ニューオリンズ・フライド・フィッシュの「白髭のおじさん」といえば、揚げたての白身魚をパンに挟んだだけの簡単なファースト・フードで大成功を収めた外資系飲食チェーン『ニューオリンズ・フライド・フィッシュ』の店頭にいつも立っている、例の恰幅のいい紳士のことだということは誰でも知っているだろう。
 フライド・フィッシュを食べたことがなくても、あのにこやかな笑顔をした等身大のマスコット人形のことを知らない人はまずいないはずだ。でも、意外に知られていないのは、あの人形が実は本物のアメリカはおろか、日本以外のどの国のチェーン店にも置かれていない、日本支社だけの特別のマスコット人形だということだ。
 ニューオリンズ・フライド・フィッシュ・日本支社が設立されたとき、幹部社員たちが大挙してアメリカへ研修に出かけた。そのとき彼らはフライド・フィッシュの産みの親といわれる人物の、ニューオリンズの生家に立ち寄り、その農家の古い倉庫からあの人形をみつけたんだ。もちろん、そこにあった等身大の紳士の人形は創立者とは何の関係もなかった。面影もまるでない。もしかするとそれは田舎のクリスマス祭に使われた、サンタクロースをもじった人形だったのかもしれない。お祭りが終わった後、すっかり忘れ去られて倉庫で埃をかぶっていたのだろう。しかし、それを見つけた幹部社員の一人は、なぜか、その人形を日本に持ち帰り、日本支社のマスコットにすることを強固に主張したんだ。
 いまではニューオリンズ・フライド・フィッシュ・日本支社の重役になっているその人が、わたしにその経緯を話してくれたのは数年前のクリスマス・イブの夜だった。彼の家に招かれてディナーをご馳走になり、正月に行われるサッカーやラグビー選手権の話題に花が咲いて家人が寝静まっても遅くまで二人きりで飲んでいた。
 窓の外に雪がちらほらと舞い始めたときだった。
「ぼたん雪だな」
 と彼がそれを見てぽつりと呟いた。桜の散華よりも少ない、ほのかな雪片だった。
「はあ、でもこの程度ではホワイト・クリスマスというわけにはいきませんね」
 酔いも手伝って、珍しくわたしは軽口を叩いた。彼はうんと頷いてから、しみじみとした口調で、
「外は寒いだろうな」
 といった。
 そりゃあ寒いに決まっている。しかしその声の重い響きに驚いて、わたしは思わず彼の表情を見返した。
「今から三十五年以上も前のことだけどね」
「は?」
「いや、わたしがこの都市(まち)にやってきたのがさ」
 そういうと彼は突然、上京してきた頃のことを語りはじめた。


 そう、あの頃は「団塊の世代」なんていう言葉が使われはじめた時代でね、最近とは違って中学を卒業すると同時に、田舎から集団で東京へ出て働く若者が少なくなかった。彼らは「金の卵」などともてはやされ、中小企業の雇用主から重宝がられていたんだ。
 当時の集団就職組の中にぼくもいた。東京駅前で集団就職者全員で撮った写真を今でも持っているけど、北九州の片田舎から東京へ出てきたばかりの、まだ右も左も知らない坊主頭の少年だったぼくは、皆が漠然とした不安の中にも無邪気な笑顔を浮かべているのに、一人だけ落ち着かない表情をしているんだな。それというのも、ぼくはふつうの集団就職者とは少し事情が違ったんだ。いわゆる孤児院の出身でね、両親、親戚縁者は一切いなかった。当然、東京に身寄りなどいるはずもなかったから、単身で見知らぬ大都会に出てきて、とても心細かったんだ。
 だからぼくは生き馬の目を抜く東京で人一倍忍耐強く、細心の注意を払って働かなければならないはずだった。他の誰よりも辛抱強くね。ところがそんな決心とは裏腹に、せっかく就職した新宿駅前の果物店を半年ほどでクビになってしまったんだ。
 果物店のビルの二階はフルーツ・パーラになっていて、ぼくはそこでウエイターの見習いから始めたんだが、些細なことから先輩のコックと口論になってしまい、そいつの顔に思わずホット・コーヒーをぶっかけてしまった。原因は先輩であるそのコックの陰湿な新入りイジメなんだが、施設で育ったぼくは、どんな些細な侮辱にも敏感に反応する癖がついていて、そいつの態度に過剰に反応してしまったんだな。だけど、先輩の顔にやけどを負わせてしまってはおしまいさ。単なる口争いじゃないからね、会社側としても解雇は当然の措置だったろう。警察沙汰にしなかっただけでも感謝すべきだったのかもしれない。集団就職は住み込みが前提だから、クビになると、寮からもすぐに出ていかなければならない。そんなわけで、ぼくはクビになったその日からホームレスになってしまった。
