思考停止の構造

ネウヨ、ネサヨには思考停止が多い。

私の日記には、そんな思考停止を嗤ったものが少なくない。そして、それらには「もっと考えろよ」というメッセージを込めている。

私は、元々どんどん深く考えたがる(≒妄想僻のある)傾向にあるので、「なんでそんなに思考停止をしたがるのだろう」と常々疑問に思っていた。先天的に頭が悪いのか、あるいは考えることが苦手なのか… 要するに「馬鹿の一種」だと思っていた。

ところが「ゆう先生のメルマガ」に興味深い一文があった。

> それが正解かどうかは不明ですが、人は一つの案を思いつくと安心して、それ以上は考えなくなるものです。

ネウヨネサヨは「三国人だから」とか「在日だから」「靖国に祀られるのは国家の英雄」という安易な結論に出やすい。それはみなここで言う「一つの案」で安心してしまっているという図だということである。本当はもっと深い理由があっても、とりあえず出て来た結論で満足してしまう。そして、それは正解であろうがなかろうが、「とりあえず」の答えでも良く、わかりやすく安心しやすければいい。

ここでもう一歩考えると、件のメルマガには「人は」ということで、極めて一般化して書かれている。つまり、誰でもそういった要素を持っているということで、誰もが「わかりやすく安心しやすい答」を与えられれば、それで安心してしまいやすいということでもある。そういった見方をすれば、深く考える側の人の方が特異であると言えなくもない。

だからこそ、目の前の答えで満足しない努力をしなければならないのだ。

ちなみに、件のメルマガの主題は

> 人間は、完結していないものにこそ、興味を惹かれる。

ということだった。つまり、深く考えたがる側の人というのは、「安心よりも興味が優先する人」ということだとも言える。

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