後から「釣り」だと言ってはいかんらしい

ブクマのコメントとか、他の人の言ってることからすると、どうも後から「釣りでした」「罠があります」と「種明かし」してはいけないらしい。

まー、言われりゃ確かにそれもそうなんだが、最初から「釣りです」ってのもダサいしな。「釣るな」という意見もあるけど、元々「煽らー」だからなぁ。

←に「釣りもあります」とか書いとくのもダサいし、さてどうしたものか。まぁこれが技術書なら、釣りだの罠だのってのはうっとおしいのはわかるのだが、いわゆる駄文雑文の類でそういった成分がないのって、私は逆に読んでいてつまらない。

たいていの「これは!」と思うblogには、「馬鹿にはわからない罠」が仕掛けてあるのは標準仕様で、それを楽しみつつ「観賞」している。よく引用する池田氏のところでも小飼氏のところでもそれはしっかり仕掛けてあって、そこに馬鹿がホイホイひっかかるのが面白い。もちろん内容的にオープンなエントリもあって、そういったエントリには賛成反対連なるのも面白いわけだけど、やっぱり「罠」もある。そこにひっかかる馬鹿がたまにいて、それはそれで「箸休め」みたいなもの。分裂勘違い君なんぞ、見事な「芸」だと思って見てる。そういったのも含めて「blog芸」だろうと思う。

まー、確かに不用意に炎上させちゃう人のを見ると、後から「罠でした」とか言うのは言い訳にしか見えんつーのもあるけど。

とか言いながら、実は他人のblogのコメントには実はあまり興味がないのであまり知らなかったんだが、某blogヲチャーの話によると、

釣りや計算された罠かどうかは、コメントでわかる

らしい。わいて来る「馬鹿」を予測して、計算された反論コメントが出来なきゃいけないんだそうな。確かに「罠を仕掛けた」と言うからには、それくらい出来てなきゃいけないってのもわからんではないな。

なんか奥が深いな。