DQNの子はDQN

「コンビニ店長」の話から底辺とかDQNとかの話になってる。

個々の話にはそれ程興味がないのだけど、それらを見て気がついたことがある。

それは、

例外の扱いを間違っているものが多い

ということ。

こういった話になると、すぐに「例外的な人」の話になって行く。いわく「中卒でも偉くなった人はいる」とか「東大出ても云々」といった類。まぁ、「数学的な反例」としてなら意味があるだろう。

でも多くの場合、この手の議論は勝手な思い込みをベースにしたものは別にすれば(そういったものは読む価値がないから無視していい)、基本的には

統計の話

だ。DQN集団の中にいれば、DQNに染まるのがほとんど。たまに例外的にそうでない人がいるというだけのこと。 低学歴の集団は反知性的であることが多い。もちろん、たまにはそうでない人もいる。便乗エントリではないが、

 僕が交換機を作っていた頃

ってのもあって、これはこれで読むに値する。昔はこんな人いっぱいいた。それはそれで現代の「低学歴」とは違う理由で低学歴だったってだけなんだけど。

でも、そういったものってのは、ほとんどが

例外あるい上澄みまたは沈殿物

の話に過ぎないのだよ。元々凄い人がいて、そういった人がたまたまそういった不利な環境にいて、それでもそれを押し除けて勝負出来るだけのものを持っていた。それだけのことだ。あるいは、どんなに恵まれた環境であっても、しょせんクズは存在する。それだけのこと。

あるいは、はてなあたりで「DQNな環境だけど」的なエントリ上がって来る。そりゃそうだろ。「はてな」なんて、なんだかんだ言ってそういった上澄みの吹き溜まりだ。そんなバイアスのかかった母集団で一般論を展開するのはナンセンスなのだよ。

統計的結論は例外を無視する。それが正しいのだよ。「例外」を殊更に重く扱うことと、「統計」を無視して先入観だけで語ることは、結局同じレベルの間違いなのだよ。

我々はつい「例外」に目が行ってしまう。例外の存在はそれ自体が面白いし、そういったことを知っていることは、自分に知性があるかのような錯覚を持ちやすい。でも、例外は例外に過ぎない。

まぁそんなわけで、私は「高学歴は優秀」「DQNの子はDQN」ということを支持することに何の躊躇もない。もちろん「例外」の存在は否定しない。あくまでも「例外」としてね。