警察

私の家は渋谷区円山町。簡単に言えば、ここは渋谷のラブホ街の真中である。回りはもちろんラブホが立ち並んでいる。

ラブホのあるところには、ホテトルのチラシがあるのは、東京の常識である。いや、東京に限らず、多分日本の程々の都市ならあるだろう。この是非については、論じるつもりはない。

御他聞に漏れず渋谷でもそうである。他とちょっと違うのは、以前の渋谷では、1枚もののチラシはあまりなく、それをいくつか束ねたような冊子になったものが、電話ボックスに置かれていたことである。おかげで他の土地のそれのように、電話ボックスの壁をホテトルのチラシが埋め尽しているということはなかった。持ち帰りたい人はそのまま取ればOKだし、用がない人はチラシの内容を見なくても済んだ。わりといいシステムだったのである。

ところがそんな渋谷に

異変

が起きた。それは去年の年末の頃であろうか、これらのチラシやそれを配布している業者に

手入れ

が入ったのである。それもかなりしつこく行われたため、電話ボックスの冊子は完全に姿を消した。まぁ街の風紀を気にする人には、歓迎すべきことだろう。

ところが、人間の欲望、特に性欲と金欲は留めることは出来ない。程なくして、チラシは復活した。それも、他の地と同じような1枚ものとしてである。

最初は申し訳なさそうに、電柱に数枚貼られていただけであるが、年が明けた頃から増え始め、今やそこらじゅうに貼ってある。支線(電柱を支えるワイヤーのこと)にズラリと貼られた様は、まるで

ブロントザウルスの背中

である。とにかく、そこらじゅうにところ構わず貼られている。そして、今や電話ボックスにまで進出している。1枚ものとなって。

1枚もののチラシは糊や両面テープで貼られている。電話ボックスなぞ、1枚1枚丁寧に貼ってある。つまり、持ち帰りたい人は剥がすのが面倒だし、用がない人は見たくなくても見ることになる。以前は電柱等には貼られていなかったのだが、これもそこらじゅうに貼られていて、興味がなくても目に入る。おまけに勝手に剥がれたりしていて、道に結構落ちている。状況としては、明らかに

以前より悪い

のである。それもこれも、結局のところ業者を完全に潰さないで、目に見えるチラシを片付けるという、安易な解決に走った

警察の間違い

である。業者がなくなった結果としてチラシがなくなれば、何の問題もなかったはずである。その正しい順序を踏まずに目に見える成果だけを追及した結果、以前よりも悪くなったのである。以前は電話ボックスの中だけの問題だったのが、今や街全体にゴミを増やしてしまっている。この責任を取る気はあるのだろうか?

話変わって、表参道のことである。

表参道には、露店が結構並ぶ。それも、いわゆるお祭りの時にあるような正式の露店ではなく、適当にシートを敷いてその上に商品を並べるといった、

乞食の隣り

のような形態である。売っているのはいろんなもので、何やら怪しいものがあったり、珍しいものがあったりして、見て歩くだけでも楽しい。なんとなく

フリーマーケット

みたいで風情もある。田舎ではあまり見ないので、都会的な感じもして、なかなかいい感じである。

しかし、彼等は露店を出すのに必要な、道路使用許可なぞ取ってはいない。つまり、警察に手入れを受ける対象なのである。

そこで優秀なる日本の警察は、手入れを行う。と言っても法治国家の日本であるから、いきなりお縄にするとか追い立てるとかするのではなく、

もう二度としません。ごめんなさい

という誓約書を書かせるのである。まぁ結果として追い出す方向で物事をやっているのである。

露店は明らかに道路の不法使用であり、交通の邪魔にもなる。だから、それを取り締まる。ここに何の間違いもない。彼等がいなければ、明らかに道は広くなる。だから

警察には何の間違いもない。

しかし、ふとその隣に目を向けると、不法駐輪の自転車はあるし、バイクもある。そして、そのうちの多くは点字ブロックの上をまたいでいる。露店は点字ブロックよりも車道側にいるので、点字ブロックの邪魔にはなっていないが、不法駐輪は点字ブロックの邪魔になっている。おまけに、これら不法駐輪は、風情でも何でもない。

単なる邪魔

でしかない。つまり、取り締まりの緊急度としては、

不法駐輪 > 露店

のはずである。しかし、不法駐輪については、ほとんど何もされていないのが現状である。他のところにあるような、「撤去しないと強制撤去するぞ」という札すらない。放置されたままである。

風情として多くの人に喜ばれる露店を排除するヤボを行いながら、邪魔でしかない不法駐輪を放置する。どうもその感覚が理解出来ない。これは順序の間違い以上のことではなかろうか。