確かに日本人はキリスト教のことを知らないねぇ。

面白くないので乗り気がしないけど、つっこめと言われたので、渋々つっこんでおく。

アメリカ人はキリスト教徒でセックスを罪ととらえている

末尾に、

キリスト教の方が、日本人にとってはなじみがあるはずだが、その本質はやはり十分には理解されていないように思われる。

とか書かれているのだが、確かにそうだなとわからせてくれるエントリだ。「宗教学者」という肩書でものを書く人ですら、この程度のキリスト教認識なのだから、いわんや…

まず最初の前提の解釈が間違っている。アメリカの「神を信じているの時」の「神」は実は「God」ではなかったりする。もちろん「God」の教育を受けてはいるけど、その実「god」だったりする。つまり、「キリスト教の神」ではなかったり、「キリスト教の神」と思っているものが実は違ったりする。でも、基礎教養として「God」の存在を習っているから、日本人程は唯物的ではないというだけだ。まー、大雑把に言えば、「アメリカがキリスト教の国」とゆーのは、「日本が仏教の国」と言うのに等しいくらいの勘違いだ。日本人がお盆に休むからと言って、全部が仏教徒だとゆーわけではないわけで。

その次にある「キリスト教はユダヤ教から発した宗教で」というのも、そう思っている人達は少なくないし、そう受け止められる部分もあるし、旧約聖書は共通だし… ってことでそう見えるのだけど、根本的なところで違う。資本主義に対するアンチテーゼとして共産主義があるからと言って、「共産主義は資本主義から発した」とは言わないのと同じ。一言で言えば、ユダヤ教は罪を規定し、キリスト教はその罪からの解放を説く。共通理解や背景が同じでも、到達点がまるで違う。

その次の節にある「創世記」云々の部分は、そのユダヤ教とキリスト教の共通解釈のある部分だから、「キリスト教では誘惑した蛇が悪魔としてとらえられ」というのも違う。この辺はユダヤ教とキリスト教で違うわけではない。共産主義でも資本主義でも、「お金はだいじだよ~」ってことは変わらないのと同じだし、共産主義の「お金」とゆー概念は資本主義のそれに依っているでしょ。

また、「エデンの園での蛇の誘惑がセックスを意味する」ということも、聖書にはどこにも書いてない。キリスト教は「ラーメン」のようにいろいろあるので、私の知らないキリスト教がそういった教えを説いているかも知れないが、普通の福音的原理主義的キリスト教は、「聖書が全て」であって、聖書にない解釈を説くことはありえない。で、「エデンの園の蛇の誘惑はセックスである」というようなことは、新約聖書のどこにも書かれていないので、そういった教えはない。

一つ心当たりがあるのは、「神聖を強調するキリスト教の異端」で、そういったことを説くところがあったりするので、それを勘違いしてるのではないかとゆー気はする。昔の統一協会はしきりにそういったことを言っていたような気がするのだが、今はどうなんだろうね。

カトリックの聖職者は生涯独身ではあるけど、別にそれは「禁欲」を目的としているわけではない。カトリックは私の属する、あるいは習って来た福音的原理主義的な解釈とは違う解釈をする派なのであまり詳しいわけではないけれど、「セックスが罪だから禁欲的にする」というような考えではなく、所帯を持つということまで「神に捧げる」という意味で独身主義なのだ。もし仮に禁欲のためであれば、その考えは聖書に反するから、キリスト教の看板を降ろさなきゃいけなくなる。

「性の快楽を追求することは否定され、子どもを生むことに結びつかない性行為は慎むべきだという考え方が強い」とゆーことも別にないし、それを説くこともないし、説かれたこともない。まぁそういった派があるいはあるかも知れないが、それが主流ではない。前にいた教会の牧師(アメリカから来た宣教師)なんぞは、青年相手に「セックスとは良いものである」って説いてたよ。避妊をしない教派とか中絶反対の教派とかあるけど、それは生命観に基くことであって、「生殖と関係ないセックスは罪」という意味ではない。ちなみに、ユダヤ教でも罪とはならない。やった後は身を清めよとは書いてあるけど。

キリスト教では「姦淫は罪です(十戒の中にある)」と説くし、「性欲で身を持ち崩してはいけない」ということがパウロ書簡(「○○への手紙」とかって奴)にしばしば出て来るが、「セックスは良くないこと」ということは、どこにも言ってない。言おうともしてない。むしろ、「性欲あふれてる奴はとっとと相手みつけて結婚しとけ」とか書いてあったりするわけで、「性欲我慢して抑えとけ」とは書いてない。

最初の方にチラと書いたように、キリスト教と言うのは「(ユダヤ教で定義された)罪からの解放」を説くものであって、「断罪」を目的としたものではない。何が罪であるかとゆー「罪の定義」はほとんどはユダヤ教の教え(律法)に基くものであって、キリスト教は「イエス・キリストの十字架によって、そういった罪から解放されました」というのが基本にある。だから、信者になることによって、「罪」から解放される(赦される)というのがキリスト教の目的なので、「××は罪だからやってはいけません」的な教えは、ほとんどない(唯一赦されないのは聖霊をないがしろにすること)。パウロ書簡に、「~な人を戒めなさい」という箇所があるので、それを「断罪」と勘違いする人も少なからずいるのだけど、それは

治安を守りましょう

的なものだったり、「罪」と「犯罪」を混同するなという意味だったりする。やー、だって「十字架の血でどんな罪も清められるのです」とかだけ言ってしまってたら、それでいい気になってどんどん強姦や殺人されても「秩序」として困るでしょ。ユダヤ人は律法とその解釈がとても厳しくて、社会道徳的なもののための規定は不要だったという背景があって、そこに「律法から解放されました」とだけ言うと、「もう何やってもオッケー」とか思う奴が出かねない。実際初期教会にそういった輩がいたことがパウロ書簡からも伺えるので、「ちげーよ。ええ加減にせい」とゆーことが書かれているわけなのだ。でも、それは別に「断罪」したいわけではない。神が赦してくれることと、人間社会で問題がないってことは違うでしょと。

そんなわけで、キリスト教には基本的に「××は罪である」的なものはないのだ。新約聖書にも「~しちゃだめ」的なことがあるから戒律があるかのように勘違いする人も少なくないけどね。

キリスト教で言う「罪」は、「神への背き」であって、道徳とか治安とかということは直接は無関係。つまり、「罪」と「犯罪」とは直接関係はない。「罪から解放されました」からと言って、「何やっても犯罪にはなりません」とは違う。

とか書いて行くと、一般の人には面白くも何ともない、「いや、それは違う」ということばかりになるし、正確を期すために典拠となる聖書の箇所を示すと、ますます面白くも何ともないことになるので、これ以上のことは書かないのだが、簡単に言ってしまえば件のエントリは

全て妄言

と断言しても良いくらいの、トンデモが説かれているのだ。

つまりまぁ、「宗教学者」って肩書で文章を書く人ですら、クリスチャンでない人の「キリスト教」に対する理解はこの程度だということで、

その本質はやはり十分には理解されていないように思われる。

ということを、計らずも御自身で示されているとゆー、とても楽しいエントリなのだ。まー2ちゃん語で言えば、

自己紹介乙

という奴だな。

てか、tweetとか書き物とか読む限り、この方はキリスト教に関して言えば、高校の世界史レベルのことも理解されていらっしゃらないようなので、あまりキリスト教について言及されることは控えられた方が良いかと。

アゴラが末長くこーゆー楽しいメディアであらんことを。

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This entry was posted on5月 17th, 2013 at 19:31:11. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. Responses are currently closed, but you can Trackback..

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