 変なことをいうけれど、胴体に脚が付いているということは善し悪しでね、目的がなくても足があるから、とりあえずは歩かなくちゃいけない。これがとても辛かったな。ぼくは頼る人もいない東京の雑踏の中を毎日、行く当てもなくさまよい歩いた。何日も何日も足が棒になるまで。
 寮を追い出されたのは十二月の中頃だった。寒くて、腹を空かせ、行く当てもないから、空腹以上に気持ちがすっかりしぼんでしまっていた。きっと、頬をへこませ、目だけギラギラ光らせて、尖った、やつれた顔をして歩いていたんだろうね。新宿の繁華街の小さなラーメン屋や食堂を見つけては、皿洗いや調理手伝いの仕事がないか尋ねてみるんだが、ぼくの荒んだ顔を見ると誰もが雇うのを躊躇した。ぼくはまだ十六になったばかりだったから、言葉巧みに店主に取り入る術もしらないし、嘘もつけなかった。中には気の毒に思って、話を聞いてくれる人もいたけど、保証人もいない孤児院の出身だとわかると、同情はしてくれたものの、きっぱり断られたよ。こんなところでぶらぶらしていないで、はやく田舎へ帰りなよってね。


「どうして郷里の養護施設にはもどられなかったのでしょうか?」
 私が質問すると、まだ五十そこそこにもかかわらず総白髪になった髪を後ろになびかせた彼は、部下から仕事に関しては鬼と呼ばれている精悍な表情をゆるませてこういった。
「上京して一年もたたずにクビになったことを電話で知らせたとき、対応に出た養護施設の職員は取りつく島もない口ぶりでぼくにこういったよ。君には非常に失望した。失業して困っているようだが、それは自業自得というものだ。それに、法的にもこれ以上君を面倒見る義務は当方にはない。養護の対象は中学卒業まで、あとは自分でなんとかするんだね」
 ソファーから身を起こした彼は空のグラスに荒っぽく氷を放り込み、ウイスキーを注いだ。
「ぼくがほとんど文無しで、宿も、知人も、職も何もないことを承知の上で職員はそういったんだ。養護の対象は十五までだとね。そのとき始めて、ぼくは、自分がどういう立場に立たされているか気づいた。施設というより、大げさに言えば国家が、どうしてぼくのような見ず知らずの人間を税金を使ってまで育ててくれたか。その背後にある意図を始めて知ったような気がした。要するに社会の役に立たない労働力としてのぼくは、もはや必要とされていないんだ。役立たずの余計者なんだ。そう思いこんでしまった。ぼくと施設との関係は純然たる契約関係だったんだとね。そこで、ぼくがそのとき取る道は二つに一つだった。飢えて死ぬか、犯罪に走るか」
 急に暗く澱んだ目つきになった彼を見て、わたしは落ち着きを失い、よく考えもせずに「区役所の福祉課へ相談には行かれなかったのでしょか?」
 などと、余計な口を利いてしまった。
 わたしの問いには、すぐに返事が返ってきた。


 もちろん行ったさ。寮を追い出され、五日ほどトラックの荷台や公園の灌木の陰で眠れない夜を送ったあと、ホームレスの老人からそういう所があることを教えられてね。たしか社会福祉協議会とかいうところだった。行ってみると、大学を出てたての若い職員が待っていた。我が儘いっぱいに育って精神的不満だけを脳味噌に空気のように詰め込んだ甘ったれた面の男だった。男は開口一番にぼくにこういったよ。
「君ね、五体満足な体をして何が保護だよ。若いんだから探せばいくらでも仕事はあるだろう。うちは慈善事業でこんなことをやっているんじゃないんだ、さあ、帰れ、帰れ」
 けんもほろろに追い返された。
 厳しいというよりも頭からぼくを怠け者扱いして小馬鹿にしている態度だったな。はげしい屈辱を覚えながら社会福祉協議会の小さな建物を出て、ふと、後ろを振り返ると、ガラス張りになっている一階の事務所から数人の若い職員がぼくの方を見て笑っているんだ。怒りを恥ずかしさで、耳まで熱くなったよ。
 それからどこをどうさまよったのか覚えていない。気がつくとジングルベルやホワイト・クリスマスのメロディが盛んに響き渡る池袋の雑踏を歩いていた。クリスマスが近かった。それに、冬の早い夕闇が迫ってきていた。何度もいうようにそれでもぼくは、ただ歩くしかなかった。万が一のチャンスを求めて、人混みの中をやみくもに。
 とにかく何でもいい、温かい食べ物を胃袋に入れたかった。それから、どこでもいい、屋根の下で、柔らかい布団に身を沈めてゆっくり眠りたかった。望みはそれだけ。それだけを望んで歩いていたんだ。目を皿のように周囲に注意深く注いでね。すると、ふと、ある光景がぼくの目の中に飛び込んできた。街の至る所に立っているサンドイッチマンなんだ。彼らのほとんどは年寄りだけど、なかには若い人もいる。いずれもぼくと同じように、うら寂しい風体の人たちで、どうやら日払いでその仕事をしているようなんだ。
「おじさん、その仕事どうやったら、やらせて貰えるんですか?」
