朝から物騒な電話

朝、出掛ける準備をしていたら、某マイミクから電話があった。

どうも共通の知人が自殺予告をしたらしく、近くの知人(これも共通の知人)に連絡が取りたいという。どうもその知人は電話に出ないらしい。

まぁこれ以上詳しい状況について書くつもりはないが、私の答えは「連絡取れないならスルーしとこうよ」ということ。

私からすれば、その「共通の知人」は「貸しを返してくれたら、さっさと死んでくれ」な奴で、こいつがいなけりゃ妙な粘着は半分以下になったであろう原因を作った奴。こちらからわざわざ縁切りするのも面倒なので縁切りつもりはないが、面倒事で関わりたくない。その「貸し」がいっぱいあるから返して欲しいなとは思うけど、前に自殺した某嬢と同じで「消えてくれる方優先」だ。

ただ、その電話の後に考えたことがある。

たとえば、「自殺予告」の連絡が来たとする。その時にどうすればいいかということだ。それも目の前で「じゃ、これから死ぬから」ではなくて、電話とかネットでの「予告」の時の対応だ。

私の結論は「法的な関係のある人(親族とか保証人だとか)でなかったらスルーでいいのではないか」ということだ。

まず、大多数の「予告」は「ボクこんなに苦しんでるから、構ってよ」という意味だ。暇な時なら「構ってちゃん」に構うのもいいかも知れないが、味をしめられたら困る。味をしめられたら、こちらの都合とは関係なく、「構って欲しい時には自殺予告」ということをされてしまう。暇な時に構ってしまったばっかりに、忙しい時まで構わされてしまう。だから構わない方がいい。

次にこの「予告」がガチであったらどうか。

もし本当に本人が死ぬという結論を出していたのなら、我々素人がどう言おうと、「余計なお世話」でしかない。その場は止めることができても、またやるに違いない。まぁ一度止められればそこで考え直す余地もあるだろうが、だったら「死ぬ」という結論を出す前に相談してくれる方がいい。それをしないでいて、初めに自殺ありきで連絡されても、対処のしようがない。

「止める権利」ということで考えると、その人の存在が法的に関係のある人にだけあるのではなかろうか。たとえば、借金の保証をしている人が死ねば迷惑だから、どんな理由があろうと、完済までは生きていてもらわなくては困る。また、「家族」であればいろいろ利害もあるし、心情的社会的なダメージもある。無理やり止める権利を持っているのはこれらの人だけで、あとは「余計なお世話」ではなかろうか。

だから冷たいようだが、「法的な関係のある相手以外はスルー」というのが私の結論である。

人にはとっても他人に構って欲しい時がある。「死ぬ」と言いたい時もある。でもそんな時は「死ぬ」のを選ぶのではなくて、「消える」方を選ぶべきではないか。「消え方」はいろいろある。ネット類を全部切ってしまえばかなり消えられるし、リアルに家出や失踪をしてみるという手もある。

「死にたい」と思ってそれが実行できる人は、たいていは「環境」に問題がある。今までの社会的なしがらみが元での悩みや、社会との関係においての悩みが希死の原因である。それなら、一時的にそんな「環境」から離れてみる方が、自分のためでもあり周囲のためでもある。その結果、「死ぬしかない」という結論が出れば、消えたままで死ねばいい。「予告」は「失踪」までだ。

「死ぬ死ぬと言って死なない奴」は、「ああまた言ってる」とスルーされるだけだ。でも、「失踪します」と言ってしばらく消えるのは、そういったことが起きにくい。予告だけで実行しなくても、シャレにしてもらえる。そもそも、生きていればこその「再起」もある。

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