広告の法則

いや、思いつきでしかないんだけど、結構あてはまるかなと思ったこと。

ねつ造と偽装とテレビ局経営

これを読んでいて、あることに気がついた。

それは、

広告の「格」は、
広告の載せられるメディアの「格」以下である

ということだ。その気になってぐるっと見回すと、「そう言えばそうだな」と思うのではないだろうか?

思いつきでしかないけど、一応そう思うように至った理屈をちょっと書いておく。

元々、広告というのはメディアと似たものを出稿する。また、出稿する場所も本編の内容とが近いものを選ぶものだ。それは興味を持った本編の近くに興味を持ちそうな広告を持って来るという編集をするということ。男性週刊誌に「スイーツ(笑)」な広告が出ないのは、男性週刊誌を読む層に「スイーツ(笑)」な広告に関心を持つ層があまりいないからだ。

まー、逆に本編に「トヨタ」なんだけど、広告は「日産」なんてのは、「近い」という観点では良いけど競合するので、広告編成は注意しなきゃいけない。やるとたいてい「事故」扱いになってしまう… というのは、まぁちょっと別の話だな。

だから、メディアの「格」というのは、広告的に見ると視聴者層と関係が深い。そのため、広告も視聴者層に合わせたものが出る。その方が効果的だからだ。「格」が低いと見られたメディアは、「格」の高い広告が出ることはなくなる。逆に「格」が高くなって行くメディアには、「格」の高い広告が出るようになって行く。それは広告主の意向だったりする。

ひっくり返してみると、「格」の高そうな広告が出ているメディアは、それだけ信用を得ているということでもある。まぁたまには「営業頑張った」なこともあるので、そういったことだけで判断するのも危険だけど、傾向としてはそうなるものだ。

と、この先はあまりゴチャゴチャ書かないでおいた方が、いろいろ想像出来て楽しいと思うので、この話はこれだけ。

広告の法則” への1件のコメント

  1. と言うか、最近はTV局その物の格が低すぎる気がします。

    昔はもっと放送倫理と言うものがあったような気がするのですが。

    ニュースで無いなら情報の裏を取らずに報道したり、平気でやらせを行ったり、全く分野の違う教授が偉そうにコメントを語ったり…
    もう少し、何とかならないものでしょうか。

    特にバラエティはもはや見るに耐えません。
    あれを子供に見せて、それを笑っている姿を親が示して、情操教育は大丈夫なのでしょうか?
    学校の先生が週に一時間だけ倫理をやっても焼け石に水の気がします。

    もう少し中身のある物を作るようにしないと、TVに未来は無いのではないかと思います。

    まぁ、こう思う事自体が年をとった証拠で、時代についていけていないだけなのかもしれませんがねw

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