 ぼくは勇気をふるって中の一人に聞いてみた。ストリップ劇場の看板を持っている年寄りのサンドイッチマンだった。小柄で痩せた貧相な老人は、ぼくの顔を見るなり、なんだお前はという表情をしてこういった。
「おめえ、年幾つだ?」
「十六」
「十六じゃだめだ。未成年じゃねえか」
「みせいねんじゃだめなんですか?」
「当たり前だろう、未成年にこんな仕事させられっかよ」
 老人は裸の絵が描かれている看板を顎でしゃくってみせた。
「どうしてもだめですか」
「しつこいなあ、若いんだから探せば、もっとまともな仕事があんだろう。さあ、邪魔だから帰んな」
 あきらめきれずにそこから少し離れた路地の角に立って様子を伺っていると、時折、親方とおぼしき人物が回ってきて、サンドイッチマンたちに声をかけている。仕事が終わって交代するサンドイッチマンにはその場で日当を支払ったりもしていた。どうやらその男が風俗店や飲み屋などから立て看板の仕事を貰ってきてサンドイッチマンを募り、配置などを決めて、日当も支払っている元締めらしかった。
 暫くすると男は再び姿を現した。一階から屋上までが飲食店になっている池袋最大の雑居ビルであるR会館の前に立っていたサンドイッチマンに幾ばくかの金を渡すと、彼は労をねぎらうように相手の肩を叩いて、ぼくの方に向かって歩いてきた。
 恰幅のいい人だった。年は五十くらいだろうか。ハンチング帽を被って、温かそうな純毛のシャツの上に羽毛のジャケットを羽織り、茶のコールテンのズボンをはいて、厚手の登山靴で大地を踏みしめるように歩くんだ。太い黒縁メガネの奥の目は分厚いレンズに阻まれてよく見えなかったけれど、街の喧噪も彼の想念の中へは入ることはゆるされない、そんな稟と張りつめた空気が彼の周りに漂っていた。
 ちょっと不思議だった。サンドイッチマンの元締めの親方なんて、もっと卑属なタイプの人間だろうと勝手に思い込んでいたんだな。ところが人品卑しからず、どこがの一流企業の重役といっても充分通用する重厚な雰囲気を持った人だった。
 近くまで来るのを見計らって男の前に飛び出してゆくと、彼はゆっくり立ち止まった。分厚い眼鏡の奥の目は、レンズが厚いせいで黒目が二重にダブって見える。そのせいで彼が何を考えているかまるでつかめない。
「サンドイッチマンの仕事をやらせて下さい」
 前に立ちはだかって性急にそういうと、彼はぼくを足もとから頭のてっぺんまでゆっくり眺めた。履き古した白い運動靴と中学生時代の黒いズボン、それに浅黄色のジャンパーを着たぼくの姿は彼にどう映ったのだろうか。先ほどの老人のように「年は幾つ?」などとは聴かなかった。何も言わず、ただ、ほんの少し唇が笑ったことを今でも覚えている。
「これから夜の十一時半まで、出来るかい?」
 彼は腕時計をのぞいていきなりいった。
「いま、五時すぎだから、きりのいいところで五時半から立ってもらうことになるけど」
 ぼくはびっくりした。てっきり断られるかと思っていたんだ。断られても食らいついて、拝み倒して、泣き落としてというシーンまで想像していたのに、呆気ないほど簡単にことは運んだ。
「はい」
 とぼくは感激のあまり大声で頷いた。これで今夜は屋根の下で眠れる。温かいごはんと暖かい布団。元締めの親方への感謝よりも、まずその事がぼくの頭を占領した。
「予報ではこれから寒波がくるらしい。夜になればもっと冷えてくるけど、本当に大丈夫かな?」
 彼は白い息を吐いて、僕の顔をのぞきこんできた。
「大丈夫です」
 ぼくは鸚鵡返しに答えた。
「それじゃ今夜から立ってもらおうか」
 そういうと親方は先に立って歩き出した。ぼくは急いで彼の横に並び、大きな歩幅に遅れまいと小走りになってついていった。
 今まではすっかり都市整備計画が実施されて見る影もなくなってしまったけれど、昔はそこから少しいったところに三業地という場末の歓楽街の入り口があってね。戦前は遊郭があったところで、当時でもその細い路地には小さな飲み屋や古い連れ込み宿が密集していた。その近くに名前はもう忘れたけれど、ちょっと上品な感じのクラブがあったんだ。まあ、クラブといっても実態はキャバレーとほとんど変わらないんだろうけど、値段の高い分、粒のそろった女の子を置いて、ボーイの物腰も洗練されていた。ただし、道路を隔てた向こうが池袋繁華街の外れにあたる三業地だったので、経営者は宣伝の必要を感じたのだろうね。
 親方からぼくにあてがわれたのはその店の看板だった。店の前に立つのではなく、そこから少し離れた三業地裏の薄暗い歩道に連れていかれ、そこに立つように指示された。
「それじゃ、十一時半にR会館の前で待ってるよ」
