「素人は黙っておれ」

小倉センセのblogより。

黙って引っ込んでいるべき素人

最近いろいろあるようだが、ことさらに小倉先生を支持するつもりはない。ただ、彼の言うことは弁護士としてはごく普通のことで、それに対してあれやこれや言ってる人達は、「もうちょっと弁護士とは何者であるか理解してからおいでよ」と思う。

これは世間を騒がす諸々の弁護士達への「論評」も同じで、弁護士なんてのは、

自分の良心と法に従って、依頼人のために弁護する

のが仕事で、それ以上でもそれ以下でもない。以前、某IT系有名弁護士と世間話してる時に、

依頼さえあればひろゆきの弁護とかしようと思うし、それは意味のあることだと思うけど、一度ひろゆきを訴えた側の弁護をしたことがあるから、ひろゆきに嫌われてるんだよなぁ。

と素で言っていたのを思い出す。弁護士は「依頼人との契約によって弁護」しているだけだから、土俵が変われば「昨日の敵は今日の友」になることもある。それが弁護士という職業なのだ。SEが発注さえあれば仕事を引き受けるというのと大差ない。まぁ同じ土俵で攻守逆になるというのは、弁護士倫理上許されないらしいし、違う土俵でも元の依頼人の敵方につくことは避けるものらしいが。

まー、それとは別に小倉先生は結構「とんでも」なことを言ってくれたりするんで、いろいろ微妙ではあるんだが、それはまぁそれだ。

ただ、今回のエントリは、常々思っていたことだ。てか、立場は違うがそのうち書こうかと思っていたネタだ。

いわゆる「ネット上の議論」でいつも不思議に思うのは、科学や工学—いわゆる理系の議論には「いわゆる素人」はあまり参加して来ないし、「わかったつもり」の人も間違っていればボコボコに叩かれるし、それに対してみな同意する。ところが、政治や宗教など—いわゆる文系の議論には、平気で「素人」が参加して来るということだ。その内容も「相対性理論を論じてるのに、微積分がおかしいとつっこんでる」レベルだったりする。ところが、その「素人の間違い」を指摘しようものなら、逆に「観客」から叩かれたりする。この「論理」が不思議でしょうがない。

小倉先生の言う、

IT技術の発展による社会のフラット化って、専門家の活動を素人の思いつきレベルに引き下げようという動きではなかったはずなんですが、日本ではどうも誤解されているような気がします。

という言葉に、その「無念」が込められている。

おそらくは「文系」なことはみんなが「わかったつもり」になっているから、「プロ視点では客観的に素人の発言」であっても、「観客」もわかったつもりでしかないから、「素人の発言」が支持されることもある。また、大勢が支持していると正しそうに見える。ひろゆきのblogでも、

集合知を多数決で作るのは間違い。

なんて指摘があって、どれだけ集合しようと「素人はしょせん素人」だと言っている。まぁこれには小飼さんの反論もあって、

「正しい」には二つある、あるいは二つしかない

とか書いてあったりもするんだけど、これも結局「何が正しいか」と規定された世界であっては、「素人の集団の集合知は役に立たない」ことの傍証にしかなってない。

ネットで発言するのは勝手だし、私も勝手に発言してるわけだけど、「俺の勝手」が許されるのは、その主張が「あくまで俺の主張」に留まる範囲だけだ。「俺様の主張は正しい。みんな俺様の意見を聞け」と言いたいとか、「専門家」と対峙したいのであれば、まずは「果して自分にそれを主張するにふさわしい資格(知識、見識、経験…)があるか」ということを吟味するべきである。

「高校の数学レベルで一般相対性理論を論じる」ようなことは、こっそりとやるべきである。

PS.

小飼さんの、「黙って引っ込んでいられなくなった玄人」は、ちょっと読みスジが違うように思う。この文脈であれば、専門家が専門家然としていられる時代は終わったんだから… と思うし、私もそっちの方向で話を書くだろう。小倉先生の「いらだち」は、小飼さんの言葉を貸りて書くなら、

顧客が、Whyの要求だけでは満足できず、Whatにまで口出しするようになった

ことなのだ。