、クロールで1時間泳ぎ、シャワーを浴びて、17時にジムを出ようとすると、母から「今どこにおるの?」と電話。「今から帰る」とだけ言って切って、自宅まで自転車で急いで帰った。帰ると母は、「え? 今電話したところなのに」と驚いていた。そりゃー体力付けてきましたからね。わたしは、「できることはできる」と言うし、「できないことはできない」と言えるようになったのだ。で、ふぐ料理店に予定時刻通りの18時に入った。デジカメで写真を撮っている父に、「家族が全員集まるのは、これが最後かもしれないしね〜」と、わたしたち姉妹はちゃかしていたのだった。父は酔っ払って「じゃがましい!」と負けじと返すから元気だ。
2003/11/18 |
自宅でのインタビュー撮影最後の日。
★たこ焼きをコロコロさせる木村くん。★ピータン(約10キロ)を抱っこする千田くん。右は内田さん。