 親方はそういうと、ぼくの肩をぽんと叩いてどこかへ消えた。
 あっけないほど簡単だった。仕事が済めば、つまり十一時半になれば、立て看板をクラブの入り口の脇に置いておく。すると、閉店後に地階からボーイが上がってきてそれを店の中に持ち帰ってくれるのだ。翌日の開店前には、また、ボーイが看板を持って上がって所定の場所に置いておく。サンドイッチマンは黙ってそれを持って指示された所に立てばいいんだ。そういうシステムだった。多分、クラブのマネージャーは貧相な身なりのサンドイッチマンが店に出入りふるのを好まなかったんだろう。だから、ぼくはその店のマネージャーには会っていない。ボーイとも顔を合わせなかった。これは後になってわかったことだけど、親方は、わざと店の人と顔を合わせないですむ仕事をぼくに回してくれたんだよ。そうでなければ、まだ童顔の残る十六歳の少年に店の看板を持たせるような真似を店の責任者が許すわけがない。子供にクラブの看板を持たせるなんて、下手をすれば客の笑い物だからね。おそらくその店のマネージャーは長年、池袋でサンドイッチマンを使ってきた実績のある親方を見込んで、すべてを任せきっていたんだろう。
 それだけじゃなかった。親方はぼくが歳末警戒で巡回中の警察官にうるさく干渉されないようにと考えて、わざと三業地裏の目立たない場所を選んでぼくを立たせたんだ。親方のこういった深い配慮に気がついたのはずっと後になってからだけどね。
 ぼくはさっき、目的もなく歩くのは辛いことだといったけど、何もせずに極寒の街の一角にじっと立っていることが、どれほど苦痛をともなくものか、よく知らなかったんだな。大人でもはじめての者は翌日、脚がむくんで動けなくなることもあるほど、見た目よりも過酷な仕事なんだ。なにしろ六時間から十二時間、電柱のように一ヵ所にじょいっと立っていなければならないんだからね。これに比べれば看板を持って町中を巡回して回るサンドイッチマンの方がよほど楽なんだ。
 案の定、仕事について暫くすると脚が氷柱になったように痺れてきた。北風が猛烈な突風になって街路を吹き抜ける度に、唇の裏側の歯ががちがちと鳴り、鼻水がでてくる。看板の柄を握りしめた手は疼痛を越えて無感覚。一時間もしおないうちにぼくは後悔をはじめた。寒波がやってくる夜更けにはどうなるのか、それまで保つのだろうか? はなはだ心もとなかった。
 たぶん、身体的な苦痛だけだったら、きっと耐えられたと思う。それよりも、たまに通り過ぎるぼくと同じくらいの年齢の高校生や大学生とおぼしき若いカップルが、さも珍しそうに、かすかな嘲笑すら浮かべてぼくを一瞥してゆくんだ。これが堪えられなかった。いったい東京くんだりまで出てきておれは何をしているのだ? もうじきクリスマスだというのに彼女もいない。それどころか泊まるところもなくこんな夜に凍えている。心も身体もぼろ雑巾になったようで、もうそのまま死んでしまいたいくらいだった。いや、実際、死にそうだった。
 そのとき、ふっとひらめいたんだ。トイレは? 人間だから小用くらいは誰でも足すだろう。そのためには少しぐらい仕事を休んでもいいじゃないか? ぼくはそんな理屈を勝手にこね上げた。考えてみれば小一時間たって誰も様子を見に来た形跡がない。これなら少しぐらい仕事をさぼっても大丈夫だろう。咎められたってトイレに行っていたといえば済むことだ。それほど躊躇もなかった。ぼくは民家と民家の間の狭い境界に、親方から預かった立て看板を隠すとR会館に向かってひた走った。
 R会館一階は巨大なゲームセンターになっていて、もちろん暖房完備だった。ぼくはまっすぐにゲームセンターの公衆トイレへゆき、個室に入るなり気が抜けたように座り込んでしまった。
 息をかけてもかじかんだ手はなかなかもとの戻らなかった。感覚のなくなった両掌を胸の中に抱きしめて、痛いほど凍えたつま先を互いにこすりあわせて熱を呼び戻そうとした。今から考えると世界でもっともやすらぐ場所が公衆トイレの中だったなんて、なんてさみしい話かと思うけど、そのときのぼくにとって暖房の利いたトイレの中は夢のように心地よかったよ。やっと指先に感覚が戻っても、ぼくは長い間そこにじっとしていた。誰かにリンチを受けたみたいに疲れて動けなかったんだ。親切に仕事を世話してくれた親方には悪いとは思うんだけど、結局ぼくは、その会館のトイレで時間を潰し、ついに仕事には戻らなかった。
 頃合いを見計らって外へ出ると、街路を、北風が音を立てて吹き過ぎ、それに煽られて粉雪が舞っていた。遠くで赤提灯が揺れているだけで、薄化粧をはじめた道をゆく人の姿はなかった。盗人のように足音もなく無人の街を走って戻り、隠していた看板を持ち帰って誰もいないクラブの入り口近くの壁に立て掛けると、突然ぼくは自責の念にかられた。見回りに来てぼくも看板もなくなってることを知った親方はどんな気持ちになっていることだろう? 本当に大丈夫かい? と心配そうに尋ねた親方の顔が思い出された。
 すると矢も盾もなくそこから立ち去りたくなって、足早に池袋駅の方へ急いでいると、R会館の前で「おうい」という元気な声がするんだ。見ると、例の恰幅のいい親方が会館の庇の下に立ってにこにこ笑いながらぼくを手招いている。
「どこへゆくんだい、ここだよ、ここ」
 その様子からして彼はまだ何も気づいていないようだった。ぼくが仕事をさぼっていたことも、これから逃げようとしていたことも。どうしよう、正直に告白しようか。迷った。いや、あんな嬉しそうな顔を前にして、ずっとさぼってましたなんてとてもいえなかった。ぼくは少し怯えながら親方の方へ引き寄せられるように近づいた。彼は大きな手をぼくの肩にかけると、ねぎらうようにいった。
「ご苦労さん、寒かっただろう」
 ぼくは声がなかった。彼の表情は分厚い眼鏡に遮られて掴めない。
「よくがんばったね。さあ、熱いコーヒーでも飲もう」
 そういうと彼はぼくをR会館裏の小さな喫茶店へ連れていった。そこは細長いカウンター席しかないものの、すべての席にサイホンが置かれて、客の目の前でコーヒーをたてるという丁寧さが売り物の店だった。僕たちが店に入るなり、マスターは黙って二人分のコーヒーを作り始めた。多分、雇っているサンドイッチマンたちと一緒によく来る常連の店なのだろう。親方は席に着くなり、ぼくに日当を手渡した。千八百円だった。ラーメン一杯がまだ五十円ほどの時代だったから、時給に換算して三百円のアルバイト代金は悪くなかった。それで久しぶりに湯気の立つメシが食えて、屋根の下で暖かい布団に寝られるかと思うと、ぼくに選択の余地はなかった。今更、本当のことをいっても誰も喜びはしない。黙ってそれを受け取った。
 親方があまり喋らなかった。静かにコーヒーを味わい、物思いに耽っている風に見えた。ぼくはとにかく気が気ではない。詐欺というか、裏切りがばれる前に一刻も早くそこから立ち去りたかった。差し出されたコーヒーを急いで飲み干し、
「あのうこれで……」
 と口ごもりながら立ち上がると親方はうんと鷹揚に頷いて、こういった。
「明日も頼むよ。もう要領はわかっただろう。五時半に店へ行って看板をとってきて、同じ場所に立つ。終わったら、また今日のところで待っているからね」
「はい」
 上の空で応えて喫茶店を出ると、汗で濡れた背中が一瞬にしてナイフの刃のように冷たく凍りついた。


 私は部長の顔をじっと見ていた。少年時代のこととはいえ恥ずべき行為だ。隠しておけばいいものを、彼はどうしてそんな忌まわしい過去をわたしなどに語るのか? どうにも解せなかった。
 それに一介の経理係長である部下のわたしを、他をさしおいてプライベートな自宅のクリスマス・ディナーに招いたことも、最初から腑に落ちなかったことだ……。
 彼はそんなわたしの困惑した表情を見ると、眉を上げて尋ねてきた。
「それからぼくがどうしたと思う?」
「それはもちろん、あったかいお風呂に入って……」
「いや、その次の日のことだよ」
「はあ……」
「いったんだ、ぼくは。次の日も、また」
「しかし、それでは……」
「そう。みつかっているかもしれないよな。誰かが見回りに来ていて、ぼくの卑劣な行為は露見している可能性がある。しかしどういうわけか夕方になると、昨日の日当を宿代と食事代に使ってしまって懐の寂しくなったぼくの足は、またその親方のいる池袋の方に向かってしまったんだ」


 その日こそは看板仕事を最後までやりとげて、できれば昨夜のことを親方に謝るつもりでぼくは出かけた。でも、今から考えてみるとそんな決心が本当だったかどうか。心の底では、また、人のいい親方を騙すつもりだったんだろう。案の定、当日は前日以上の猛烈な寒さで、路面はかちかちに凍って、すさまじい師走の風が吹いていた。ひとたまりもなかったな。
 ぼくの中途半端な決心は二時間と保たなかった。
 結局、ぼくはまたしても仕事を放棄して、三本立ての映画館で時間を潰した。それから何食わぬ顔で親方の待っているR会館へ向かったんだ。もう、何もかもバレているのかもしれないのに、運を天に任せて、一日の食事代と宿代を手に入れるために親方に会いにいったんだ。
 R会館の前で待っていた親方は昨日とまったく変わらない穏やかな笑顔でぼくを迎えてくれた。
「ご苦労さん。寒かっただろう」
 心の底まで響くやさしいねぎらいの言葉は刃物のようにぼくの胸を突き刺した。いったいおれは東京くんだりまで出てきてん何をしているのだ。何度も反芻した思いがまた蘇ってきた。彼は、昨日と同じようにぼくの肩をぽんと叩くと、例のコーヒー店へぼくを誘った。
 もう忘れてしまったけど彼はコーヒーを飲みながら何かとぼくを励ますようなことをぽつりぽつりと語ったな。夢を持てとか、人生を投げちゃいけないとか、地道に働いていればきっといいことがあるとか、たしかそんな内容だった。
 殊勝に相槌を打ちながら、ぼくは進退に窮していた。
 人の良い親方を平気で裏切っている自分が自分でどうしても受け入れられなかった。自分をとんでもない極悪人だと思いたくなかった。親方の話を上の空で聞きながら苦心して捻り出した自己弁護の答はこうだった。孤児であるぼくにはどんな行為も最初から許されている。こんなせち辛い世の中に一人で放り出された者が生きるためには仕方がないことだ。神様だってきっと許してくれる。そう思いこむことによって、やっとぼくは平静を保つことができた。
 その翌日、新宿三丁目の安宿で目を覚ますなりぼくはある決心をした。こうなればバレるまで親方を欺き通してやろう。今更、これまでの経緯を話して許しを乞う気にはなれなかったし、それにこの冬空の下で、再び眠るところもなく、腹を空かせて、重い足を引きずって歩くことは金輪際お断りだった。
 ぼくが十一時半まで歯を食いしばって看板仕事を全うすれば、すべてば解決することはわかっていた。でも、最初につまずいてどこかが狂ってしまったんだな。それまでの経緯に口をぬぐって元通り仕事に戻ることはできなかった。それどころか、これからはまるっきり看板を持たないことに決めた。池袋にも行かない。新宿の喫茶店やゲームセンターなどで深夜まで暇を潰し、時間になればR会館へ日当だけもらいにゆく。そうなれば、いくらんんでもそこまですれば、いずれ親方は気づくだろう。それならそれでいいとぼくは思った。いや、むしろぼくはそれを望んでいたのかもしれない。
 三日目は、だからいっさい仕事はしなかった。
 いつもの時刻に、親方との待ち合わせの場所へ行くと、先に来て待っていた親方は相変わらずににこやかな笑顔でぼくを迎えてくれた。頭からぼくを信じ込んでいるその姿がぼくには不思議でならなかった。これだけあからさまな詐欺をしているのに、彼はいまだにぼくの裏切りに気づいていないのだろうか? そんなはずはない。そんな凡庸な親方ではこの世界で通用しないはずだ。ぼくは目を見張って親方の表情を窺った。はじめて会った日の、すべてを包み込むような、おだやかな面持ちには微塵の変化も見られなかった。ただし、目だけは分厚いレンズに覆われて小さな一点の黒目にしか映らないから、そこにどんな感情が生起しているかはよくわからなかった。それでも彼のゆったりした態度から、彼がぼくを信じ切って何ひとつ疑っていないことは確実のように思われた。
 その日も親方は喫茶店にぼくを誘ってサイホン・コーヒーを奢ってくれ、コーヒーが出来上がるまでの間、ぼくを励ますようなことを低い声でぼそぼそ呟いた。それから、当然のようにその日の日当を手渡してくれたんだ。


 部長がそこで一息入れたのをしおに、わたしは生唾を飲み込んだ。異常に喉が渇いた。酔いはもうすでに醒めていた。しかし水を飲む気にもウィスキーを手を伸ばす気にもなれなかった。
「そんなことが一週間も続いたんだ」
 部長は組んでいた掌の上に顎をのせると、足許を見つめながらぽつりといった。
「あれは、ちょうどクリスマス・イブの夜だった。ぼくは、なにかとてつもなく悪いことをしでかしているんじゃないかという空恐ろしい思いが、そのころには極限にまで達していた。ところがその一方で、毒食わば皿までの心境になったぼくは居直ってもいた。こうなればとことんやってやろう、地獄まで堕ちてやろうってね。けれどもその夜、突然ぼくに、ある疑念が生じたんだ」
 わたしは返事も返せず、ただ、じっと彼を見つめ返した。
「親方はぼくの裏切り行為をすべて承知の上で演技してるんじゃなかろうかとね」
 じっとしていられなくなったのか彼はソファーから立ち上がって窓際に歩み寄った。窓の外はいつのまにか吹雪になっていた。


 考えてみればもっと早く気づくべきだったんだ。常識で考えても一週間どころか二、三日、いや初日からぼくの行為は親方の知るところだったはずだ。あれだけ街中を歩き回っている人だから、仕事に不慣れなぼくの様子を見に来ない方がおかしい。声をかけなくても遠くからぼくを見守っていたはずだ。百歩譲って、二、三日ならともかく一週間も様子を見に来ないなんてことはいくら何でも絶対に有り得ない。では、にもかかわらず、そんなことをおくびにも出さずに、にこやかにぼくを迎えてくれる親方はいったい何なのだ?
 いつもの喫茶店でのことだった。親方へのそんな疑惑が生じた瞬間、静かにコーヒーを飲んでいる彼の姿が、その占めている空間が、突然、近寄りがたい威力をもつ、何か途方もないもののように感じられたんだ。すると店内の光景がいきなりぐにゃっと湾曲した。ぼくはぼくが何者であるか瞬間的にわからなくなってしまった。どこにいるかも、なにをしているかもわからない。動悸と冷や汗が不安を倍加し、そのまま気を失いそうになった。一生懸命、いや違う、そんなことはない。親方は何も気づいていないんだ、ほんとうに何も知らないんだと自分に言い聞かせるんだが、どうにもならない。
 ぼくが騙しているつもりが逆にすべてお見通しなのだとしたら? しかもすべて承知の上で彼が、わたしが折れるまでそのゲームを続けるつもりでいるのだとしたら? そんな人物が現実にもし存在しているのだとすれば、自らの宿命を呪い、ぼくが激しく憎悪していたこの世の仕組みと人間が、またしても一変してしまうことになる! そんなことはあり得ないはずだ!
 ぼくは舌を噛み、膝をつねって、必死で踏ん張った。そして、いつものように親方が差し出した日当を震える手で鷲掴みにすると、恥も外聞もなく、逃げるようにその喫茶店を飛び出したんだ。


「それっきりぼくは親方に会いにいかなかった」
 窓際から戻ってきた部長はソファーに腰を下ろした。わたしは自身のことに思いをはせて戦慄していた。ほんとうにそんなことが起こり得るのだろうか?
「それっきりなんですか……」
 かろうじてわたしはそう問いかけた。
 白髪の上司は暫くためらっていたが、やがてこういった。
「じつをいうと、それから半年ほどして、ぼくは一度だけ彼に会っているんだ」


 深夜、行くあてもなく歩いていると焚き火をたいている道路工事の人たちに会ってね、火にあたらせてもらって身の上話をするうちに、親切にカレーライスを奢ってくれた。その上、日雇いの建築仕事を世話してくれたんだ。ぼくは紹介された飯場に入って半年みっちり働いた。そして幾ばくかの金を貯めると、それをもって池袋の親方に会いに行ったんだ。
 午後の七時でもまだ明るい初夏のことだった。池袋のR会館の前までゆくと数人のサンドイッチマンたちとあの親方が小さな輪を作って立ち話をしているんだ。多分、仕事の手筈の相談だったんだろう。ぼくは矢も盾もなく懐かしくなって、初めて会ったときと同じように前後の見境もなく、真っ直ぐ親方のもとへ走っていった。
 息を切らせて輪の中に割り込み、
「親方、ぼくです。あのときの……」
 そういって頭を下げたんだけど彼は心底驚いた顔をするんだ。
「どなただったかな?」
 ぼくは信じられない思いで相手の顔をみた。にこやかだが、困惑を隠しきれない表情がそこにある。
「昨年の暮れ、仕事を世話していただいたのに、何もしないで逃げた……」
「知らないね」
 親方は最後までいわせなかった。
「ぼくはあなたに見覚えがないよ、誰かと勘違いしてるんじゃないかい?」
「でも……」
 呆気にとられていると彼はぼくの肩に手を置いて、穏やかにこういったんだ。
「サンドイッチマンの仕事をさがしているんなら、いつでもあるからね」
 ぼくはその一言で立ち竦んでしまった。親方は未だに演技をしている! 彼は例のポーカーフェイスをあくまでも続けるつもりだ。ぼくの裏切りも、ぼくさえも最初から存在していなかったかのように!
 呆然としていると、彼は何事もなかったかのように背を向けて歩き出した。親方を囲んでいた先輩のサンドマンたちも、まるでぼくと親方とのこれまでの経緯を承知しているかのような淡い視線をちらっとぼくに当てると、何も見なかったかのように淡々と親方のあとに従っていった。
 ぼくはハッとした。ひょっとしてぼくがサボっていた間、ぼくの代わりに毎日看板を持って立っていたのは親方だったのではないか? そして親方はいつかぼくが仕事に戻ってくるのを待っていたのではないか? 空想かもしれないけれど、サンドマンたちの目の色からぼくはそんなことを考えた。もしそうだとすれば、彼がぼくの謝罪を受け入れることは今後ともあり得ないだろう。そんなことなら初めからぼくを叱っていたはずだからだ。
 ぼくは親方に返すつもりで持ってきた紙幣をポケットの中で汗ばむほど握り締めたまま一歩も動けなかった。貧しい身なりの一団が人混みに紛れて淡い影になって消えてゆくのを見送りながら、ぼくはその時初めて負けた、人生にも、人々にも、自分自身にも完敗したと思ったね。ぼくが考えていたほど世間や人間は単純でも浅墓でもなかった。それをあの人たちから教わったんだ。仮に真っ黒な雪ばかりが降っていたとしても、その中にひとつでも白い雪があれば、それでもう、雪は黒だと決めつけられなくなるんだと。
 それから後の、ぼくの生き様については君も少しは噂を聞いてきるだろう。業界は伝説的な人物として持ち上げているけど、ぼくはただ……死に物狂いで働いただけだ。
 二十歳までに独力で小さなパン屋を作って、カレーパンで一山当てた。それまでの常識を破ってタダ同然の大豆粕、つまりオカラを具に使ったカレーパンを考案してね。収益の高いこのパンはよそのパン屋からも飛ぶように注文がきて、一時、ぼくに莫大な収益をもたらしたよ。それからは、アイデアがつぎつぎと当たって、ぼくの名前はファースト・フード業界にも知れ渡った。
 しばらくすると日本経済は安定期に入り、ぼくのような資本力のないパン屋は大手に押されて、思い切り腕を振るう機会をなくした。パン工場の吸収を条件に、新設されたニューオリンズ・フライド・フィッシュ日本支社の重役にぼくが迎えられたのは丁度その頃だ。ぼくは二つ返事でオーケーした。そして大勢の社員たちとアメリカへ研修に出かけた。そのとき、創立者の生家の倉庫であの人に会ったんだ。いや、あの人そっくりの人形にね。


 わたしはようなく平静を取り戻していた。そこである疑問を口に出してみた。
「でも、本当のところ理由はなんでしょうか? どうして親方はあなたの裏切りを承知の上で、見ず知らずの少年に何日も無駄な日当を払い続けたんでしょうか? 単にあなたが可哀想だったから?」
 部長はうんと大きく頷いた。
「それがこの年になるまで、ずっとわからなかったことなんだ。いや、ぼくなんかには永久にわからないことかもしれない。でもね」
 彼はわたしをじっと見つめるとこういった。
「今になって思うんだけど、ひょっとして彼も若い頃、ぼくと同じ過ちをしでかしたんじゃないかと思ってね」
「はあ」
 わたしは飛び上がらんばかりに驚いた。
「というのも……」
 彼は面映ゆそうに顔をしかめていった。
「いつかぼくも、誰かにお返しをしなければいけないと、ひそかに願ってきたからなんだが……」
 そこで、突然ことばを切ると彼は置き時計をみた。
「いやはや、つまらない話のためにずいぶん遅くまで引き留めてしまったね。泊まってゆくかい?」
「いえ、おいとまします」
 わたしはディナーに招かれた理由をもはや明確に理解していた。経理係長であるわたしが仕手株に会社の資金を流用して大穴をあけ、一千万ちかい損失を出しかねなかったことを彼は知っているのだ。
 外へ出ると吹雪はやんで平静な住宅街に森々と大きな牡丹雪が落ちていた。
「明日は積もるね」
 玄関まで見送りに出た部長がそういった。
「ホワイト・クリスマスです」
 わたしは万感をこめて彼にそういった。
「うん」
 彼は満足そうに頷いて、ちょっと照れくさそうに、
「奥さんと子供さんによろしく」
 といった。
「はい」
 わたしは深々と頭を下げた。彼のことばの響きから、わたしが孤児養護施設出身者であることを彼が最初から承知していたことがわかった。何もかもわたし一人のために用意されたクリスマス・ディナーだったのだ。
 今夕、家を出るとき、奇跡が起こったと喜んでいたことは実は奇跡でもなんでもなかった。下落したわたしの株を高値で譲ってもらいたいという人物が現れたと証券会社の担当者から電話連絡を受けたときは、どこのお人好しがと嘲笑い、かつ、これで損失を埋められると狂喜したもだったが、その奇特な人物の正体は「白髭のおじさん」だったのだ。
 切れ者の彼は、わたしがバブル時代に買った住宅ローンの支払いに行き詰って会社の金を仕手株に流用したことから、株式の運用を任せた証券会社の担当者の名前、株券の種類、損失の額まで、なにもかも調べ上げていたのだ。きっとそうに違いない。でなければ、このせち辛い世の中にいったい誰が?
 表に出たわたしは部長が渡してくれたコウモリ傘を降り続く雪の夜空に向かって突き上げた。真っ暗闇だけど、無限の彼方から際限なく白いものが落ちてくる。わたしは胸の中で思いの限り叫んでいた。
 メリー・クリスマス!

 [おわり]


haruo iwaki